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2016/12/10
 寒気は執拗に僕の体を苛み、一晩中生きる意味を問いかけ続けた。それはセピア色に染まったリビング、飼っていた犬がある朝突然いなくなること、飢えた子供たちの鼻先を飛び回る蠅、そんなもので出来ていた。答ならとっくに出ているよ。それは幼い子供でも分かるように平仮名で書いてあるんだから。


 たかが北関東の冬でこんなにも痛めつけられるのだから、津軽の、そしてロシアの冬は如何に。北国にはとても住めそうにない。トカトントン。


2016/11/27
 ねえ、君、この汚れちまった悲しみを吹き飛ばすに檸檬一個の爆弾だけで済むと思うかい? 世界はまるで収容所群島じゃないか! 憎しみはペストのように人々を侵し尽し、僕はまるで異邦人のようさ。存在は耐えられないほど軽い。この沈黙の春を超える夏への扉はどこにあるというのだろう。孤独はあまりにも騒がしく、予告された殺人の記録を読まされているみたいだ。ああ、僕の可愛い女よ、この手紙はロシアに届くだろうか? 日はまた昇ると獣のように世界の中心で叫びたいんだ。


2016/11/23
 読書子の方なら、そろそろ今年読んだ本の中から十傑を選んで、話のタネに提供してみようと思ったりもする時候である。そんなわけで既読本のリストをチェックしてみたところ、衝撃的な事実が判明した。何と、今年の僕はまだ九冊しか読み終えていなかったのである。いやはや、離島の野球部ではあるまいし、参戦の条件もクリアできていないとは恐れ入った。


 のんびり、ストレスなく読書と関わろうとした結果がこれなので、元々この程度のキャパシティーしか持っていないのだともいえる。子供の頃は、文学なんて全く関係なく、ドラえもんのひみつ道具や巨人の篠塚が今日打率ベストテンの何位かということの方が重要なトピックだった。最初にどっぷりとはまった作家は赤川次郎なのだし、星新一や筒井康隆で十代は過ぎた。そう思えば、よくぞここまで辿りついたと言えなくもないのだが、その初期値がもっと高ければ今頃見える景色が随分違っていただろうにとも思う。


 しかし、概ねなるようにしかならなかったことが堆積していった結果が人生というものではある。今日食べたものが未来のあなたを作る。魔法などではないのだ。今日の俺は果たして恥ずかしくないものを口にしたのか、しばし反省の時としたい。


2016/11/10
 「失われた足跡 (集英社文庫―ラテンアメリカの文学) : カルペンティエル, Alejo Carpentier, 牛島 信明 : 本 : Amazon」


「やあやあ、また読み始めてくれたようで嬉しいよ。きっといつかは気に入ってくれるだろうと思っていたんだ。で、どうかね、感想は」
「そうですね、苦労した子ほど可愛いという意味では、愛着が沸いたと言えなくもないです」
「ふむ、どうもすっきりしない物言いだね。何がそんなに気に入らないのかね」
「気に入らないというわけではありません。あなたが非常に知的で、文学や芸術に対する深い素養をお持ちだということが分かりました」
「そう、それらは私の血と肉なのだよ。そこに女性の腰の曲線が加わればもう他に何が必要であろう? 人生はキャバレーの如し。分かるかね、お若いの」
「この小説は、すべての文章が宝石のようでもあり、そしてまた、その裏返しとしてすべての文章が醜悪なようでもあります」
「どういう意味かね、それは」
「つまり、ひけらかしと自慢だけしかないと言えなくもない」
「おお、また君の悪い癖が始まったようじゃな。何一つ建設的なところがない。そんなひねくれた読み方しかできないようじゃ、ずっと傘を差して歩いているようなものじゃないかね。外はすっかり晴れて、ひばりが鳴き、蝸牛も這っているというに」
「すみません、育ちが悪いもので」
「変えられないものを受け入れる勇気を持ちたまえ。それだけで君は空高く飛べる」
「そしてあの哀しいイカロスの歌のように堕ちていくんですね」
「ふふふ、私は君ほどには皮肉屋ではないよ。勘ぐらないでくれたまえ」


2016/11/07
 「西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇 (講談社学術文庫) : ティルベリのゲルウァシウス, 池上 俊一 : 本 : ヨーロッパ史一般 : Amazon.co.jp」


 時代的に仕方がないとは言え、過剰なおべっか調にはちょっと閉口するが、一つ一つの挿話が短く、寝物語に読むにはちょうどいい。


 この古い文書の翻訳を読みながら、「もし、これがそういった体という形で書かれた創作だったら、読み手には何が起こるのだろう」ということを考えていた。どこぞの古い蔵の中から謎の文書・手記が発見された、誠に驚くべき内容を含んでいるのでここに公開する──といったスタイルで書かれた小説を随分と読んできた気がする。例えば、エーコの『薔薇の名前』、パヴィッチの『ハザール辞典』、マドセンの『グノーシスの薔薇』などなど。古文書ではないが、カサレスの『モレルの発明』も手記物だったし、久作の『瓶詰の地獄』も印象深い作品だったし、忘れてならじ、ナボコフの『ロリータ』もそうだ。これは作家にとっては一度はやってみたくなる定石の一つなのかもしれない。


 書き手にとってこの形式の何が魅力なのだろう。例えば、偽の歴史を書き切る構築の喜び。ディテールにこだわらなければ、偽書は偽書として成立しない。これは嘘のつきがいがあるというものだ。一つ垣根を飛び越えれば、偽の星の偽の歴史を書くというSF作品もここに含まれてくるかもしれない。ブラドベリの『火星年代記』、ステープルドンの『最後にして最初の人類』。設定をきっちり詰めなければ、話に整合性を持たせることができない。そこに腕の見せ所があるというわけだ。


 また、自分以外の第三者になりきることで普段の自分から解放されるという面もあるかもしれない。もちろん、普通の一人称で書かれた作品にもそういう側面はあるのだろうが、手記の場合はその人物が自分の体験を昇華して文章に残すという過程の感覚が必要になる。これはただベタに書くことからひとつ創意のレベルを上げなくてはならない。この一回ひねりを差し挟む感覚が、書くということに手慣れた身には、挑戦してみたくなる段差に映るのだろう。それに、手記とは本質的に「既に書かれた」ものである。つまり、作者の頭の中にはその結末が見えているのだ。だったら、これを書かずにいられようか?


2016/11/01
 「ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡 : シルヴィア ナサー, 塩川 優 : 本 : Amazon」


 過剰な脳の活動が、目に入るもの全てに関連性を見出す数秘術や陰謀論を招き寄せるのだろうか。それとも、そのようなことに耽溺したが故に脳が暴走するのだろうか。この時、脳は自分で自分を食いながら走るエンジンのようになっているに違いない。僕にも(ずっと軽めなものだが)そんなような時期があった。「そのようなことを考えるのをやめた時、病が自然と寛解した」とナッシュが述べているのは示唆的であるような気がする。


2016/10/27
 「日本ナボコフ協会秋の研究会のお知らせ - 訳すのは「私」ブログ」


 名古屋に行きたしと思えども、名古屋は微妙に遠し。どなたかきしめんに様子を認めて、味噌カツ丼の馬車に乗せてそっと送ってはくださらぬか。


2016/10/21
 「『ロリータ』ナボコフの描いた蝶のデッサン画集 蝶の研究家としての側面 - KAI-YOU.net」


 ナボコフという男は、印字されたものを読めば絢爛たるイメージを生み出すものの、実際には悪筆家であった。ここで見られるデッサンもリアルなものではないが、強い情熱が技術不足を補っており、見ようによっては味わい深いものになっている(贔屓の引き倒し説)。意志を持って見つめなければ、個々の柄に微細な差異を見出したり、それを分類することは出来まい。これは、ナボコフが自分の作品について読者に繰り返し求めていたものと同じ態度ではなかろうか。


 この画集はアマゾンでも購入できるようだが(「Fine Lines: Vladimir Nabokov?s Scientific Art : Stephen H Blackwell, Kurt Johnson : 洋書 : Amazon.co.jp」)、果たしてこれは俺のナボコフ愛が試されているのだろうか。それとも、どこかの意欲ある出版社が版権を取るのを待つべきなのか。おお、狂おしきハムレットの心。買うべきか、買わざるべきか、それが問題だ。


2016/10/19
 「ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡 : シルヴィア ナサー, 塩川 優 : 本 : Amazon」


 ページもちょうど真ん中を過ぎたあたり、病の魔の手が一歩ずつナッシュに忍び寄ってくるくだりは、結末の分かっているホラー小説を読むようで悲痛ですらある。


 思うに、そいつはある日突然彼の寝首を掻いたのではなく、幼少の頃からずっとどこか遠くの物陰でナッシュのことを見ていたのだと思う。彼が見たものを見、彼が感じたものを感じ、そして機を見ては少しずつその距離を縮め、いよいよという時になって彼の肩を叩いたのだ。


 驚いたナッシュが振り向くと、そこには自分と同じ顔をしているのに、微妙にたわんだ鏡に映ったようにどこか調子の狂った自分の姿がある。そいつは訳知り顔で彼に告げる。「やあ、やっと会えたね。僕は君が隠そうとしてきたものすべてだ、もう逃がしはしないよ」と。


2016/10/16
 「ウラジミール・ナボコフ「ロリータ」(新潮文庫)-1 - odd_hatchの読書ノート」


 はて、世間ではこの稀代の悪漢小説を再読することが流行りなのだろうか? 生憎、冥い井戸の底で暮らすこの痩せ蛙にはそのあたりの事情はよく分からない。何にせよ、小説の最大の欲望は読まれることにある。そして、僕の見る限り、この作品はまだまだ飢餓状態にあり、あなたの目を釘付けにしようと妖しい燐光を放ち続けている。


2016/10/15
 「ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡 : シルヴィア ナサー, 塩川 優 : 本 : Amazon」


 書物にはそれ特有の匂いがある。猫が見知らぬものに対して鼻を近づけくんかくんかとやるように、本読みは行間から立ち昇るそれを嗅ぎ分けながら生きているものだ。この本には、エルデシュやラマヌジャンの伝記からは全くしなかった匂いがする。それはセピアに染まった死蝋の匂いだ。九〇年代にプロファイリングブームの煽りを受けてあれこれ刊行された連続殺人犯の伝記本(ジェフリー・ダーマー、エド・ゲイン、エトセトラ、エトセトラ…)、あれと同じ匂いがするのである。


 実際、天才を愛する僕でさえ、ナッシュの行状には眉を顰める。特に女性の扱いはひどい。ユーモアのセンスもあったアインシュタイン、悲劇に彩られたラマヌジャン、紙一重の危うさを生きたゲーデルやディラック、彼らの伝記本ではそんな体験をしたことはなかった。数学的な業績の記述がなければ、この男が将来何で新聞紙上を賑わせることになるのか、読者は判断しかねるほどだ。


2016/10/13
 「『ロリータ』ウラジミール・ナボコフ - キリキリソテーにうってつけの日」


 一体、どれだけの本を読めば彼の背中が見えるのだろう。まったく見当も付かない。彼のブログがなければ全く知ることもなかった作家がたくさんいる。そんな人も少なくないに違いない。


 ナボコフはプルーストやプーシキンといった豊かな大河を水源に従えた巨大な隠喩のダムである。一度その放流を浴びれば、その水の色に染まらずにはいられない。そのことが氏の筆からもよく分かるだろう。読む喜びとは、書物を通じて魂の震えに共振することだ。


 私? 私といえば、最近自分が五本足であることすらすっかり忘れているよ。


2016/10/03
 「Amazon.co.jp: 偉業: ナボコフ, 貝澤哉: 本」


 「はて、こんなタイトルのナボコフ作品があっただろうかとしばらく首を捻った」などと書き出せたら、つかみとしては洒落ているのだろうけど、生憎そんな素直な事態ではなかった。もはや、未訳の作品はかつて「青春」というタイトルで新潮社から出版され、現在も古書市場で高値をつけているあれくらいしかないことはすぐに分かることだ。その邦題はちょっと変だよねという話を、「Twitter」だかどこかで見掛けたことがあった。原題が何だったかは思い出せなかったが、多分それをストレートに訳した結果が「偉業」なのだろうと必然的に推測された。然る後にウェブで検索した結果、英訳の原題は「Glory」であった。なるほどね。まあ、大体そんな話である。


 いつも盛大に的を外すことで有名な僕のファーストインプレッションを述べてみよう。このタイトルからナボコフの像が浮かんでくるかというと、あまりそんな強い結びつきは感じられない。いささか即物的というか、そもそも小説のタイトルとして表にどんと出るタイプの語ではないという気がする。短編集の中にそんなのが一つあったなくらいがちょうどいい。いや、確かにロシアの古い小説ならありそうな雰囲気もあるだろうか。「青春」という題はいささかストレート過ぎて気恥ずかしいが、いかにも「小説的」ではある。


 辞書を引くと、「glory,繁栄,栄光,誇り,壮観,荘厳」とある。なるほど、この中からならば、「栄光」が最も「小説的」で、ナボコフの尊大な感じを伝えるに相応しいかと思う。ナボコフには印象的な「光」の描写がたくさんあるし、彼の作品のポジティブな雰囲気を伝えてもくれる。「偉業」だと少し物々しいというか、ブリリアントで豊潤な感じが出ない。


 「偉業」から「異形」、そして「ギニョール」…。そんな風にややダークな方向に連想が引っ張られていく。字面も詰まっていて、マルクスやフッサールのような立派な髭を湛えたお歴々が得意気にふんぞり返って自分の業績をとくとくと語り続ける(学生たちは若干俯き加減で黙って聞き入るしかない。いつこの退屈なお説教は終わるのだろう…)──そんなイメージが浮かんでくる。


 そんなこととは関係なく、実際に読んでみればこれに「偉業」というタイトルを宛がうしかないということが納得されるのかもしれない。それはその時のお楽しみにしておくことにして、今日はお終い。


2016/09/30
 「ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡 : シルヴィア ナサー, 塩川 優 : 本 : Amazon」


 こんな一節を見掛けた。気になったので、記しておく。「彼が丹念に築き上げてきた人生を、もろくも洗い流してしまったのである」(十六ページ)。確かに脆ければ洗い流されやすいかもしれないが、やはり「脆くも」には「崩れ去る」が相応しかろう。


 そもそも他動詞である「洗い流す」に「もろくも」は何だかしっくり来ない。脆いのは、そこで壊れてしまう何かの方である。この文の主語はこの文の前にある「混沌」であるが、脆いのは「人生」の方だ。訳者の方は、人生の脆さや事故のような突発感もこの文の中に織り込みたかったので、こんな風に入り混じった表現になったのだろうか。まあ、重箱の隅には違いない。


 このような違和感は、あまり推敲されていない類の文章においてよく見出される。具体的には、ネットでのスポーツニュース(とりわけ海外のソースを翻訳したもの)や「Wikipedia」である。整った文章を書かなければならないという思いが空回りして、身の丈に合わない文体を用いた結果、妙な連合を生み出しているのだろう。僕自身もこれまで相当にやらかしてきているはずである。


2016/09/24
 「ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡 : シルヴィア ナサー, 塩川 優 : 本 : Amazon」


 数奇な人生を辿った天才数学者ジョン・ナッシュの伝記。既に文庫化されており、単行本なら時にかなりの安値が付く。エルデシュのものとも、ラマヌジャンのものともまた違った風合いで、伝記というものは、何を書くかということと、誰によって書かれるかということの複雑に絡み合った乗算の積なのだなと改めて思う。


 心の問題を扱っているということもあるのか、幼少期や家族歴についてはかなり突っ込んだ記述をしている。中には当人にとって伏せておいてもらいたいような話も出てくる。月並みな言い方になるが、子供の無垢と残酷は、一枚のコインの表と裏だ。


 僕が小さい頃、町内の子供の中にも「小ナッシュ」とでもいうべき子がいた。大きな丸渕の眼鏡をして、空の青さにも雲の白さに何故そうなのかと周囲に質問ばかりしてくる男の子だった。そして、他所から見れば、僕もまたそちら側のメンバーの一人に数えられていても不思議ではなかったかもしれない。小さな団地内のミドルアッパークラス出身で、文弱かつ内向的な少年たちが辿る運命。ナッシュの少年時代についての話を読んでいると、いろいろなことが思い起こされて、心がざわついてくる。


2016/09/23
 「My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記 | ブルース シェクター, Bruce Schechter, グラベルロード | 本 | Amazon.co.jp」


 エルデシュがカフェインでは飽き足らず、アンフェタミンに手を出していたというのは、いささかショッキングな話である。依存症の気がある人間というのは対象を梯子していくものだが、そもそも数学への耽溺もその先の一つだと言えなくもない。


2016/09/19
 「My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記 | ブルース シェクター, Bruce Schechter, グラベルロード | 本 | Amazon.co.jp」


 エルデシュの生涯から、数学的トピックまで、重すぎず、軽すぎず、いいバランスで上手く纏めらており、履き心地の良いスニーカーで行う軽めのジョギングのように、気分よく読み終えることが出来た。もちろん、この程度のトレーニングでは数学という怪物そのものに立ち向かうことは出来ないが、それはそもそもの目的ではない。


 トランク一つで世界中を旅し、あちこちの研究所や大学に顔を出しては共同論文を次々に生み出す、そんないささか漫画じみた人物が実在したということがそもそも驚きである。世事には疎く、その無邪気さが政治的な誤解を生むこともあった。生涯独身で、母親には甘え通しだった。自身の研究だけでなく、後進の発掘に精を出し、相手がどんな若造でも数学の才があれば積極的に支援した。そんな「雨ニモ負ケズ」を地で行ったようなエルデシュは、たまたま数学が得意だっただけで、本当の職業は天使だったのかもしれない。


2016/09/09
 「My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記 | ブルース シェクター, Bruce Schechter, グラベルロード | 本 | Amazon.co.jp」


 僕が数学のことを楽しいと思うのは、例えばこんな問題を見た時だ。A君とB君が百メートル競走をしたところ、A君が十メートルの差をつけて勝ちました。そこで、今度はA君がハンデで十メートル後ろから走り始めることにしました。果たして、結果はどうなったでしょう? これが不思議なことに同着とはならず、またA君が勝つのである。有名な問題なので、どこかで見たことがおありかと思う。


 本書で取り上げられているのは当然こんなレベルの話ではないが、数学を愛するということがどういうことだったか、作者の快活な筆は思い出させてくれる。僕は裾野で少しばかり遊んだだけだったが、見上げた先の峰々にはエルデシュやゲーデルといった数多くの冒険者がいたのだ。


 先の問題の理屈はこうである。B君はA君が十メートル走る間に九メートルしか走れない。つまり、A君が百の十一倍である百十メートルを走る間にB君が走れる距離は九メートルの十一倍の九十九メートルでしかなく、やはり負けるということになる。しかし、現実には人間は一定のスピードで頭からお尻まで走れるわけではないし、B君は体が温まるのに時間が掛かるタイプなのかもしれない(やはり、僕は数学向きの人間ではないようだ)。


2016/09/06
 「失われた足跡 (集英社文庫―ラテンアメリカの文学) : カルペンティエル, Alejo Carpentier, 牛島 信明 : 本 : Amazon」


 拝啓、TOKKY 殿。君のサイトを読ませてもらったよ。私、及びラテンアメリカの文学に関心を持ってくれてありがとう。しかし、どうやら、私の作品がお気に召さないようだね。最も燃えていた頃のパリで、名だたるシュールレアリストたちの薫陶を受けた私の芸術が理解してもらえなくて、非常に残念だ。


 しかし、よく考えてもらいたい。私はこれまで両手に余るほどの作品をこの世に送り出してきたが、君には一体どれほどの実績があるというのかね? 君が先日書いていた小説もどき、あれではどこの出版社も拾ってはくださるまい。文学の女神は、残念ながら博愛主義者とは言い難い。君のように世に出ることなく散っていった者も星の数ほど目にしてきた。そんな君が私の小説を論じようなど、百年どころか千年早いと言わざるを得まい。


 私のように水の代わりにシャンパンを飲んできた人間を羨むのは分かる。しかし、やっかみと批評を一つのグラスに入れても新入りのバーテンダーが作る不味いカクテルにしかならないものだ。もっと修業を積んで出直し給え、我がシジフォス君。私の見たところでは、君もそれほど筋が悪いわけではないようだしね(当てこすりなどではないから、心配御無用)。君の未来がこの世で最も美しいハバナのビーチの如く光り輝かんことを、微力ながら祈っているよ。天国も良いところだが、あの砂浜に比べたら一段落ちるね。


2016/09/03
『心変わり』
 近頃の俺は少しおかしい。以前ならば、女と見れば飛んで行って匂いを嗅いで回ったものだし、男と見れば喧嘩三昧の毎日だった。それが今ではどうだ。あの内側から付き上がってくるような衝動がない。誰を見ても、ご自由にどうぞとしか思えない。穏やかではあるが、一面退屈でもある。だから、暇を持て余す分、つい飯を食ってしまう。


 こうなったのは、あの日からだ。あの日もいつもと同じように起きて、身支度を整え、いつものコースで散歩に出かけようとしたのだが、ボスが籠に入れという。あのでかくて固い奴に乗ってどこかへ行くためだ。これまでも何度か乗せられたことがあるのだが、今回は随分薬臭いところだった。そして、そこから先の記憶がはっきりとしない。気が付けば、俺はいつもの寝床にいた。腹のあたりがムズムズするのだが、首の周りに何かてらてらしたものをはめられていて舐めることができない。しばらくは気になって仕方なかったが、直にそれにも慣れた。


 「みいちゃんは最近、すっかり大人しくなってねえ」、ボスがしきりにそんなことを言う。意味はよく分からないが、ボスの機嫌が良さそうなので、俺も嬉しい。飯もねだればねだるだけくれるようになった。「みいちゃん、駄目だよ、メタボになっちゃうよ」、ボスが嬉しそうにそういうのを聞きながら、俺は好物の鮭を分けてもらい、再び寝床へと戻る。俺と同じ顔をしたおチビちゃんたちが恨めしげな顔で俺を見ている、そんな夢を最近頻りに見る。


2016/08/28
 「失われた足跡 (集英社文庫―ラテンアメリカの文学) : カルペンティエル, Alejo Carpentier, 牛島 信明 : 本 : Amazon」


 これだけ放置してやれば少しは反省して簡素な文体に鞍替えしているかと思ったが、当たり前のことだが何も変わっていなかった。人間でさえ、自分を変えることは困難なことである。況や、書物をや。


 ところどころ意味すらつかみ損ねるような晦渋な文章の連続であるが、藪を掻き分け掻き分けどうにか真意を汲み取ってみると、学術調査に連れて行った愛人に愛想が尽きてきたとか、現地で出会った女の方に気を惹かれ始めたとか、他愛も無いことを勿体つけて書いてあるだけだったりもする。私見では、小説というものは、どれだけ文章を飾り付けられるかを競うゲームではない。崇高や美と出会うために、己と向き合いながら技芸を凝らすことである。そのための定石などはない。


   ***


 「My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記 | ブルース シェクター, Bruce Schechter, グラベルロード | 本 | Amazon.co.jp」


 もしかしたら数学専攻者向けの内容になっているのではと危惧したが、その点は杞憂であった。文章も締まっていて小気味良い。書き手の思い入れが伝わってくる。先日読み終えたラマヌジャンの伝記は、網羅的で時系列を順序良く追った労作ではあったが、作者とラマヌジャンの間にはやや溝がある気がしたものだった(ラマヌジャンの数学があまりにも難解すぎるが故であろう)。


 しかし、最近の僕と来たら、「科学書」と書いて「読んだ先から忘れる」と読むといった体たらくであり、その時は楽しめている(つもりだ)が、なかなか血肉とはならないのが歯痒いところだ。


 ところで、写真で見るエルデシュは、日本の科学教育を長年支えてきた竹内均氏に似ていると思う。


2016/08/26
 「au one netホームページ公開代理サービスの終了について」


 圧縮ファイルの奥の奥にしまいこまれ、饐えた匂いを放つ過去ログのデータによれば、当サイトの前進となるサイトは西暦二〇〇〇年にこの世に生まれた。いろいろ手を変え品を変えここまで生き延びてきたが、遂に家主がアパートを畳むことになり、店子である我々は選択を強いられている。出会った頃はこんな日が来るとは思わずにいた。さすがにちょっと予想外のことである。


 この御時勢だ、ブログにせよ、SNS にせよ、発信のための代替手段はいくらでもあるが、結局のところ、ローカルで文章を書いて、手動でアップロードするやり方以上に馴染むものはなかった。出来れば、このスタイルで続けたいものだが、広告無しで FTP に対応した「ホームページ公開サービス」が今時それほどあるとは思えない。


 カウンターの周り具合からすると、現在、当サイトを日常的に訪れてくれている人は多くて三人、もしかしたら一人、いや、それすらも検索サイトやアンテナの自動巡回が気まぐれに掠めていっただけという可能性もある。それでも、俺の心に錆びたナイフが隠されている限りは、多分書くことをやめることは出来ない。


2016/08/20
 「無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン : ロバート カニーゲル, Robert Kanigel, 田中 靖夫 : 本 : Amazon.co.jp」


 牛の舌のように濡れた夜。読み終えた本といかにして別れるか、これがいつも問題だ。


「あら、もう本棚送りだなんて、随分な仕打ちじゃないかしら。途中からもうあなたが冷めてるのは分かってたけど、ひと時とは言え、あれほど燃え上がったのだから、そこまですげなくしなくてもよくなくて?」
「悪いけど、君一冊にばかり構っているわけにはいかないんだ。狂おしいほどに美しい本が世界にはたくさんあって、僕を待っているんだよ」
「そうやって、都合よくつまみ食いばかりしていると、いずれ罰が当たるわよ、私のアントニオ。思えば、あなたも可哀想な人ね、本当の愛を知らないからそうやってすぐに目移りするのよ。いいこと、一生に一冊、心の底から愛することができれば、それでもう十分なのよ」


 やがて、すべての本が僕を気にも留めなくなる瞬間──即ち死が訪れる。


2016/08/14
 「無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン : ロバート カニーゲル, Robert Kanigel, 田中 靖夫 : 本 : Amazon.co.jp」


 今日の目から見ると、いかにもアジア的とでもいったような強固な母子関係が、彼の健康的な心身の成長を妨げたようにも見える。これを地域的な文化と見做して良いのか、それとも、人類にとって普遍的な健康な母子関係というものを考えるべきなのか。どこに生れ落ちようが、我々は人である。その生理が大きく変わることはない。


 彼をインドから引っ張り出したハーディは、徹底した理知主義のようなものに凝り固まっている。こちらは英国的な早期の母子分離養育法のなせる業なのか。数学では多大なる成果をともに挙げた二人も、心理的には寄り添っているようには思えず、それが悲劇の歯車の回転速度を速めたように見えなくもない。


 このハーディとラマヌジャンの物語において、果たして勝利者はいったい誰だったのか。「幸福とは魂の善である」。遥か昔にギリシャのある賢人様がそう仰ったそうだ。一日の終わりに、そんなことを呟いてみる。


2016/07/27
 「My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記 | ブルース シェクター, Bruce Schechter, グラベルロード | 本 | Amazon.co.jp」


 先日、思いがけず中古で安く出品されていたので衝動買い。エルデシュの伝記にはもう一つ草思社から出ているものがあって、そちらの方がより一般読者向けのような気がする。こちらの版元は共立出版というところで、巻末の刊行目録にはゴリゴリの数学専門書のタイトルがずらりと並んでいる。ひええ。


 なあ、お前、いい加減に数学のことは諦めたらどうなんだ。もとより、お前には無理めな存在だったんだって。遠巻きに眺めてるだけで我慢しておけば、傷付くこともなかろうに。悪いことは言わない、文学にしておけって。文学はいいぞお、そりゃ、ちょっと曖昧でふわふわしたところはあるが、何と言っても情が深くて、ここだけの話、床上手って専らの評判だ。数学みたいに冷たく突っぱねたりはしないし、大体、あの数学ってやつは俺に言わせりゃ痩せ過ぎだよ。なあ、知り合いの文学ならいつでも紹介してやるから、気が向いたら言ってくれ。お前にピッタリの…。


2016/07/24
 「見てごらん道化師(ハーレクイン)を! | ウラジーミル・ナボコフ, メドロック 皆尾 麻弥 | 本 | Amazon.co.jp」


 本日、到着。こうして現物を前にしてみると、先日の重箱の隅を突くような邦題への違和感もどこかへ消し飛び、帯の惹句を目にしただけで、大好物のビーフジャーキーを前にして千切れんばかりに尻尾を振っている犬のようにワクワクする気持ちでいっぱいになっている。やはり、物体としての書物には、その質量分の魔力が備わっているのだ。


 この鋭い問い掛けのようなタイトルには、「当ててごらん、この仕掛けを!」という、訳者がこの作品から汲み取った重要な作品のメッセージがユニゾンとなって二重に響いているのだろう。それだけ思いが溢れているのだ。僕も鹿撃ち帽とパイプを用意して、じっくりと事に当たらねばならぬようだぞ、ワトソン(ナボコフ作品にはありがちなことだが、結局読解力不足でもやもやした気持ちになる可能性も随分とあるわけだが)。


2016/07/22
 十年ほど前の不義理に報いるための親睦会を企画し、それがことのほか好評だったため、第二回の開催を約束して解散する、そんな夢を見ていた。それが夢だと分かってがっかりするという経験は何ヶ月かに一回の割合で起こるが、今回もそれに該当する。会いたい人に図らずも背を向ける恰好となった十年の重さは、僕の心の内に深く沈み込んで、大きな鯨が呼吸をするために時折海面に上がってくるように、夢という形で顔を覗かせる。


   ***


 「見てごらん道化師(ハーレクイン)を! | ウラジーミル・ナボコフ, メドロック 皆尾 麻弥 | 本 | Amazon.co.jp」


 とりあえず、購入。旧訳版は久しく絶版となっていたので、こうして新たな装いで入手しやすくなるのはありがたいことだ。しかし、先代を意識しすぎたのか、この邦題は少しばかりゴチャゴチャしていてすっきりしない。「見てごらん」と「道化師」の間に読点を打たない理由がまず分からない。「道化師」と書いて「ハーレクイン」と読ませようというやり方も、何だか料理の味を邪魔する不必要な香辛料のようで、あまり好ましくない。そして、この括弧は正式には半角なのか、全角なのか。分類好きには気になるところだろう。


 旧版の邦題である『道化師をごらん』があまりにもはまりすぎていて、代替案を見つけることは非常に困難だ。原題の「Look At The Harlequines!」も恐らく一息で一気に読まれるように企図されているはずで、そのリズムも見事に転写している。今回の邦題には二つの山があり、一旦谷に下りなくてはならない。


 地口好きだった御大に倣うとすれば、「道化師に瞠目せよ」などと頭韻を踏んだりするのもありかもしれない。とは言え、作品の雰囲気にはきっとそぐわないだろう。いずれにせよ、それほどの部数は望めそうもない本作の出版に踏み切った志高き(?)方々にはひとまず敬意を表したい。ついでに、『青春』や『絶望』もよろしくお願いいたします(舌の根も乾かぬ内とはこのことだ)。


2016/07/20
 「失われた足跡 (集英社文庫―ラテンアメリカの文学) : カルペンティエル, Alejo Carpentier, 牛島 信明 : 本 : Amazon」


 自分が誰だかも忘れてしまいそうな蒸し暑い夜の中、我が読書計画は相変わらず頓挫したままである。鴎外もボルヘスも読まずに、どう考えても生涯の友とはなりそうもないカルペンティエールを読んでしまう。もちろん、寄り道がすべて無駄というわけではないが、出来ればそういうことは若い身空でやっておきたいところだ。


 この数年、余計なものを身に纏ってきたが、段々それを維持することが難しくなってきた。素粒子だの、ゲーデル数だの、結局のところはよく分からない。自分が本当に好きなものって何だったか、それを少しずつ思い出そうとしている。毎日、公園で何時間も壁当ての軟式ボールを追いかけていた少年だった頃の感覚がじわじわと体の奥から浮かび上がりつつあるのを感じる。お前は結局そこから一歩も動いていないんだよ、夕暮れが久遠の時を経ても同じく悲しげなようにね。心と体がそう囁いている。


2016/07/13
 「失われた足跡 (集英社文庫―ラテンアメリカの文学) : カルペンティエル, Alejo Carpentier, 牛島 信明 : 本 : Amazon」


 何時間も掛けて煮詰めたジャムのような濃口の文体にいささか辟易気味ではあったが、それでも朱に交われば何とやら、次第にその調子に感化され始めてもいる自分を見出す。そして、この過剰な修飾でびしょ濡れになったような語り口には、いくばくかの懐かしさもある


 十代のある時期、自らの一挙手一投足が即座に頭の中で小説的文章に変換されてしまうという意識状態になっていたことがある。例えば、「僕は信号が赤から青に変わるのを待って、右足を踏み出した。靴の裏でアスファルトのざらついた皮膚を撫でながら、白と灰の縞模様の波の上を漕いで渡った」といった具合だ。これが、目覚めている間ずっと続く。


 そのような意識の変成状態はどれほど続いただろうか。これが具体的に何かを生み出したかというと、そんなことはさらさらなく、頭の火照りもしばらくすると冷めていった。思うに、これは自意識の麻疹のようなものではなかったか。何も特別なことのない日常をどうにかして特別なものだと錯覚したいがための(もしくは、その直前に読んだ古井由吉のせいだったかもしれない)。


 このような病状にその後も長きに渡って耐えうる心身の持ち主だけが、職業として作家というものを選びうるのではないかと思う。


2016/07/07
 「失われた足跡 (集英社文庫―ラテンアメリカの文学) : カルペンティエル, Alejo Carpentier, 牛島 信明 : 本 : Amazon」


 ナイフを刺す暇もなく片付けられては次の皿が運ばれてくるせわしないコース料理のように、矢継ぎ早に送り込まれる過剰な隠喩。それに面食らって、所々意味さえ掴めないまま何とか読み進めていると、ようやくその過剰さにも慣れてくる。所詮は人間が人間に向けて書いたものだ。恐れるには足りない(いや、これは冷や汗なんかじゃない)。


 スポーツ選手が記録を伸ばそうとするように、作者は大変に張り切って文章を飾り立てようとして書いているのが伝わってくる。それは大変に見事な腕前だと言わざるを得ない。しかし、それが何だというのだろう? ロココ調の豪勢な椅子も、錆び付いたパイプ椅子も椅子には違いない。我々は「文学」の中に何を求めるべきなのか?


 以前に読んだ『春の祭典』も、その華美さに最初は心奪われたものの、次第にエスタブリッシュ自慢や安手のメロドラマ風恋愛劇が露骨になってきて、随分とげっぷが出たものだ。見た目の派手さほどには、内容は超俗的とは思えなかった。エスタブリッシュとは、畢竟そういうものなのかもしれないが(いや、これは負け惜しみではない)。


2016/07/01
 「失われた足跡 (集英社文庫―ラテンアメリカの文学) : カルペンティエル, Alejo Carpentier, 牛島 信明 : 本 : Amazon」


 この小説は、こんな風な書き出しで始まる。「地味な蛇腹飾りの破風が裁判所のようないかめしさを感じさせる、白い柱のこの家を、こうして四年七か月ぶりにながめ、以前と同じ場所におかれたままになっている家具や装飾品を前にして、わたしは時間がもとにもどってしまったのではという、ほとんど悲痛な気持ちになっていた」。どうだろう、読み手はまずなかなか着地しない長い一文に出会っている。「わたし」が「悲痛な気持ちになった」という中心的主題にいくつもの脇道が接木されており、読者は長い放浪の末にようやく文意を見出し、一息つくことができる。この緊張からの解放に要する遅延の長尺こそが、文章における技芸なのである。語彙の豊富さからくる字面の複雑さとも相俟って、この作家は読みでがありそうだぞという気構えが生まれている。


 では、「短篇集 死神とのインタヴュー (岩波文庫) | ノサック, Hans Erich Nossack, 神品 芳夫 | 本 | Amazon.co.jp」から、表題作の「死神とのインタヴュー」を見てみることにしよう。その書き出しはこうである。「わざわざ早起きして出かけていったのは、その男の在宅のときをねらって訪問しようと思ったからだ」。個人的には翻訳の粗さもあるとは思うのだけれど、カルペンティエールのそれに比べるとインパクトも薄く、いささか頼りなさげではある。文章は始まってすぐに着地する。特に寄り道もなければ、新奇なところもない。語り手は退屈な人物なのかもしれない、そして、必然的に作品の跳躍力もそれ相応なものなのかもしれないと邪推してしまう。


 もちろん、文章が複雑ならいいというものではないが、この書き出しの時点で読み手の内に広がる何かに違いが生じている。無論、最初の印象が後になって大きく裏切られるという可能性はゼロではない。しかし、書き出しに込めることができた時空の構造は、人の指紋や歯列のように、変わることなくその作品をその作品足らしめる特徴となるのではないかと思う。


 書き出しとは、小説の大事な玄関であろう。上手に我々を迎え入れてほしいものだ、


2016/06/29
 「短篇集 死神とのインタヴュー (岩波文庫) | ノサック, Hans Erich Nossack, 神品 芳夫 | 本 | Amazon.co.jp」


 詳しく知っているわけではないが、漢方の世界では食材を体を温める物と冷やす物に大別しているという。文章にもそんなようなところがあって、気持ちの温感を上げるタイプのものと下げるタイプのものがあると言えそうだ。我々は比較的造作なくそれを使い分けているように思うが、その仔細なメカニズムは一体どうなっているのだろう?


 正直、このノサックという作家は僕をホットにはしてくれない。所々に持って回った表現が見られるが、書き手がそうでありたいと望む抽象度が達成できていないことから来る空回りのように思える。思わせぶりとちょっとだけ過剰な自信。そもそも、小説を書くなんて愚かしさに手を染めるのは、そのようなものを持った人間だけかもしれないが。


 今でこそ、僕も偉そうに文学なんぞ読んじゃってございといった顔をしているが、十代の頃は娯楽小説以外のものは全く受け付けなかった。カフカもカミュも何を言っているのかさっぱり分からなかったものだ(今も分かっているのかどうか)。ノサックを読んでいると、その頃の中途半端で居場所のない感覚を思い出す。彼もまた娯楽と芸術の間の溝に落ち込み、向こう岸を目指してもがいた表現者の一人だったのではなかろうか。


2016/06/28
 「夢野久作全集〈2〉 (ちくま文庫) | 夢野 久作 | 本 | Amazon.co.jp」


 久作、青の時代。この連載記事から、書き手がいずれ、あのあやかしの大伽藍である『ドグラマグラ』を物すると想像できる人は少ないだろう。どちらかというと、全集の付録のような存在である。文章の調子にはらしさも見えるが、やはりルポルタージュ向きの才能ではないと見える。


 そもそも、「田舎物の東京論」ほど滑稽なものもまたとあるまい。まあ、僕自身そんなことをした覚えがないとは言わないが。


2016/06/25
 「ナボコフの値段C レア本編A - 訳すのは「私」ブログ」。ここのところ、早いピッチでナボコフ関連の投稿がポストされており、喜ばしい限り。絶版本の新訳、未訳のエッセイ集など、最近は大ネタも多々あるのだが、なかなか詳細を追うまでには至らない。世のナボコフ好きは垂涎と悶絶の日々に明け暮れていらっしゃることと存じます。


 何度か申し上げている通り、僕の読書ペースは長いこと月四冊平均を保ってきた。しかし、これも相当に無理をしての結果である。もう少しラフに書物と接するようにすると、当然だがペースは落ちる。三冊どころか、長いものに当たると一冊も読み終えられない場合もある。世間には水を飲むように読書ができる方々が沢山いるようなのだが、生憎と僕はそのような人間ではない。


 とは言え、読み終えた本の数が実りの豊かさを保障するわけではない。僕の立場から言えば、ナボコフの全作品を読破するよりも、暗記するほど『ロリータ』を読み返す方が得るものがある(もちろん、アカデミズムを目指すならば、その限りではない)。


2016/06/21
 「無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン : ロバート カニーゲル : 本 : Amazon.co.jp」


 ラマヌジャンは、菜食主義であるが故に英国式の社交場に行くことが出来ず孤立したのか、それとも元来の孤立癖が菜食主義という都合のいい鎧を得て強化されたのか。人の心は、時に二重にも三重にも屈折した詐術を己に対して行う。当サイトは、大まかに言ってそれらとの闘いの記録である。


2016/06/20
 「豚の戦記 (集英社文庫) | A. ビオイ・カサレス, Adolfo Bioy Casares, 荻内 勝之 | 本 | Amazon.co.jp」


 カサレスの作品を読むのはこれで三冊目になる。これまで熱狂的に読んできたかというと、そうでもない。かといって、記憶にも残らないような代物だったかというとそんなこともない。僕の気持ちとは関係なく、彼の小説は凛としてそこにある。


 どこに包丁を入れても真っ白な肌をこちらに見せる絹ごしの豆腐のように、どの作品のどのページも同じような速度の時間があり、同じような温度の空気がある。それぞれの小説はきっと見えない地下茎を通じて繋がっているに違いない。


 育ちの良かったカサレスにとって、この世界は憎むべきものでも、振り回されるようなものでもなかったのだろう。その感覚が作品の温度を穏やかなものにしている。彼は作品に飲まれて息を乱すようなことはしない。ミニチュアハウスの調度品を微妙に調整しながら理想の部屋を作るように、何度も推敲・改稿しながら彼は書いたに違いないと想像する。彼の作品は、仮に僕に愛されなくても、作者本人に非常に愛されている。そして、そのことに軽い嫉妬を覚えるのである。


2016/06/18
 「ASCII.jp:ファーウェイの強力SIMフリースマホ「HUAWEI P9/P9lite」をチェック!」


 これはなかなかそそる一台。性能や懐具合などを勘案すると、我がスマホデビューのパートナーとなる麗人は「楽天モバイル: ZenFone Go」でほぼ決まりかと思われたが、ここへきて強力なライバルの御登場と相成った。価格はやや高くなるが、それに見合う以上のスペックがあり、「楽天モバイル: ZenFone Go」で最も気に掛かっていたデザイン面の不満も、こちらの「楽天モバイル: P9lite」なら感じない。


 両親とも会って婚約までしたのに、ある日さらに理想的な女性とすれ違って心奪われる、きっと誰にでも起こり得る(ねえよ)、そんな人生の一齣にも似て(ないよ)。


2016/06/16
 日がな一日、己が胸に咲いた睡蓮の花を眺めていた。鍵のかかった眺めのいい部屋は天使も踏むのを恐れるという。百年の孤独でも足らず、千年の愉楽でも満たされない。百億の昼と千億の夜を貪り、たどり着いた先は存在と無に侵され、二十日鼠の這い回る荒地であった。どうして、僕はこんなところに? しかし、母よ、嘆くなかれ。影を失くした男でも、罪と罰は贖えるものだ。


2016/06/15
 「友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学 | ロビン ダンバー, Robin Dunbar, 藤井 留美 | 本 | Amazon.co.jp」


 先日は些か腐したままにしてしまったが、基本的には進化と心理の関係をめぐるトピックを軽快に紹介してくれる好著である。隙間時間に読むにはうってつけの一冊だろう。そして、読んだことを誰かにしたり顔で話したくなるはずだ。


2016/06/10
 空調を消せばたまらなく暑い。付けたら付けたで、機械的な冷風がまだ体にきつい。体感としては我が国の夏は年々凶暴さを増しているように思うが、実際のところどうなのか。


 僕が小学生の頃は、エアコンはまだ一般的なものではなかった。一体、どうしていたのだろう。何故だか、上手く思い出せない。いくら暑いからといって扇風機の風に夜通し直接当たり続けると皮膚呼吸が出来なくてなって危険とか言われていたと思うのだが。布団をはだけ、投げ出した足で首を振る扇風機を追いかけながら、どうにか寝ていたような気がする。


 ヘンリー・ジェイムスの『デイジー・ミラー』では、主人公の女性がローマでマラリアに罹って死んでしまう。ローマってそんなに暑いところなのかなとちょっと驚いたのだけど、これを対岸の火事とは言っていられない日がそこまで来ているのかもしれない。


2016/06/07
 「無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン : ロバート カニーゲル : 本 : Amazon.co.jp」


 数学的な才能は遺伝しないと、その昔、何かの本で読んだことがある。何分古い話なので今は否定されているかもしれないが、もし遺伝と無関係なのだとすれば数学の天才がどこに現れるのかを前もって予測することは出来ないことになる。今も世界のどこかに隠れた才能の持ち主がいるかもしれないというわけだ。ペンの代わりに銃を持たされた少年兵にそれは宿っているかもしれないし、女性であるという理由で初等教育すら受けていないかもしれない。


 そう思えば、人類にはまだまだやるべきことがある。長い目で見れば、我々の社会は機会の平等を実現する方向に進展しているはずだと信じたい。


2016/06/06
 「友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学 | ロビン ダンバー, Robin Dunbar, 藤井 留美 | 本 | Amazon.co.jp」


 もっと痛快な本かと思ったが、意外とそうでもなかった。俗説・通説の類を最新の研究でばったばったと切り倒してもらえると期待していたのだが。時折、それは些か勇み足ではないかと思える進化論的解釈もあり(著者の見解というわけではなく、書内で紹介された若手研究者の意見ではあるが)、これでは何でも性的抑圧に帰す精神分析や、初期の親子関係を重要視する母源病といったものと同じ轍を踏みかねない。


 そもそも、遺伝子の目的が己のコピーを増やすことならば、何故生命のような複雑でコントロールの難しい機構を採用するに至ったのか。もっとダイレクトに増やす方法はいくらでもありそうだが。また、人間に去勢されることで遺伝子的には跡を断たれる家猫や、生涯独身を通す人間の男性も無数にいるわけだが、どうも遺伝子の生き残り戦略だけでは漏れ落ちるものが多すぎる気がしてならない。


2016/06/05
 「無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン : ロバート カニーゲル : 本 : Amazon.co.jp」


 本書とは直接関係ない話をひとつ。「π」は無限に続く数列なので、その中には偶然にもシェイクスピアの作品や物理の大統一理論を著した論文と同じものが含まれている可能性がある──そんなことをどこかで読んだ気がする。なるほど、百万桁位あれば、その中に僕の生年月日くらいは時折記されていそうではある。では、例えばクレジットカードや携帯の番号レベルの桁数になればはどうか。


 「314」、この程度なら円周率内に無数に見つかりそうだ。では、「31415」はどうか。「314159265」なら? 何桁までいけば見つからなくなるだろう。些か子供じみた飛躍だが、そもそも、「π」の中に「π」は含まれているのだろうか。何だか、母親の胎内にいる赤ん坊の中に母親がいるような面妖な話ではある。聞きかじり程度で申し訳ないが、無限にも濃度があるという。だとすれば、無限にもちゃんと節度や順番、等級というものがあるのかもしれない。


 無限のランダムな文字列があったとしても、すべての配列可能なパターンを網羅するわけではない。果たして、これは真か偽か。宇宙が膨大な量の星を含んでいたとしても、生命誕生に必要な要件を満たす可能性は宇宙のサイズの増加以上に薄まるが故に、生命は見つからない。果たして、これは真か偽か。靴下を履くように数学を扱える日を夢見て眠ることにする。


2016/05/28
 「豚の戦記 (集英社文庫) | A. ビオイ・カサレス, Adolfo Bioy Casares, 荻内 勝之 | 本 | Amazon.co.jp」


 小説の舞台は一応ブエノスアイレスであるが、『モレルの発明』『脱獄計画』と同様に、架空の閉ざされた空間で主人公が謎や困難を解決していくという意味では、構造的に似た物があるのかもしれない。初めに世界を作り、そこに駒を配置する。その世界の在り方が、駒の動きに強く関与している。


 次第に過激化する若者の実力行使のエピソードも、日常的に現れる「老人」と「若者」の問題のカリカチュアであると同時に、ユダヤ人の家の戸にダビデの星を描いてまわったヒトラーユーゲントたちをも想起させる。また、アビダルは若者の襲来を逃れるために屋根裏に隠れることを家主に勧められる。これも、オランダの屋根裏部屋に潜んで暮らした少女とその一家のことを思い出させる。


2016/05/26
 「豚の戦記 (集英社文庫) | A. ビオイ・カサレス, Adolfo Bioy Casares, 荻内 勝之 | 本 | Amazon.co.jp」


 「だってわたしたちの空腹には特別な理由があるんだもの」(一九〇ページ)。不意に結ばれることになった初老の主人公とうら若き(多分。随分放っておいたので誰が誰だかよく分からない)隣人。ボルヘスはほぼ童貞のような一生を送ったと推察されるが、後輩カサレスはオクタビオ・パスの奥方と懇ろになるなど、隅に置けない男だったようで、こんなセリフも実際に閨房の語らいで誰かに言われたことがあるのかもしれない。


 この作品の何が僕を惹きつけているのかというと、ひとえに主人公ビダルの内省の質である。特段自分に似ているということもないし、凡庸といえば凡庸なのかもしれないが、その分近くにこられても嫌じゃない。これも作者の人となりが転写されていると見るべきか。


2016/05/24
 「豚の戦記 (集英社文庫) | A. ビオイ・カサレス, Adolfo Bioy Casares, 荻内 勝之 | 本 | Amazon.co.jp」


 僕が途中で読むのを止めた小説の主人公たちは、どんな顔をして再開を待っているのだろうか。ビデオテープを一時停止するようにぴたっと静止したままなのか(『モレルの発明』のように)、映画の撮影が中断した時のように思い思いにくつろぎながら愚痴を言い合ったりしているのだろうか。


 もちろん、そんな考えはただの感傷である。怠惰の言い訳にしてもお粗末なものだ。


2016/05/21
 「NHKドキュメンタリー - チンパンジー アイたちが教えてくれた ヒトは想像の翼を広げる」


 どうだろう。「チンパンジーはピュアで、人間は文明に冒されたために穢れてしまった」、そんな一昔前の進歩的人類観(京都大学的?)が若干のバイアスとして作用しているように思えてならなかった。ヒトと彼らを比べるにしても、条件を厳密に絞るための余地がまだ随分とあるのではないだろうか。大型の動物を用いた実験では、細かい条件違いのデータを集めるのは難しいところがあるのだろうけど。


 例えば、チンパンジーが覚えたのは本当に概念としての数字なのか。「順番」と「数字」の違いは何か。また、他の記号であっても同様の結果が得られるのではないか。加算などの計算は可能なのか。漢数字やギリシャ数字も同時に覚えられるのか。人間も同じ時間の訓練を受ければ直感像記憶を強化できるのではないか、などなど。目のないサルの絵の実験についても、ヒトは既に絵や写真に関する膨大な経験を持っているが故に欠損にすぐ気付くのであり、チンパンジーにはそれがないのだから、そう簡単にヒトの子供と比較しても良いのか。


 当たり前のことだが、我々人類は人類以外のものであった経験がない。だから、どうしても我々の理屈から動物の世界を解釈しようとする。しかし、文化人類学が未開とされた文化に対して反省的に見出したように、彼らにも自律的な「野生の思考」があるはずだ。チンパンジーはチンパンジーの生を全うするために高度にチューンナップされた充足体であるに違いない。


2016/05/17
 サブで利用してきた先代の XP 搭載 FMV を、中古の安価な DELL 製 14 インチノートに入れ替えた。 DVD ドライブ非搭載ということもあるが、ボディーは薄型でしゅっとしており、自分もようやく少しばかり未来に来たなという清々しい気持ちになる。


 プリンターとの接続にいろいろ手間取ったものの、何とか印刷できるまでには漕ぎ付けた。 Windows10 へのアップグレードを促すウィンドウが時折出現するものの、ドライバー周りが心配なので保留している。また、「Pasocompass - YouTube」氏が仰られていた通り、ボタン一体型タッチパッドは大変に使いにくい物であった。単純にクリックしたつもりがミスタッチでマウスの移動も発生してしまって、なかなか目的の箇所をジャストミート出来ない。タップでクリックの動作がデフォルトになっているのも半ば嫌がらせとしか思えない。


 困ったことに、ずっと狙っている DELL の 11 インチも一体型なのだ。膝上などで利用する機会もありそうなので、ことさら不安定な状態でのクリックは誤動作頻発の恐れがある。物理ボタン型で同等の形状のモデルはなかなか見当たらない。また、改めて分かったが、常用するマシンにはメモリ 4GB は必須だ。 2GB ではウェブページ一枚開いただけでもうあっぷあっぷな状態になる。


 液晶はデフォルトでは若干眩しかったが、輝度を落とせば問題ない。発色もメインのマウス製 WIN7 ノートに比べたら格段に良い(こいつが大外れだっただけか)。映像の視聴も主な目的なので、これは助かった。


   ***


 「ASCII.jp:楽天モバイル「ZenFone Go」約2万円で取り扱い開始」。この日を待っていた。低価格で、ミドルスペック、バッテリー容量もそれなりに期待できるというなかなかいいバランスを持ったモデルではないかと思う。


 惜しむらくは、カラーヴァリエーションに好みのものが見当たらない。無難に白か、無骨に黒か。ブルーはちょっと。


2016/05/13
 「無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン : ロバート カニーゲル : 本 : Amazon.co.jp」


 ラマヌジャン、遂に英国数学会と出会う。高い精神性で多くの文人の心を捉えてきたと同時に、我々からすると度を超えて過酷にも見える厳しい階層社会を合わせ持つ不思議の国インド。イギリスとの関係は、僕如きが三日三晩考えたくらいではビクともしない厚い歴史がある。貧しさとは何か、そして、豊かさとは何か。胃袋付きの宇宙人である人類が向き合う、頭を抱えるしかない問い掛けの一つである。


2016/05/10
 「無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン : ロバート カニーゲル : 本 : Amazon.co.jp」


 貧相な人生を送りながらも美しい思想にたどり着くケースもあれば、人生程には思想が美しくはないというケースもあろう。俺の座標はその間のどこにあるのだろう。どこに生まれ、どのように生きるか。そして、人は己に訪れる魂の種類を自らは選ぶことが出来ない。


2016/05/08
 「Litmanen_ 'Dit is echt mijn laatste boek'」。フィンランドの英雄にして、九〇年代のアヤックスを象徴するプレイヤーであるヤリ・リトマネンの自伝が出版されたようだ。翻訳される可能性はかなり低いが、彼が未だに深く愛されていることが分かるのは喜ばしい。


 いろんな選手を買い集めているマンチェスター・ユナイテッドだが、ファン・ハールが本当に欲しいのは輝きに溢れていた頃のクライファートやオーフェルマルス、そしてリトマネンといった面々に違いない。赤地に白く抜かれた美しき背番号「10」。あれから随分と時が過ぎ、何人もの選手が彼以降にそれを背負ったけれども、リトマネンよりもそれが似合う選手を我々は未だ目にしていない。


2016/05/06
 「紀伊國屋書店Kinoppy&光文社古典新訳文庫読書会#17「"言葉の魔術師"ナボコフの魅力を語る」貝澤哉さんを迎えて 紀伊國屋書店新宿本店で5月26日(木)開催 - 光文社古典新訳文庫」。 DVD で出してくれませんかね。


 相変わらずサボりの虫は続いている。「あたかも黄泉の国より蘇りし鴎外がナボコフを嬉々として訳したかのような」と評されるようなものが書ければ本望だが、残念ながらそんな日は来るまい。じっと手を見る。


2016/05/02
 町は白い光に溢れ、「風薫る」というより「アスファルト灼ける」といった風情だ。鏡の中の痩せ蛙にも似た自分に少しだけ驚く。この調子じゃ、帝劇でもう一人の自分を見たなどと言い出しかねない。


 お若いの、古典でも喰らいながら、旨い酒でも如何かな。誰かがそう誘いかける。そこはこの世ではないではありませんか。まだそちらに参るわけにはいきません。俺は答える。まだ怯えておるのか。お前は昔から諦めの悪い子じゃった。いいかね、お前の腰に巻いてあるその荒縄はただの見せ掛けじゃ。引っ張ったところで何にも繋がれてなどおらぬし、誰の手に握られてもおるわけでもない。お主より不幸なものと言ったら、今まで一人として渡った者のいない吊橋くらいなものじゃろう。そんなこととっくに気付いておろうに何をぼやぼやしておる。


 さて、白昼夢はこれくらいでいいだろう。いつまでも油を売ってないで、臍で茶を沸かしたら出発だ。


2016/04/27
 そこがどこだかは分からない。四方を山に囲まれた湖の真ん中を俺は歩いていた。もちろん、そんなことが不可能なことはよく分かっている。そして、それを認めた瞬間から、自分が沈み始めるだろうということも。


 小さく波打っている水面が足の裏に吸い付いては離れ、涼やかな水音が耳をくすぐる。そんな時、山の向こうから木霊のように響く声があった。お前は神を気取っているのか? 俺は答える。いや、違う、与えられた条件の中で最善を尽くしているだけだ。


 返事を待ったが、声はそれきり止んでしまった。声の主は俺を許したのだろうか。とりあえず、今は歩き続けなくてはならない。足を止めたが最後、湖は俺を飲み込んで、その深く冥い腹の底に閉じ込めてしまうだろう。


   ***


 「無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン : ロバート カニーゲル : 本 : Amazon.co.jp」


 ラマヌジャン。もうこの響きだけで既に魔法が少し入っている気がしてしまうのは、安っぽいエスニック趣味だろうか。インドの小村から彗星のように現れ、二十世紀の数学界を震撼させた一人の天才数学者の伝記である。残念ながら、部数が希少なためか、簡単に買えるお値段になかなかならない。大判で二段組。片手で持って読むのはちと難しい。


 子供の頃、電卓をお供に美しい法則を持った計算は何かないものかとぱちぱちキーを叩いていたものだった。例えば、数字の「1」から順番に「9」で割っていくと、その答は「0.111…」「0.222…」「0.333…」と規則的なものになる。これは綺麗だと思って進めていくと、「9」で「9」を割った時に期待した「0.999…」ではなく「1」が素っ気無く表示され、肩透かしを食らったような気分になった。この時の我に返る感じを未だに引きずっているような気がする。


2016/04/24
 昨晩、一匹の気ぜわな蝉が窓のすぐそばでジージーと鳴いているのを聞いた。それに応えるかのように、どこかの軒下で風鈴が揺れているようだった。多分それは一年中出しっぱなしになっていて、普段も何彼となく耳にはしているのだろう。


 丸々と太った蚊がふらふらと床の近くを彷徨うのも見た。血を吸うのは、出産を控えた雌だけだという。果たしてこの部屋を抜け出してどこかの水辺に辿り着けるのだろうか。そもそも、あの小さな体のどこに命のサイクルを繋ぐためのコードが仕込んであるのだろう。不思議でならない。


 やがて、夜も更け、雨も落ちてくると、涼やかさに耐え兼ねた僕は暖房のスイッチを入れた。そして、蚊に喰われた頭皮を掻き毟りながら、四月を四月足らしめているものは何だったかということについてしばらく考えていた。


   ***


 「対称性―レーダーマンが語る量子から宇宙まで | レオン・M. レーダーマン, クリストファー・T. ヒル, Leon M. Lederman, Christopher T. Hill, 小林 茂樹 | 本 | Amazon.co.jp」


 ようやく読了した。ここで語られている「対称性」は僕らが日常目にしている「線対称」や「点対称」のみならず、より抽象的で理論的なものも含んでいる。素粒子がいろいろ揃いで表れて分類できたり、元素に周期があったりするようなことだ(多分)。


 少しずつながら知識が補強されてくるにつれ、段々科学にSF小説的な悦楽を求めなくなってきた。それはそれで寂しさもあるが、いつまでもはしゃいでいるばかりではみっともないという思いもある。果たして、僕はこの梯子をどこまで昇れるのだろう。


2016/04/23
 「遺跡に白骨に大絶叫!Steam版トゥームレイダーで遊ぼう【後編】」


 僕の印象では、この手の映像を観ても、導入部のムービーはやたらとリアルなのにもかかわらず、実際のゲーム場面になると人物も背景も急にポリゴンチックなものになってしまってやや興ざめするというようなことが多かったと思う。しかし、その垣根もいよいよ無くなってきたようだ。いずれはそれがゼロになるのだろう。その時、果たして表現がどのような領域へ拓けていくのか。


 それにしても、このクラスの作品を動かすには、どれだけのスペックが必要なのだろう。僕が普段血眼になって探しているような低価格品では門前払いが関の山か。


2016/04/20
 「【編集者のおすすめ】『ダークマターと恐竜絶滅 −新理論で宇宙の謎に迫る』リサ・ランドール著 鍵は新種のダークマター(1/2ページ) - 産経ニュース」


 果たして、ランドールを一躍時の人にした高次元の存在云々という話はどうなったのだろう。確か CERN の実験結果によって証拠が出るとか出ないとかいうことだったと思ったのだが。ヒッグズ粒子に沸くその陰で、もしかして夢破れていった理論の中の一つになってしまったのだろうか?


 前作の「宇宙の扉をノックする | リサ・ランドール, 向山 信治, 塩原 通緒 | 本 | Amazon.co.jp」でも既にリーマンショックに端を発する経済危機やご自身お気に入りの現代美術などの話に脱線しがちで、ちょっと本分が疎かになっている感じもあったのだが。理論物理界のアイドル、もしくは科学系出版界のドル箱でありつづけるためには、このような耳目を引くようなトピックが必要といったところだろうか。


   ***


 「対称性―レーダーマンが語る量子から宇宙まで | レオン・M. レーダーマン, クリストファー・T. ヒル, Leon M. Lederman, Christopher T. Hill, 小林 茂樹 | 本 | Amazon.co.jp」


 前半も決して易しいとは言えなかったが、後半の素粒子の話になると、さしものレーダーマンも鼻息が荒くなるようで、なかなか手強い文章が続いた。素粒子とは即ちエネルギーの一定の塊のことなのだろうか? その量が違うと役割が様々に違ってくる? いや、僕の言うことなど鵜呑みにしないで欲しい。


 この界隈全体が今沸き立っている最中でもあり、この本だけで収まる話題でもない。明日にでも世紀の新発見の報せが世界中を駆け巡るかもしれないのだから。


2016/04/16
 未だに夜になると寒さに震えているというのはどうしたものか。そのせいで眠りが浅くなるのか、日中も何だか少し頭がフワフワしている。当然、読書は進んでいないし、何事も成し遂げてはいない。


   ***


 「Amazonの「全品送料無料の廃止」が意味するもの プライム会員はもう逃げられない? - ITmedia PC USER」


 将来的な年会費の値上げまでは考えていなかった。今回の送料改定のように、それはある日突然やってくるかもしれないのだ。茂みから突然飛び出してくる大虎のように。


   ***


 「Amazon.co.jp: ASUS ノートパソコン EeeBook X205TA-WHITE10 Windows10/11.6インチワイド/ホワイト: パソコン・周辺機器」


 タブレットスタイルを諦めるとすれば、軽量が売りのこのモデルでもいいのかなという気はする。何しろ、安い。ただ、メインメモリの 2GB という値だけはちょっと気に掛かる。


 「Miix」での経験からすると、このメモリでは IE で複数タブを開くのはかなり厳しい。「YouTube」などはスクロールもカクカクしてしまって目的の箇所をクリックすることも覚束ない。「Chrome」ならまだマシだが、タッチパネルとの親和性が今ひとつで、文字列を選択する方法が未だに分からない。


2016/04/11
 春の陽気というより、季節は自分が冬なのか夏なのか迷っていて、コロコロと態度を変えているといった風だ。


 元々春というものが実体としてあるわけではなく、気候があるピークからもう一方のピークへと移り変わっていく時に偶然我々にとって心地よい状態を通過する時期があるに過ぎない。その勾配が急になれば、コンフォートゾーンに留まる期間も短くなる。その意味では、そもそも儚いものなのかもしれない。


2016/04/06
 「Amazon.co.jp、「全商品送料無料」が終了 2000円未満は送料350円に (ITmedia ニュース) - Yahoo!ニュース」


 慣れというものは恐ろしいもので、もう随分長いこと「送料無料」を当たり前のように甘受してきた。よくよく思い起こせば、そうなる前には 1500 円縛りというものがあったわけで、消費税の分がアジャストされた状態でそこに戻ったともいえる。


 全品送料無料の快楽を忘れがたい向きには、「プライム会員」という誘惑が待っている。送料だけではなく、動画や音楽の配信も利用できるようになるので、それなりに割安感はある。さあ、どうする、俺。


2016/04/05
 負け犬の尻尾のように低く垂れ込めた雲。空気も犬の鼻のように湿っている。


 年初の計画によれば、僕は今頃賢治と鴎外の全集をあらかた読み終え、天の川が如き絢爛たる隠喩群と格調高き文体を自家薬籠中のものとすると、「芥川賞」から「三島賞」、「ノーベル賞」に「フューゴー賞」、はたまた「坊ちゃん文学賞」までを総ナメにしているはずだったのだが、そのための時間の多くをパズドラに費やしたがために、創造の神にそっぽを向かれている。


2016/04/03
 「対称性―レーダーマンが語る量子から宇宙まで | レオン・M. レーダーマン, クリストファー・T. ヒル, Leon M. Lederman, Christopher T. Hill, 小林 茂樹 | 本 | Amazon.co.jp」


 またぞろ、雰囲気だけの理解で読み進める状態に陥っているのが情けない。読書には勢いの快楽というものがあり、興が乗ってきた時にはどんどんとページをめくりたくなるものだ。気持ちは高揚してハイになるが、現前の文章に対する理解度は低下する。スティーブン・キング相手ならいざ知らず、科学解説書にはそのように読み方は相応しくない。


2016/03/27
 「豚の戦記 (集英社文庫) | A. ビオイ・カサレス, Adolfo Bioy Casares, 荻内 勝之 | 本 | Amazon.co.jp」


I
 どんな家族の元に生まれてくるかを子供が決められないように、どんな小説に最初に出会うかを読者はコントロールできない。そして、自分がどれだけ不幸な、もしくは幸福な出会いをしているかをしばしば見誤る。悪い目が出た場合、どうでもいいようなことを後生大事に扱い、平凡なものを特別だと思い込む。不幸であればあるほど、その体験から逃れられない。悲しき逆説である。


II
 社会に対する風刺は、時間と共に急速に安っぽくなってしまうものだ。社会が変化するためだと言えば、確かにそうなのだろうが、それだけではないような気がする。つまり、その背景に対象への依存心を隠し持っているため、そこからどんどんと空洞化するのだ。つまるところ、社会を変えたいのなら、手の込んだ皮肉を考えるより、直接行動した方が早いし、尊い。


2016/03/24
 「アップルが小型iPhone「SE」発表、399ドルから | ロイター」


 僕が今使っている『iPod touch』と丁度同サイズになる。購入から一年ちょっと経つが、音楽再生、簡易カメラ、暇潰しのゲームやウェブ閲覧など、それなりに使っている気もするし、端末の都合にこちらが合わせられているという感覚もあり、若干微妙な付き合い方ではある。ボディは美しく、コンパクトで持ち運びには適しているが、この画面サイズにはいささかストレスを感じることもしばし。ただ、こいつに通話機能があれば、この子だけを持ち歩いていれば済むので楽だろうなと思うことは度々あった。


 しかし、そのようなフル活用を始めた場合、今でさえ四苦八苦しているバッテリー問題にさらに振り回されそうで、それなら用途に合わせてデバイスを分けておく方が賢いのではないかと思ったりもする。このあたりは、まだ僕の希望を十分に叶えるものがない。あと何世代かバッテリーの進化を待つ必要がありそうだ。歩行による振動、太陽光、体熱、そこら中を飛び回っている野良電波に気圧変化、これらからエネルギーをかき集めて動くような端末はないものか。


   ***


 ふと思ったこと。ロシアの作家に「プラトーノフ」という人がいるが、この人はギリシャ系なのだろうか。それとも、あの「プラトン」にあやかって一族の誰かがそう名乗り始めたのだろうか。


 そもそも、今でもギリシャには「プラトン」氏や「アリストテレス」一家がいるのだろうか? 僕がギリシャ人の名前に接するのは主にサッカー選手を通してだが、今のところ古代の賢人と同じ名前の代表選手にはお目にかかっていないと思う。ブラジルにソクラテスがいるというのは、また別の話になるだろう。


2016/03/19
 「楽天モバイル:楽天スーパーSALE情報を先行公開!!お得なタイムセール&期間中ずっと半額♪」。随分と豪胆なセールだが、既に発表されている次のモデルがなかなかインパクトがありそうなので、そちらとも迷う。


 その一つが「ZenFone Max (ZC550KL) | スマートフォン | ASUS 日本」。規格外バッテリーを搭載しており、大きく話題になりそうだ。もう八年越しの PHS ユーザーだが、待ち受けだけなら二週間は充電しなくて済む。それに体が慣れ切っているので、バッテリーを始終気にしていなければならないような従来モデルにどうも手が出なかったのだ。


2016/03/17
 昨日の件は、「GoogleChrome起動オプション「--disable-directwrite-for-ui」ができない - hogashi.*」にて解決。感謝、感謝。


2016/03/16
 「Chrome」で標準フォントの指定を行うと、メニューなどの UI のフォントもそれに従ってしまって文字が滲んだりするのだが、起動オプションに「--disable-directwrite-for-ui」を指定すればそれを回避できる…という話だったのだが、昨日からこのオプション込みで起動させると、エラーページばかりが返ってきたり、拡張機能がクラッシュしまくって起動しなかったりとどうにもならない。


 仕方なくオプション無しで起動させているが、当然のこと文字が滲む。いろいろ探っているが、詳しい情報にはまだ当たらない。オプションそのものが無効になったのか、それともまた別の文字列を指定すればいいのか?


   ***


 「対称性―レーダーマンが語る量子から宇宙まで | レオン・M. レーダーマン, クリストファー・T. ヒル, Leon M. Lederman, Christopher T. Hill, 小林 茂樹 | 本 | Amazon.co.jp」


 世間的には「物言う物理学者」というとファインマンということになるのだろうが、いささか彼の語るエピソードは大袈裟で、話を盛ってるような気がしないでもない。個人的にはレーダーマンの諧謔的な文章が好みだ。


 本書でもそれは快調であり、宇宙創世からエネルギー問題までを縦横無尽に語り倒し、知られざる天才女性数学者エミー・ネーターの業績へと読者を誘う。あなたもきっと、彼女を当時の慣例に抗して教授に強く推薦したヒルベルトのことが好きになるに違いない。


   ***


 「Dell ノートパソコン Inspiron 11 2in1 Core i3モデル 17Q11/Windows10/11.6インチ タッチ/4GB/500GB」


 もうずっと長いこと、こいつを買おうかどうかで迷っている。タブレットの弱点であるキーボードを補強しつつ、取り回しの効くモデルが欲しいのだ。


2016/03/12
 相変わらず、読書はサボり気味だ。意欲はまあまあある。面白そうな本も手元にたんまり揃っている。手に入れたいものならそれこそ無数にある。それでも、読まない。寒さだけではない、ちょっとばかり入り組んだ心理機制が働いている。分析するには比較的容易い部類の屈折ではないかと思うが、それもあえてしない。


   ***


 「Youtube - ジュネーブの全景を精密に再現する建築模型」。この企みにボルヘス的情熱が関与しているかどうかは定かではない。担当官が「本当は同寸大のものを作るつもりだったんです。それこそ、模型というものが夢見る究極の対象への愛ではないでしょうか。その模型町には、あなたとそっくりな人も住んでいて、立ち居振る舞いまで瓜二つです。その内、どちらが本物で、どちらが複製だか分からなくなってしまうかもしれませんね。お互いに、相手を作ったのは自分だなんて主張し始めて、それがエスカレートして戦争を始めたり…」などと言い始めやしないかと期待したが。


2016/03/06
 「ようこそ量子 量子コンピュータはなぜ注目されているのか (丸善ライブラリー) | 根本 香絵, 池谷 瑠絵 | 本 | Amazon.co.jp」


 以前に一度さらっと読んで、ちょっと軽すぎるかなと思って蔵書整理の対象になっていたのだけど、著者がとあるラジオ番組にゲスト出演していたのをきっかけに再び読み始めた。実際のところ、僕程度のレベルでは軽いだの重いだのいう資格はない。今まで傲岸不遜に科学を生齧りしてきた反省も含め、雰囲気だけの理解に終わらないように注意しながら読んでいる。冬眠前のリスのように闇雲に頬張ってきた知識を、棚の上で背の高い順に並べていくように。


 また赤っ恥を掻くだけかもしれないが、現時点でも僕の考えを少しばかりまとめてみる。世に「粒子と波の二重性」というけれども、このモデル自体が古典的物質感を前提にしたものであって、多分ミクロの世界をより底の方から規定しているのは「波動」的なあり方で、「粒子」の方が便宜的なものなのではないか。我々の脳は物質をそのようにしか捉えることが出来ないという意味で。


 そんなことを言い出すと、何物にも条件付けられていない真の現実とは何か、そもそもそのようなものはあるのか、我々のいない宇宙は、この宇宙から我々を差し引いたものと等しいのか、そんな昔懐かしい袋小路にはまる。分からない。宇宙の果ての一メートル先には何があるのか。無限とは何なのか。そもそもすべてが無限でなければ、今の我々もありようがない。今があるとすれば、過去があり、それは無限に遡れなければおかしいではないか。始まりがあったとすれば、その始まりを促す別の物がなければ(寝ます)。


2016/03/05
 枕元に置いた読み掛けの本が、いつしか携帯や眼鏡のちょうどいい置き場所になってしまうのを防ぐ方法はないものか。


   ***


 「【映画】ガブリエレ・ムッチーノ、ナボコフの「マグダ」を映画化へ : 見てから読む?映画の原作」


 ナボコフの映画化作品は、これまでにもそれなりに存在する。『ロリータ』は少なくとも二作あるわけだし、『マーシェンカ』『ディフェンス』『キング、クィーンそしてジャック』も映像化されている。しかし、僕はまだ一つも観たことがない。何故と問われると答に窮するが、キューブリック版のドロレス・ヘイズ役の女優がどうも今ひとつピンと来ないので、二の足を長いこと踏み続けているという感じだ。


   ***


 「V.ナボコフの作品における円環構造とシンメトリーにまつわる 形象のパターンについて 殺意」。何やら小難しそうなので、後で読む。リンク先は PDF なので、非力マシンの人は注意(もう、そんな時代でもないか)。


2016/03/04
 「windowsボタンでタッチキーボード表示: イヂリーメモ」。時々スクリーンキーボードを出しっぱなしにしていると困る時があったのだけれど、これで「AutoHotkey」から制御できるようになった。出したい時には「TabTip.exe」を直接叩けば出てくる。


 最初は、スクリーンキーボードの「閉じるボタン」の部分をキャプチャーしておき、「ImageSearch」で探してクリックさせようと思ったのだが、これは上手くいかなかった。何かケアレスミスを犯しているのか、仕様上の問題に関わっているのかは不明。


   ***


 あとがきを読むまで(毎度のこと、本編の箸休めとして先に読んでしまったわけだが)、「昆虫大全―人と虫との奇妙な関係 | メイ・R. ベーレンバウム, May R. Berenbaum, 小西 正泰, 杉田 左斗子, 杉田 勝義, 河崎 洋子 | 本 | Amazon.co.jp」の著者が女性であることに全く気がつかなかった。まさに「虫愛づる姫君」だったわけである(この「虫」は insect のことではないが)。


 著者本人の謝辞には、周囲の愛情に支えられた幸福な感情が溢れており、この楽しい一冊に更なる彩を添えている。僕も少しだけそれをお裾分けしてもらった気がして、気分よく読み終えることが出来た。その意味で、これは幸福な本である。内容がどれだけ高度で高尚でも、不幸な本はいくらでもある。「知性」が「不幸」の補償として、個人の内で育まれるケースは少なくない。


2016/03/03
 先月は一冊も読了した本がなかった。寒さとの戦いに明け暮れたせいもあるが、単純に怠惰に負けたというところもある。無限の図書館に有限の時間と才覚で立ち向かわなければならない、その酷薄な滑稽さよ。


2016/02/23
 『Miix 2 8』では、この「Amazon.co.jp: [F.G.S]ipad air 専用Bluetooth3.0搭載 ワイアレスキーボードケース「日本語取扱説明書つき」: パソコン・周辺機器」とほぼ同型なものを使っているのだが、 US キー配列のため、素のままでは入力しにくい文字が多い。各種鍵括弧や円記号、アンダーバーにバーティカルバーなどだ。これらがささっと打ち込めないと、個人的には作業効率ががたんと落ちることになる。


 そこでこんな AHK を書いてみた。仮に「under.ahk」とする。


      Loop, READ, %A_ScriptDir%\under.txt
      {
         Menu, Under, Add, %A_LoopReadLine%, Under
      }
      
      Menu, Under, Show
      
      ExitApp
      
      Under:
      {
         Clipboard = %A_ThisMenuItem%
      
         Send, ^v
      
         ExitApp
      }


 スクリプトと同じフォルダーに「under.txt」というファイルを作り、そこに一発では入力しづらい文字列をリストアップしておく。適当な方法でこのスクリプトを呼び出すと、ポップアップメニューでそれらが列挙されるので、選択すれば貼り付けられる。「esPst」でも出来ることだけど、あちらはあちらで相当な量のデータを既に放り込んでので、必要な文字列に辿り着くまで少々時間が掛かってしまう。そこでよりベーシックに使うものをこのように分離してみた。


 ストレートにキーの置き換えやショートカット割り当てを利用してもいいのだけど、キーの数がそもそも少ないので、使いやすいキー押下のコンビネーションは重要な操作のために取っておきたい。このスクリプトなら一つの操作でいろいろと入力できるので、ショートカットに空きを残したままでいられる。


2016/02/21
 再び、「昆虫大全―人と虫との奇妙な関係 | メイ・R. ベーレンバウム, May R. Berenbaum, 小西 正泰, 杉田 左斗子, 杉田 勝義, 河崎 洋子 | 本 | Amazon.co.jp」より。


 「もしも昆虫に肩があるといえるならば、肩越しに振り返ることができるのはカマキリだけである。」


 「今日、商業上もっとも重要なクモの糸の用途は、測量機器、測距機、顕微鏡、爆撃照準器などの光学機器の十字線をつくる材料にすることだ。照準器の十字線には米国産クロゴケグモの未成熟期の糸が望ましい。このクモを扱うのは危険がともない、成虫に噛まれると致命傷になりかねないのだが、なかば飼い馴らして糸を収穫している勇敢な人もいる。」


 「昆虫はビタミンとミネラルも豊富に含んでいる(たぶん、医者いらずとは、一日一個のリンゴではなく一日一匹の蛆だろう)」


 「たとえば、ゴキブリがたまたま耳などの孔に住みついては、思いがけない障害を引き起こすのだ。この種の感染は鼓膜に一生残る損傷を与えることもあるし、かなりの精神的外傷を与えるのはいうまでもない。」


 文字に起こすのが手間なのでこれくらいにしているが(「iPod touch」で見開いたページを画像に撮り、パソコンに送って全画面表示させながら、それを見て書き起こしている)、本当は一字一句残らず紹介したいくらいだ。嗚呼、それはあのピエール・メナールの情熱にも似て。


2016/02/15
 『iPod touch』の iOS を最新版にしてからだと思うのだが、ヘッドフォン端子に外部スピーカーを接続すると、「音声コントロール」や「Siri」が起動するようになってしまった。


 多分、スピーカーのケーブルが少しばかり帯電していて、その電気が逆流して何かを刺激し、早合点の touch 氏にホームボタンが押されたと錯覚させているのだろう。音量コントロールつきのイヤホンで同様の症状が出ているという話が検索するといくつか引っ掛かってくるが、同じような機構によるものだと思う。結構煩わしいので、早く修正されてくれないかな。


2016/02/12
 「昆虫大全―人と虫との奇妙な関係 | メイ・R. ベーレンバウム, May R. Berenbaum, 小西 正泰, 杉田 左斗子, 杉田 勝義, 河崎 洋子 | 本 | Amazon.co.jp」から、いくつか引用させていただこう。


 「バッタがヒトと同じくらいの大きさだったら、おそらくヒトと同じくらいしか跳べないというのが真相だろう。その筋肉はバッタがいつも動かしているのよりもはるかに大きな質量や体積を動かさなければならないからである。」


 「アシカの鼻の中に住み、宿主と一緒に水中深く潜ってもわりと乾いたままでいるシラミがいる。」

 「社会性昆虫の利他行動は非常に劇的な形をとることもある──爆発的排便(autothysis)を行うシロアリの兵隊がその例だ。危険に直面すると、これらの兵隊アリは防衛用の分泌物を肛門から噴きだすのだが、その力は非常に大きく、自分の腹部も吹き飛んでしまう。」

 「女王バチは七年間も精子を保存することが知られている。」


 ああ、(形而上的に)愛しき虫たちよ。


2016/02/07
 「昆虫大全―人と虫との奇妙な関係 | メイ・R. ベーレンバウム, May R. Berenbaum, 小西 正泰, 杉田 左斗子, 杉田 勝義, 河崎 洋子 | 本 | Amazon.co.jp」


 ほとんど一行に一つという驚異的なペースで昆虫に関する薀蓄が表れる、驚きと発見の書。著者にとってみれば、僕のような人間の目を丸くすることなど日頃から手馴れたものなのだろう。教養とユーモアに溢れた快活な文章が実に小気味良い。


 ただし、本書で得た虫たちの華麗なる生態話を人前で披露するような機会は滅多になさそうだが。僕にしたって、実際の虫は苦手である。


2016/01/30
 日暮れともに冷たい雨が降り始め、心と体の活性を奪い去っていく。せっかく新しい本に手をつけたばかりだというのに、活字を追うことさえ覚束ない。


 書物はいつまでも待ってくれる。待ってくれないのは、人生の残り時間の方だ。冷たい風、上手く進まなかった会話、海の向こうで起きた戦争の報せなどが、始終僕の手を止めさせる。


 雪とは、魂を宙空に吸い上げるための触媒に他ならない。夜がひと時の鎮魂のような静けさに包まれるのはその為だ。


2016/01/25
 「Amazon.co.jp: 日本語はどういう言語か (講談社学術文庫): 三浦 つとむ: 本」


 ぼやぼやと時間を掛けて読んでしまったので、あまり大きな収穫は得ることができず、少々勿体無いことをした。そもそも、この一冊で言語の何たるかがすべて分かるわけでもないだろうし、その後の研究によって乗り越えられた部分もあるのではないかと思う。恐らく、言語に関する基礎的な研究は脳の機能解明と漸次接近し、いずれは一つにまとまるのではないだろうか。無論、そういったハードなものと「文法」のようなソフトなものの間には何らかのブラックボックスが今後とも存するだろうけれど。


 その論旨とは別のところで、著者の各種の文章表現や時代風俗の解釈に首肯しかねるところが所々にあった。そのあたり、少し自信過剰気味な文章だなという気がした。著者は既存の言語論にいろいろと突っかかっているが、何か大きな価値に対してカウンターを仕掛ける際には、その小気味よさに自らが酔ってしまうということもあるに違いない。


2016/01/17
 「死と分身 : ヴラジーミル・ナボコフの『断頭台への招待』」。こんなページを見つけたが、全編英語でどうやって利用したらよいのかよく分からない。


2016/01/16
 「Amazon.co.jp: 眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎: ダニエル T.マックス, 柴田 裕之: 本」


 前回はいささか興奮気味の紹介文を書いてしまったけれど、この病と図らずも向かい合うことになってしまった当事者の人達の心痛を思うと、ただ単に知的好奇心だけで済ませていい話でもない。彼らの戦いはまだ続いているのだ。


 もう一つのトピック「狂牛病」に関しては、他にも詳しい書物がいろいろとあるだろう。産官の癒着云々という話はどこかで聞いたような話ではある。それにしても、鳥インフルエンザ、スクラビー、狂牛病、蜂群崩壊症候群などの昨今起きている現象を見ると、過度に産業化した畜産業の歪みが自然の持つ循環力の限界を超えてしまったのではないかと考えてしまう。


 タンパク質の分子構造の畳まれ方の亜種が深刻な症状を引き起こす「プリオン」なる物質の破壊的な振る舞いに、寒さに打ち震える体がなおのこと縮み上がり、春を恋い焦がれる気持ちがますます募る。命、それは熱を運ぶ柔らかな歯車の群れだ。


2016/01/12
 先日、語るまでもないような僕のスターウォーズ体験について書いたのだけれど、その後でまた少し思い出したことがある。家の畳の上に寝転んで劇場公開一作目のパンフレットを眺めながら、作品の世界を一人で反芻していたという記憶だ。当時は、学校から帰っても家には誰もいない日が多かった。だから、そんなことをする時間はいくらでもあったのである。


 パンフには、レイヤ姫がホログラフィックで浮かび上がるシーンが大写しになった写真や、砂漠にロボット二体が佇むスチールなどが掲載されていたと思う。それほど心を持っていかれなかったと思っていたけれど、そんな写真を眺めながら夢想にも似た時間をしばらく過ごした。乱雑な部屋の中(家の中はたいていいつも散らかっていた)、窓から差し込む午後の日差しが、畳の緑やカラーボックスの黄色の上に何に似せるでもないような影絵をいくつも作り出していた。そんな、誰かの帰りを待つ時間の静けさの中で僕は育った。


2016/01/09
 冬将軍の前に連戦連敗で、いささかグロッキーではある。ひとまず、粉末タイプの生姜湯を箱買いして、ささやかながら一太刀を返したつもりになる。


 未だ土に埋もれている土筆の穂先を引っ張れば春が付いてくるんじゃないかと思って探してみるが、見つかるのは象皮のようなアスファルトばかりで。


2016/01/04
 「夢野久作全集〈2〉 (ちくま文庫) | 夢野 久作 | 本 | Amazon.co.jp」


 新聞記者時代の久作の手による東京(江戸)逍遥記と文化論という、全集中でも変り種の一冊。何だか勝手に惚れておいて、勝手に幻滅しているという感じもするのだが、この独り相撲的な構図というのは、もしかしたら何かを過度に愛するということにおける幻想の雛形のようなものかもしれない。


 地方の名士の家に生まれ、高い文化的素養を身につけていた久作。お道化たような文体で誤魔化そうとはしているものの、それでも”魔都”東京への思慕やコンプレックスは隠しきれていない。『ドグラマグラ』の作中に「脳髄のみが考えるに非ず、手や足も自前で思考しているのである」という理論を振りかざす医学博士が登場するが、これを「都市部への一極集中批判だ」と書いている論評があって、初めてそれを目にした時は「さすがに穿ちすぎではなかろうか」と思ったものの、その論者の念頭に本テキストがあったのだとすれば、それも故なしとはしない。


 勝負に強く拘るのは、常に敗者の方である。勝者には忘却する自由さえあるのだ。この不均衡故に、都市は愈々妖しく輝く。


2015/12/31
 「短篇集 死神とのインタヴュー (岩波文庫) | ノサック, Hans Erich Nossack, 神品 芳夫 | 本 | Amazon.co.jp」


 最初の一篇を読んだだけで、しばらくほったらかしにしていた。あまり筆の立つタイプの作家ではなく、どちらかというとジャンル小説(あまり意味が分からずに使っていることは予め白状しておく)的な部類に入るかと思う。つまり、ある「アイデア」があって、それはどう表現されても良いのだが、この場合は偶々小説という形になったというような。


 二番目に収められている中篇「ドロテーア」は、冒頭部がいささかまどろっこしくて投げ出したくなったものの、そこを乗り越えればなかなか得がたいタイプの作品になった。僕らはまず巨大なカテゴリーとして「戦争」というものを捉え、そこから細部に目を凝らしていくことに慣れている。地上に住まう人々一人ひとりに、それぞれの「戦争」があった。空襲の火の手の中で出会った男と女。安手のロマンスを回避するような、微妙な関係の綾。そのエピソードが実際にあったことに材を取っているのかどうかは分からないが、歴史のうねりの中ではそのようなこともありえたには違いないと思わせる。


 作品全体にはもう少し哲学的・神学的ななコーティングがしてあり、それを上手く汲み取れた自信はあまりない。作者のペシミズムや神学観、そういったものが最終的には表現の核になっているかと思われる。果たして小説とは一体何で出来ているのだろう? きっと、男の子よりは複雑な何かだ。それでは、よいお年を。


2015/12/26
 「豚の戦記 (集英社文庫) | A. ビオイ・カサレス, Adolfo Bioy Casares, 荻内 勝之 | 本 | Amazon.co.jp」、経過報告。


 どうにも上手く言えないことなのだが、読み進めるにつれて段々散文を小説として束ねる力が弱まってきた感じがしている。テーマに文体が負けるとでも言おうか。自分でもちゃんと分析できているわけではないのだが。


 多分、この作品の中核にあるのは、作者が常日頃感じている世代間ギャップについての思念である。アルゼンチンではマチズモが重要視されるという。そんな中で、老いた人間、血気の盛んでない柔和で文弱なタイプの人間がどのような圧力に曝されているかということを寓意的に表現しているのだ。それが、この作品の翼の限界にもなっている。


2015/12/23
 「Amazon.co.jp: 賜物〈下〉 (福武文庫): ウラジーミル ナボコフ, Vladimir Nabokov, 大津 栄一郎: 本」


 最後は急ぎ足で通りすぎるように読んでしまった。途中までは割りと入り込むように読めていたのだが、ある折から唐突に賢治や鴎外といった国産ブランドの魅力を”発見”してしまい、そちらに夢中になってしまったことで気持ちが離れた。なるほど、これらは両立しない何事かであるらしい。


 ナボコフ的トピックを追いかけることもあまりなくなっているが、この作品の続編が出版されたという話を某所で読んだ。それは確かに気にはなる(「『賜物』続編騒動 - 訳すのは「私」ブログ」)。


2015/12/19
 『スター・ウォーズ』の劇場公開第一作を映画館でリアルタイムで観たのだから、僕もある程度は自分をスター・ウォーズ世代という資格があるだろうか。しかし、正直に言うと、小学一年かそこいらの僕には少し早すぎた。当時の僕は、流行りの映画や催し物などに母方の伯父によく連れて行ってもらったものだ。冬に吹く乾いた突風で知られた北関東の某市にある映画館。館を出てきたばかりの僕は、独特の色身で描かれた看板を見上げている。いまいち似ていないルークや、クリーム色がかったX型の戦闘機を。商店街の半透明なアーケイドの屋根を透過して降り注ぐ光の綾。期待したほどにははまれなかった肩透かし感や物寂しさのようなもの。いや、それはその町が持っている寂しさが、不意に現れたものだったのかもしれない。


 そんな感じの出会いだったものだから、その後の劇場公開にはさほど律儀にお付き合うすることなく今まで生きてきた。テレビのロードショー番組に降りてきても、熱心には追い掛けなかった。一作目で感じた疎隔の思いにまた出会うのを恐れていたのだろうか。多分、その頃にはストーリーもきちんと追えるようになっていただろうから、そんなに置いてけぼりを食らうことはなかっただろうけど。


 どこかの女郎部屋に売られたレイヤ姫が出てくるのは何作目なのだろう? それをどこかのデパートか何かのキッズルームにあった大きな画面のテレビで観た記憶がある。一人だったような気もするし、友達と一緒だったような気もする。それは途中から見始めたので、終わった後もう一度頭から始まるのを待って、前回観た所までをちゃんと観終えてからそこを離れたような気がする。それは確かに心を持っていかれる体験だったと思うのだが、何故か非常に単発的で、その後の行動に影響を与えていない。あれはどこでの出来事だったのだろう。


 と、ここまで書いてきて不意に思い出した。ハン・ソロが、金属板の中に埋められて宇宙に放り出されるシーン。あれは確かに劇場で観ている。ただし、それ以外を覚えていない。なかなか衝撃的な終わり方だったので、子供心にかなり引きずった覚えがある。暗渠に対して感じるような、圧迫と窒息の恐怖。あれで心を乱されたので、自分を守るためにスター・ウォーズを離れたのだろうか。不思議と、これは誰とどこで観たのかもわからない。


2015/12/14
 「宮沢賢治全集〈1〉 (ちくま文庫) | 宮沢 賢治 | 本 | Amazon.co.jp」


 原典の異稿などにも目配せをした非常に網羅的な全集ではあるが、とりあえず賢治の世界に触れたいという人にはいささか細かすぎる仕様という気もする。美味しいところだけを味わいたい場合は、岩波や新潮の版を利用する方がよいかもしれない。


 巨大な仏心のような詩の世界を残した彼が何故それを必要としたのか、その人間的な苦闘の軌跡を読んでいる、そんな風に感じている。天才賢治もまた人の子であった。峻厳たる自然と、科学的な語彙がそこはかとなく醸すユートピア的空気。それらが何の温度差もなく並べられている。


   ***


 「Amazon.co.jp: 眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎: ダニエル T.マックス, 柴田 裕之: 本」


 僕も長いことネット古書店を漁ってきたが、本書の「値崩れのなさ」は一級品である。その理由は読めば分かる。ダントツに面白いのだ。


 イタリアのとある一族に受け継がれてきた特異な不眠症や、パプアニューギニアの「未開」部族を襲った震顫を伴う奇病。これらが「タンパク質」の異常から起きていたことが判明するまでを追ったミステリー顔負けのノンフィクション。著者はこの題材と出会えて手応えや使命感を感じたに違いない。その天命の力強さが文章から溢れている。


2015/11/25
 「読む」ことの純粋性について考えていた。例えば、素粒子の構造や宇宙の起原をめぐる諸説などは、書籍でも得ることができるし、科学ドキュメンタリー番組でも知ることができる。知りたいことに対してのアプローチ方法は何であっても構わないし、より効率的なものがあればそれに越したことはない。


 では、鴎外や賢治を読むことは他の何かで代替出来るかというと、僕の私見ではそれは無理である。もちろん、小説が映像化されるということは往々にしてある。もし、それでも伝えるべきことが伝えられるならば、それはそもそもその内容に対して小説という形式がかりそめのものに他ならなかったということではないか。


 つまり、それが小説として自律しているのならば、それは言葉そのものに確かな意匠が施されていなければならない。それを実際に「読む」ことでしか引き出されない何かを持っていなければ。僕がどんどん古い作品に心を惹かれつつあるのも、現在書かれている言葉にそれを満たすものがなかなか見当たらないからなのである。


2015/11/21
 「豚の戦記 (集英社文庫) | A. ビオイ・カサレス, Adolfo Bioy Casares, 荻内 勝之 | 本 | Amazon.co.jp」、着手。


 ボルヘスを木星とすれば、カサレスは衛星エウロパといったところだろうか。大きさでは適うべくもないが、見る人によっては非常に興味深い対象だ。これまで彼の長編を二作読んだが、どちらかというと理知的な雰囲気で、作品そのものがひとつの暗号のようだった。本書は後期の作品ということもあるのか、隠喩なども手が込んだものになっている。それは、あたかも長い歳月が岸壁を削って入り組んだ海岸線を作るように、年季を重ねて辿り着いた文体であるように思えた。


2015/11/16
 「山椒大夫・高瀬舟 他四編 (岩波文庫 緑 5-7) | 森 鴎外 | 本 | Amazon.co.jp」


 誰しも、古いものは素朴で単純であると、基本的には思いがちなところがあろうかと思う。携帯電話やパソコンのように、だ。しかし、こと言葉の世界に関していうと、必ずしもそうとは言えないところがある。むしろ、最初にゴツゴツした塊があって、現代化とはそれらを扱いうるサイズまで解きほぐす作業である、そんな風に感じる場面も多い。。


 「山椒大夫」。もちろん、タイトルは知っていたが、特に何の前知識もなかった。古い説話のような、教訓話のようなものだろうとぼんやりと思っていたが、全く違っていた。内容としては、なかなか非情で怖い話でもある。冒頭からして、主人公たちの境遇の危うさにハラハラし通しであった。直接そのようなことが書かれているわけではないが、セクシャルな危なさを存分に匂わせている。


 しばらく前、連城三紀彦氏の文章にメロメロになった旨を報告させていただいたけれども、それとてある意味では「フェイク」である。本当に練達な文章は、古の文豪がとっくに書き終えており、我々は彼らの敷いた砂利道の上を歩いているに過ぎない。古いものほど複雑になる、小説にはそんな不思議な側面がある。今の僕はその複雑さを求めてやまない。


2015/11/12
 「Amazon.co.jp: 最初の刑事: ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件: ケイト・サマースケイル, Kate Summerscale, 日暮 雅通: 本」


 十九世紀の英国で起きた幼児殺害事件。当然、大衆紙で大きく取り上げられる格好になり、それによって多くの「素人探偵たち」が得意満面で自説を投書してくるようになった。多分、箸にも棒にも掛からないものがほとんどであったとは思うが、本書で引用されているものはそれなりにミステリーの定石程度は押えているなという水準にある。そのような「大衆」の存在が、ジャーナリズムやセンセーショナリズム、引いては「ミステリー」などの娯楽小説市場を生み出す礎となったのだろう。


 ディケンズやコリンズの『月長石』の引用が多く、意外とドイルのものはなかった(時代的にこれより少し遅れて登場するということもあるだろう)。ディケンズは未読だが、それなりに知っている感じがしてしまうのは、何かと引用される機会が多く、それが長文になるケースが多いからかもしれない。当時のロンドンの清濁併せ呑む坩堝都市的な雰囲気を余すところなく転写したような、栄養過多な大衆性のようなものをいつも感じる。プラグマティックで、力強い。


 自分自身もそうだが、大衆社会というものの中で様々な消費財と戯れながら、何とか自分は少し特別であると思ったり、幻想の消滅を先延ばしにしたりて何とか生きながらえている。だとすれば、「死」に抗える唯一の方法は「夢中」であり続けることではないのか。例えば、本書を読んでいる時の僕がそうであったように。


2015/10/30
 「Amazon.co.jp: 僕らは星のかけら 原子をつくった魔法の炉を探して (ソフトバンク文庫): マーカス・チャウン, 糸川 洋: 本」


 本書を読むまで、ホイルによる「重い元素は恒星が起源」説をちょっと眉唾っぽいと思っていたことを告白せねばならない。星の爆発だけではいささか悠長すぎるのではないかと感じていたのだ。


 しかし、今ではすっかりホイル信者となった。この理論は実に美しい。同心円状に様々な元素の殻が出来るところなど、見事という他はない。


   ***


 「量子革命―アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突 | マンジット クマール, Manjit Kumar, 青木 薫 | 本 | Amazon.co.jp」


 この手の本は巷にいくらでも溢れており、記述も実際被っていることが多いのだが、あれこれ手を出してきた経験からすると、本書は啓蒙書としても科学史的読み物としても水準の高い仕上がりになっていると思うので、ちょっと値は張るがその分の満足感も得られるものと思う。


2015/10/27
 「Amazon.co.jp: 猫たちの隠された生活: エリザベス・マーシャル トーマス, Elizabeth Marshall Thomas, 木村 博江: 本」


 「人間」と「自然」とを考える時、どうしても上手く解きほぐせない糸玉のような絡まった部分に出会うことになる。この星に生きるものとして他の生き物を尊ぶということと、その命を奪って食いつなぐということの間に、なるべくなら直視せずに済ませたいような隙間がある(深淵を覗き込んだものはまた、深淵に覗き込まれる)。


 本書はそのような問い掛けに答える類の本ではないが、我々が今過剰に愛してやまない偶像となっている猫という動物について、彼らのより本質的な特性からその行動様式を明らかにしてくれる。著者の筆には慈愛が溢れており、それは慎み深く、かつ敬意をもって動物たちを捉え、対して我々人間には自省を促す。大型種の猫たちについてもっともっと知りたくなる。


2015/10/16
 「Amazon.co.jp: 僕らは星のかけら 原子をつくった魔法の炉を探して (ソフトバンク文庫): マーカス・チャウン, 糸川 洋: 本」


 科学者たちが如何に原子を発見し、それが宇宙でどのように生まれてきたかを解明するまでをロマンチックにたどる傑作科学啓蒙書。


 いいかげん科学にロマンチックなものを求めるのはやめにして、少しはハードな側面も理解しなければいけないとは常々思ってはいるのだが、そこは素人の悲しさで、歯が立たないものには歯が立たない。本書のような噛んで含めるタイプのものを読み、その高揚感を伝えることくらいが関の山だ。それもまた、巡りめぐって科学への間接的なフィードバックになってくれたなら、それこそ望外の幸せというものだが。


   ***


 「Amazon.co.jp: マヨラナ―消えた天才物理学者を追う: ジョアオ・マゲイジョ, 塩原 通緒: 本」


 マヨナラの問題の一つに、チューリングをも悩ませたセクシャルな志向の問題があったのではないかと彼の甥が証言している。


 なるほど、チューリングとマヨナラ、時代はずれているが、何となく共通する空気というものは感じられなくもない。破天荒な天才振りとそれと裏腹の社会性の欠如。人生の最後(マヨナラの最後がどこにあるのかは未だ不明だが)が灰色に染められてしまったことなど。


2015/10/15
 「Amazon.co.jp: 超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会: ラメズ・ナム, 西尾 香苗: 本」


 こんなことを考える。つまり、人類の次なる一手は「更なるテクノロジーの探求」によって成し遂げられるべきなのか、「自制による消費コントロール」によって延命を図るタイプのものになるのか。あまりに進歩したテクノロジーは、破壊的な側面を露わにしつつある。これをどちらのやり方で乗り越えるべきなのか?


 楽観的に考えれば、人類は常にイノヴェーションによってこれまでも数々の問題を解決してきたのだから、それに賭けるべきであるとも言えるし、もうそのレベルを超えたところまできてしまったのだから、知性によってスマートなコントロールを見つけ出し、限りある資源を有効に使うべきだともいえる。


 僕としては、人間の本質として「我慢は長続きしない」と思っているので、後者はいずれ立ち行かなくなる気がする。ストレスは命を磨り減らす。これは、生命の論理に真っ向から反している。欲望をコントロールするにしても、抑えつけるのではなく、そのどこかに楽しさやポジティブな要素がないと結局気持ちが暗くなってしまい、世界はどんどん息苦しくなるだけなのではないか。


 光あるところにまた陰も生まれる。そのことは既に分かっているのだから、なるべく広い面積が明るくなるような光の当て方を探さなくてはならない。いざ立て、人類よ。


2015/10/12
 「Amazon.co.jp: 賜物〈下〉 (福武文庫): ウラジーミル ナボコフ, Vladimir Nabokov, 大津 栄一郎: 本」


 ふとしたきっかけで、五年ほど前に自分がとあるところにポストした文章を目にした。それがあまりにも糞だったので(ご勘弁を)驚いた。当人は自信満々で書いていたというのに。当時、結構いいこと書いてるのにカウンターがちっとも回らないなどと思っていたが、とんでもない。正直、何を言っているのかがさっぱり分からない。あんなものを書いていたのでは、客足が遠のいて当然だ。


 その時その時は、懸命に持てるものすべてで戦っているつもりである。だから、達成感もあるし、自分が何物かであると思いたい気持ちもある。しかし、それが罠なのだ。己による己への判断。つまるところ、根拠がない。自分だけを鏡で見ていれば、何とも比較されない。甘い判断が麻薬のように体中を巡るばかりで。


 今ここでこうして書いていることも、ある程度の水準には達しているものと勝手に判断しているが、それさえも数年後にはどうなることやら。まるで、成虫になって威勢よく木の幹で鳴いているつもりでいるが、実はただそれを夢で見ているだけの蝉の幼虫。その身はまだ冷たい土の中にあって、メス蝉の甘いフェロモンも知らぬまま。


 いやはや、浜の真砂が尽きるとも、折られる鼻には事欠かぬ。精進、精進、また精進。


2015/10/07
 「Amazon.co.jp: マヨラナ―消えた天才物理学者を追う: ジョアオ・マゲイジョ, 塩原 通緒: 本」


 一九三八年、死を決意したとも思われる一人の男が船に乗り込んだ。一時は思いとどまったようにも思われた。しかし、彼は家にも研究所にも戻ることはなく、そのまま消息を絶つ。ノーベル賞も確実だといわれるほどの稀代の天才物理学者だった。そして、後にはただニュートリノに関する重要な予測が残されたのである。


 淡々と事実を追っていくタイプの伝記もあるし(ディラックのそれはそちらに近かった)、本書のように書き手の思い入れを軸に展開していくタイプの伝記もある。そもそも、きっかけが無ければ何かを「書く」ということはない。評伝の世界においては、月は観測されるまでは存在しないというわけだ。作者は若々しい筆でキャンバスいっぱいの大きな満月を描こうとしている。


 これはたまたまの偶然に過ぎないが、この本を本棚から引っ張り出した直後に、ニュートリノに関しての重要な研究に対してある日本人にノーベル物理学賞が与えられた。こうしてキーボードを叩いている間にも、太陽から届いた無数のニュートリノが僕の中を音もなく通過しているという。実に不思議な話だが、マヨナラの人生もそれに呼応するかのように不可思議なものだ。スリリングな書き出しに期待は高まる。


2015/10/05
 「Amazon.co.jp: 超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会: ラメズ・ナム, 西尾 香苗: 本」


 遺伝子治療などの高度なテクノロジーがこの先さらに発展していった場合、どのようなことが可能になるかを比較的肯定的な立場から概観した一冊。


 この手の未来予測物は今までにもいくつか読んできたが、どちらかというとSFやファンタジーの世界にちょっと入り込んでいるようなところもあって、その途方もないスケール感にロマンチックな未来像を重ね合わせる悦楽感で読ませるようなところがあった。それに比べると、本書は二〇〇五年に出版ということもあってか、大分地に足の付いた筆致になっていて、実現可能なところからそれほど遠く離れてはいない。


 著者はインターネット・エクスプローラーの開発に携わった一人だそうで、その点に関しては飲み屋で酒でも酌み交わしながらいろいろいちゃもんをつけたいことが山のようにあるのだが、そのことはさておき、遺伝子やナノのレベルにまで降りていけるようになった我々にはどのような未来が待ち受けているのか。携帯電話の爆発的普及やグーグルの存在をかつてのSF黄金期の作家たちは予測できなかった。恐らく、それと同じくらいのスケールで事態は我々の想像を裏切っていくに違いない。


 果たして、僕の目の黒いうちに本書で取り上げられたようなトピックがどれくらい進歩して実現するのだろうか。是非とも長生きして事の行く末を見届けたいのだが、ハンバーガーとカウチポテトに明け暮れた我と我が身を思うと、その点は些か心許ないと言わざるを得ないのである。


2015/10/01
 「レオン・ブロウ ― 薄気味わるい話 (バベルの図書館 13) | レオン・マリー・ブロア, ホルヘ・ルイス・ボルヘス, 田辺 保 | 本-通販 | Amazon.co.jp」


 カフカ、ジェイムス、ウェルズにチェスタトンといった錚々たるメンバーが名を連ねるこのシリーズにあって、やや格の落ちる感がしないでもなかった。確かに「タイトルに偽りなし」で、下品さや露悪、価値観の転倒といった要素には満ちている。しかし、いまいち作り込みが緩いというか、十九世紀的な粗雑さというか、プロダクツとして精錬されていないように僕の目には映った。その荒削りなところがまたこの作家を特徴付けているといえば、そうなのだろうけど。


 ある社会的な通念なり常識なりが先行してあり、それに逆らうことで表現を立たせるというやり方がある。ブロワはそのような位置にいる。ただ、それが前面に出すぎているので、頭から逆立ちした状態で始まり、そのまま最後まで逆立ちを続けているといった書き方になる。読者にとっては、どんでん返しであるとか、異化作用といったものに乏しくなる。


 そのような技巧に走ったところで作品の質が高まるという保証もないし、これはこれでいいのかもしれない。こうしてその不恰好さがまだ心の内に引っ掛かっているということ自体が、僕とブロワの戦いでブロワが勝利したことを証明しているのかもしれないのだから。


2015/09/24
 「利己的なサル、他人を思いやるサル―モラルはなぜ生まれたのか | フランス ドゥ・ヴァール, Frans De Waal, 西田 利貞, 藤井 留美 | 本 | Amazon.co.jp」


 こうしていつしかサル、および動物や自然全般に興味を抱くようになるというのが、好奇心が辿る遍歴の必然なのだろうか。読み物としても、気楽な薀蓄の宝庫であり、いくらでも探検していられる。これもまた、ビギナーの気楽さの段階といえばそうなのかもしれない。より正確に知ろうとすれば、物理的な困難を伴うに違いない。現実のサルに会えば、引っ掛かれたり、石を投げられたりもすることだろう。書物なら安全というわけである。


 一読して思うのは、著者の「人間好き」の深度である。人好きで、よってその集団である社会のことも信頼していて、その肯定力がサルの世界を眺める視点にも滲み出している。目に映るものを「無慈悲な自然」というのか、「母なる自然」というのかは、現象をどう受け止めるかという心根の問題になってくる。ドーキンスには我々は遺伝子を運ぶための道具に見えるし、グールドにはもう少し温かみのあるものに見えているのだろう。端的にいえば、それはほぼ育ちの問題ではないかと思う。


 ドゥ・ヴァールは恐らく幸福な幼年期を過ごした人間で、本書はそのお裾分けのような温もりに満ちている。個人的にはややその人間主義的な味が濃すぎる気はする。サルたちの行動について、もっと別のより即物的な解釈も成り立つのではないかという思いがちらちらとちらつくのだ。それは、僕があまり人間というやつを信頼できていないという悲しい証拠なのかもしれない。


2015/09/23
 「自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法則 | スチュアート カウフマン, Stuart Kauffman, 米沢 富美子 | 本 | Amazon.co.jp」


 持てる知識を総動員し、生命の誕生から人類の経済活動までを一枚の大きな絵の中に描き込まんとする野心的な一冊。いささか消極的な理論である進化論の対極に、ポジティブな「自己組織化」を据えることで、生命史の巨大な馬車を動かそうとしている。


 確かに、進化論は「首が伸びる」とか、「くちばしが変化する」といった枝葉末節的な形態の変遷を説明できる。しかし、そもそもそこにある「生命」という幹の部分については何も語っていない。「鳥のくちばし」どころか、御本尊であるところの「鳥」自体が途方もない謎の存在なのだ。そのあまりにも精緻にできた創造物は一体何を基礎にして生じてきたのか。


 本書はもちろん科学がベースになっているが、その口ぶりの熱っぽさはまさに新たな時代の神話を生み出そうとするが如きである。似たような表現が繰り返し用いられ、それを太古の太鼓のリズム代わりにして、読者は忘我の境地へと導かれるなどと言ったらいささか大袈裟か。読み手にも広範な知識の総動員が求められ、めくるめく知の曼荼羅の中へと放り込まれる。その幻惑の向こうに、複雑系が描く広大な風景が見えることだろう。


2015/09/16
 「Amazon.co.jp: 精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構: エリオット S.ヴァレンスタイン, 功刀 浩, 中塚 公子: 本」


 本書が出版されてからそれなりの時間が経っているので、もしかしたらいろいろ解明が進んだことがあるのかもしれないが、本書によればセロトニンやドーパミンといった脳内物質のバランスの崩れが精神障害の原因であるという確たる証拠はないということだそうだ。


 そのような脳内物質説は非常に通りのいい理屈なので、僕もつい口にしてしまいがちなのだが、検証的な対照実験では裏付けが取れていないそうである。欠乏している人もいるが、そうでもない人もいるということらしい。よくよく考えれば、脳というやつの半端じゃない複雑さを思えば、そんな単純な話で片がつくはずもないではないか。


 科学的なリタラシーを持つことはもちろん大切だと思うが、それ自体が非常に複雑で知的な負荷が高く、正直ストレスに感じることもある。それなら、何か一つのものを悪玉に仕立ててどーんとぶち上げてくれた方が楽じゃないかという誘惑が、むくりと頭をもたげもするのだ。いやはや、情けない話。


 巻末の監訳者(「功刀」と書いて「くぬぎ」と読むのだそうだ)によるあとがきには、余興話として、今まさにこの問題と戦っている現場の人間と薬師如来様との架空対話が収められている。そんなちょっとしたユーモアに、本書の専門性の高さにコチコチになってしまった心をほぐされ、気分よく読み終えることが出来た(それで済ませていいような内容でもないが)。


2015/09/12
 「戻り川心中 (光文社文庫) | 連城 三紀彦 | 本-通販 | Amazon.co.jp」


 先日はいささか舞い上がりすぎたので、少し意地悪なことも書いておくことにしよう。この文庫には五編が収められているが、最初の二篇でおおよそのテイストを読者はつかむことになる。ここまでくれば、既に連城節にメロメロになっているはずだ。そこからさらにグレードの高い作品を期待すると、後ろの三篇はやや技巧とミステリー的構成の融合感に乏しいと思えてしまう。これは贅沢な読み方である。


 表題作である「戻り川心中」は最後の一篇だが、本物より本物らしい文芸批評・伝記のパロディにもなっている。作品の中で架空の「天才作家」や「伝説の作品」を扱うことは書き手にとってリスクのあることだろう。それらがそれっぽく見えなければ成立しない。書き手のセンスや練達度が問われる案件だ。上手く遠巻きにすることでそのものズバリを描かないというやり方もあるが、本作ではきっちりそこまで書き込んである。これは素晴らしい挑戦であり、十分に成功している。


 「白蓮の寺」は幻惑的なイメージが多数ひしめきあっているが、それ故に風呂敷を畳みきれていない感が残されなくもない。似たような事件が二つ描かれており、書き手は当然自分が書いているのだから整理できるけれども、読者は初めてそれに触れるのだから上手く処理出来ないという、ミステリー(もしくは書くこと一般)にありがちな陥穽か。


 巻末の解説がまた奮っている。作者に中てられたのか、元々そういう文体の持ち主なのかは分からないが、作品に負けじと化粧を施した文体で迫る。どんな文章にも感染力があるというのが僕の持論だが、ポジティブな化学反応を起こすものはそれほど多くない。連城三紀彦には読み手を自分色に染め上げる迫力がある。今僕が書いているこの文章が、そもそもそのような結果として生れているのだ。


 さて、重箱の隅もいろいろと突いたが、その世界に囚われたが故に起こる不満であることは言うまでもない。こんなに夢中になって何かを読むこと自体が久しくなかったのだから、これは幸福なことである。


2015/09/09
 「戻り川心中 (光文社文庫) | 連城 三紀彦 | 本-通販 | Amazon.co.jp」


 名作の誉れの高いことは、昔から知ってはいた。しかし、何となく手に取りそびれてきたのにはそれなりの理由がある。要するに、ミステリーを読み始めた頃の晩生な僕にはいささか艶かしい気がし、ある程度年を食ってからはミステリーの範疇にあるものとして遠ざけてしまっていたのである。こうして、長いこと目の端に留めつつも、具体的な出会いの場面を持つことなくここまで過ごしてきた。


 今回こうして手に取ってみたのは、「Amazon.co.jp」で電子書籍版のサンプルを読むことが出来たからだ。今までも読みそびれてきた有名作をいくつか電子版で試し読みしてきたものの、これといって興を引かれる物がなかった。やはり、文章の水準で躓いてしまうことが多かった。そんなことが何度か続くと、もうミステリーとは縁がないのかもしれないなと思って、ますますその界隈へのアンテナを低くしてしまう。


 美しい文章とは何か。より短い文章で複雑な情報や情緒を伝達するということ。アルゴリズム、隠喩、レトリック。しばらく科学の世界に素人の気楽さで遊んだあと、もう一度そんなことを考え始めるようになった。連城三紀彦の名前を再び捕らえたのはちょうどそんな時で、その擬古調の鮮やかさに瞬く間に虜になってしまった。長いこと探していたものがそこにあった、そんな気がしたのだ。


 ページを閉じた時、濃密な花の薫りがぱっと立ち昇り、思わずむせ返ってしまったのは本書が見せた幻だったのだろうか。そのくらいの素晴らしい出来栄えである。表紙絵で少し損をしている気がするが、その特異で妖しい、仄暗き作中世界を知ってしまえばそんなことはどうでもよくなる。


2015/09/08
 世間はきっと、「CLCL」の突然のヴァージョンアップ情報に上へ下への大騒ぎかと思われます。クリボ履歴界のデファクトスタンダードでもあり、波及効果は甚大となることが想定されますので、しばらくは日経平均や為替の動向に注意が必要でしょう。


2015/08/31
 書を読むことの楽しみはどこにあるのか。カップに落とした角砂糖がコーヒーに溶けていくように、追った文字が己の中に溶けていき、微細な浸透圧の変化が小波となって全身に行き渡る時の微かな恍惚。僕は常に僕を追い越しているのだ。例え、そうは見えない時でも。


2015/08/29
 「Amazon.co.jp: はかない人生 (集英社文庫): オネッティ, Juan Carlos Onetti, 鼓 直: 本」


 本作の基層は、主人公の濃密な内面的韜晦である。彼は、何かと上手くいっていない現実の生活や人間関係にいささか表面的に対処しながら、その背後で膨大な独白を生産している。そのような「断層」が、この小説にはいろんなレベルで走っている気がする。


 不幸がその断層を生み出しているのか、それとも断層があるが故に不幸を呼び寄せているのか。主人公は何故、病後の回復に励む妻から心理的圧迫を受けているのか。幸福だった日々もあったようなのだが、世の常として愛が磨り減ったのか、いつしかそれも幻と気がついたのか、仔細には触れられていない。ただ、話の冒頭から濃度の高すぎる酸素のように息苦しい心理が、稠密な文体と共に読み手に間断なく送り込まれてくる。


 文章の中にいくつかのヒントを探すとすれば、主人公は何らかの理由で己の出自に辟易し、自らがどうしようもない方向へ流されていくのはその血の故であると述懐する箇所がある。その感覚は、個人的には分からないでもない。本当は幸せになりたかったのだが、何かが足りない。そのような人間が、膿みのように溜まっていく内面の地獄を吐き出す作業に、近代は「小説」というラベルを貼ったのではなかったか。


2015/08/26
 「Amazon.co.jp: 精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構: エリオット S.ヴァレンスタイン, 功刀 浩, 中塚 公子: 本」


 未だ解明が進んでいないにもかかわらず、脳内物質のバランスと精神疾患の関係が喧伝されてしまうのは何故か。


 「Aの原因はBである可能性がある」という情報の方が、「Aの原因はBである」という情報よりも、留保的である分いくらか複雑である。人間の思考の生理として、単純化や最適化の圧力が働くとしたら、前者が後者に自然と丸められてしまう。その結果、未だ不確定であるはずの情報が、何回かの伝達過程を経ると、いつしか確定済みのように扱われるようになるということがあるかもしれない。

 「留保」は軽微な緊張を精神に強いるが、「確定」ならばそれを解決済みとして解放できる。それがある種の「快感原則」として働けば、付随的な情報がじわじわとふるい落とされ、骨子だけが残されるということもあるだろう(要するに、未定の情報は扱いが面倒臭いのだ)。


 雑多な情報をまとめてコンパクトにしていくという能力は人間にとって大変に大事なものだったはずである。無数の計算式を一行の定理にし、様々な人生から得られた教訓を的確な警句にまとめ上げてきた。これは強力な性向であると思う。そうであるが故に、時に注意深くならなければならない。


2015/08/18
 「Amazon.co.jp: はかない人生 (集英社文庫): オネッティ, Juan Carlos Onetti, 鼓 直: 本」


 オネッティの特徴的な文体について。例えば、隠喩を一文の中に二回用いる。「それは、***のような、もしくは***のような、***であった」といったように。読み手としては、一回目の隠喩で習慣的に一旦息を付こうとするのだが、まだ文章が続いていて慌ててそれに付いていくという恰好になり、呼吸が乱され、軽微な違和感を薄っすらと覚えたまま読み進めることになる。


 この落ち着かなさは主人公の独白における当てのない彷徨を下支えしている。そして、それが作者自身の世界の感受の仕方の複写にもなっているのだろう。過剰な隠喩は文章が脂っこくなりそうなものだが、基本的にはドライなものである。イメージを豊かにするためというより、何かを焚きつけるためにそれは二度繰り返されているという気がする。


2015/08/14
 「Amazon.co.jp: はかない人生 (集英社文庫): オネッティ, Juan Carlos Onetti, 鼓 直: 本」


 車は長いトンネルの中をもう大分長いこと走っている。何秒か置きに窓の外をナトリウムランプの灯りが素早く通り過ぎる。二人は黙っているが、何も言いたくないわけではない。路面に刻まれた規則的な凹凸が、時折軽く車体を突き上げる。二人は黙っているが、何も言いたくないわけではない。


 この小説は、そんな重苦しい雰囲気を丁寧に持続させており、奇を衒ったところがあるわけではないが、特徴的で稠密な文体を持っている。それがおそらくこの作家が長い時間をかけて手に入れた宝玉なのであり、多分作家というものはそれを手に入れるために否応なく書き続ける他はない生き物なのであって、テーマとか内容とかに頭を使っている内は、きっとまだ何者でもないのだ。


 正直、科学系の読み物をいくら消費しても血肉となる部分があまりに少ないので、そんな自分が嫌になってきた。「小説」は、出戻った僕をもう一度温かく迎え入れてくれるだろうか? そんなことを思いながら読んでいる。


2015/07/31
 「Amazon.co.jp: 日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫): 網野 善彦: 本」


 「歴史」とは何だろう? 最近、イスラムとヨーロッパの間のいざこざに関する歴史の本を何冊か読んだ。もちろん、何年にどこで誰が何をしたかということは、タイムラインの把握に重要ではある。しかし、そのことだけで「現実」が丸められてしまうのも、いささか物を見る目としては粗すぎるという気もする。つまり、「現実」が「物語」になってしまうというような。それが行き過ぎれば、「現実」から遊離してしまうこともあるに違いない。


 本書はそのような年表型の歴史把握とは随分と趣が異なる。そこで生きた人たちが世界をどのように感受していたか、それを内側から把握しようとしている。もちろん、それにしたって想像の域を出ないのではという考え方もあるだろう。それでも、僕はこのような「歴史」なら、事実の羅列しただけのものよりもずっと深く愛せるという気がする。残念なことは、話がどうしてもややこしくなり、なかなか確定的な答を出すのが難しそうだというところか。しかし、過去とは本来そのようにしか掴み得ないものである。


 ある合戦の日の朝、夜明けとともに漂った朝靄の香りを、目覚めと共に歩兵たちは嗅いだことだろう。鳥たちはこれから何が起こるかも知らずにいつも通り囀っただろう。誰かが朝餉を準備を始め、宿営地のそちこちで湯気が立ったかもしれない。そういったことは「歴史書」には載らないことだ。しかし、現実はそのようなことを果汁のようにたんまりと含んでいるはずなのだ。


 「過去」を理解しようとすると、今の我々が持っている感覚をそのまま延長してしまいがちだ。「携帯電話がなくて不便だったろうに」などと言ってしまいたくなる。しかし、その時にはその時の最新のテクノロジーが使われていたに違いない。必要なことは、「過去」というものを我々とは違う自律の方法を持った「他者」として見るということなのかもしれない。


2015/07/28
 「Amazon.co.jp: 精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構: エリオット S.ヴァレンスタイン, 功刀 浩, 中塚 公子: 本」。心とケミカルの歴史について、専門性も維持しながら手際よくまとめられており、読んでいて気持ちのいい本だ。


 冒頭からなかなか刺激的な物言いが続く。我々が現在軽い気持ちで口にしているような「脳内物質と情動」の関係は実のところまだ大して証明されていないという。日光に当たってセロトニンを増やそうなんてのもまだ俗説のレベルか。


2015/07/23
 「Amazon.co.jp: 神は老獪にして…-アインシュタインの人と学問: アブラハム パイス, 金子 務, 太田 忠之, 西島 和彦, 岡村 浩, 中沢 宣也: 本」


 この本を読んで良かったことはと言えば、今後「科学」に対して軽はずみな発言をしなくて済むようになるだろうということである。よく分かりもしないのに、適当なアナロジーを長らく振りかざしてきたものだ。一般向けの解説本などには、我々に分かりやすいイメージを届けるために捨象された部分が大量にある。本書にはそれが生々しく記録されている。その高みにはとても辿り着けそうもない。


 もちろん、そのような過ちを犯したのはこの件だけではない。この手の「思い上がり」は、いわば僕の体に染み付いた汚水のようなものだ。気が付いたら、僕はその中に浮かんでいた。そして、その水の濁りが僕の視界を歪めているということが分かるまで、愚かなダンスを踊り続けるしかなかった。


2015/07/20
 「Amazon.co.jp: アラブが見た十字軍 (ちくま学芸文庫): アミン マアルーフ, Amin Maalouf, 牟田口 義郎, 新川 雅子: 本」


 概ね、日本の戦国時代とやっていることは同じだ。陣取り合戦に跡目争い、権謀術数のあれやこれや。もちろん、言い伝えられていることがすべてではない。むしろ、言い伝えられていることと現実にあったことは別の次元の問題であると言ってもよい。我々は何も見ていない。ただ、書き残された言葉があるだけだ。


 「神話」、「叙事詩」、「聖典」、「物語」、そして「意識の流れ」。言葉は次第に精細になり、我々の周辺に近づいてきたように見える。何故、我々は『古事記』や『オデュッセイア』をもう一度書くことが出来ず、『変身』や『嘔吐』の亜種を生み出すことしか出来ないのか。「書く」とは一体どんな作業であり、何に条件付けられているのか。


 最後に、「何故、我々は争うのか」と虚空に向かって問い掛けてみたが、じっと耳をそばだてても、こだまは返って来ない。


2015/07/17
 「Amazon.co.jp: グレイ解剖学の誕生―二人のヘンリーの1858年: ルース リチャードソン, Ruth Richardson, 矢野 真千子: 本」。近代解剖学の発展に大きく寄与した歴史的書物が如何にして生れたかを丹念に追う、歴史ドキュメント。著者の書物へのフェティッシュな愛情も微笑ましい。


 この医学書は非常に対称的な性格を持った二人の共著だった。しかし、そのバランスは決して公平なものとは言えなかったようだ。ページをめくるにつれ、多くの人は控え目で職人気質なカーターの方にシンパシーを感じていくに違いない。そして、この二人の関係に似たものを、自分の人生においてもきっとどこかで目にしている。


 『グレイの解剖学』は一八五八年に出版されたが、そこからちょうど三十年後の一八八八年、人体の内部に執着を抱いたと思われる人物による「切り裂きジャック事件」が起きている。十九世紀のロンドンは、人体を切り刻むという暗黒のファンタジーを醸成するに足る都市だったと言えなくもない。娼婦が内蔵を持ち去られる前に、無数の死体が冷たい検視台の上で切り刻まれてきた。未だ誰とも知れぬ犯人が、幼い頃にこの解剖図を目にしていた可能性は決して低くはあるまい。


 ところで、学術書のタイトルにある「element」を「要素」と訳しているけれど、これは「初歩」とか「基礎」とすべきところではなかろうか(「elementの意味 - 英和辞典 Weblio辞書」)。


2015/07/15
 「Amazon.co.jp: 冗談 (岩波文庫): ミラン・クンデラ, 西永 良成: 本」。文庫化していたので、一言。


 チェコという国について知っていることはさほど多くないが、共産圏の中では元々西洋寄りで、比較的速く自由主義に門戸を開いた国だと認識している。クンデラのこの処女作にも資本主義的的な享楽傾向と共産主義的な教条主義が、寄木細工のように組み合わされているといった印象を持ったものだ。


 古き良き「作家」のイメージをひらりと纏いながら、現代的な足取りで歩む作家。クンデラのことはそんな風に思っている。あの有名になった映画からこちら、「文学」のアイコンとなった自分自身を楽しんでいるようだ。しかし、二十一世紀という幹の中には、そもそもカフカもサルトルも埋まってはいないのではないか。そんな懐疑が頭を過ぎる。


2015/07/14
 それでも、日々僕に襲い掛かるリッチなコンテンツどもをどうにかして丸裸にしてやろうという思いが消え去ったわけではない。「YouTube」は日に日に重たくなるし、どこもかしこも広告だらけで嫌になる。しかし、そこで用いられている技術の水準がそもそも僕の手の届かないところにあるので、反撃のしようがないのだ。


 十年前はそうではなかった。 HTML をフィルタリングすればどうにかなることが随分とあったものだ。しかし、敵の成長はムーアの法則をエンジンにしているので恐ろしく早かった。今の僕に出来ることと言ったら、ウェブサイトが提供する素材をありのまま受け取り、己が手を使ってマウスカーソルを西から東へ動かし、クリックを千と一夜の間繰り返すことくらいだ。


 「iPod touch」「Miix 2 8」といった新しいお仲間も手元に増えたが、いまいち使いこなしている感じはしない(むしろ、弄ばれている)。もちろん、便利になったこともたくさんある。その輝かしさと引き換えにしているものについて、どうしても考えてしまう。


2015/07/13
  XP がいい加減だったのか、 Windows7 が厳密すぎるのかはよく分からないが、ポップアップメニュー型のソフトウェアと既存ウィンドウの間のアクティベートのやり取りがどうも XP 時代とは勝手が違っていて、時々イラッとすることがある。ポップアップメニューが終了した時に、どうも僕が思っている通りにはフォーカスが戻らない。具体的には、「Ninja」「Shorter Launcher」を利用した時にそういった現象が起こる。


 話自体が「重箱の隅」的なものでもあり、そもそもフリーウェア界隈自体がひとつの時代を終えて久しいので、これを解消すべく何か努力するということはないのだけど、とりあえず。


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