ごあいさつ
第125集のごあいさつ
老後の楽しみの一つとして、稚拙な作品を羅列するだけの拙いサイトを続けております内に、11年が経過し毎月の追加更新が第125集になりました。
そもそも老生が蒸気機関車に魅了されましたのは、旧国鉄時代の蒸機末期に近い1970年、41歳の頃です。いつしか40年の月日が過ぎました。
クラシック音楽を聴き始めましたのはそれより遙か昔のことです。1941年、小学校6年の頃でしょうか。SPレコ−ドからの入門です。それからの70年に及ぶ
自分史の中にあって、LP、ステレオ・レコ−ド、更にCDと目覚ましい進歩があります。また、僅かですが海外の音楽祭やオペラ座での感動体験をしましたし、
国内でも音楽会において数多くの曲を鑑賞して来ました。
さてあまたの名曲の中で1曲だけ、好きな曲を選べと云われますと、矢張りベ−ト−ヴェンの第九交響曲をあげます。この曲の作品番号は125です。
年をとりましたし、手持ちの拙作も乏しくなりました。第九の125に因んでと云いますのは烏滸がましいことですが、毎月初めの定期便としての更新は、
今回の第125集で終了させて頂きたいと存じます。今後は機会がありました折に臨時に追加更新したいと思いますので、今後もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2011. 7. 1.
目次
第125集 16点 index
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↓
第一部・第二部 思い出の蒸気機関車 遙かな煙・続編 2
第三部(1) 復活蒸気機関車(1)
第三部(2) 復活蒸気機関車(2) 去り行くもの・続編 4
第四部 付録 旅の思い出 空港 4景(2)
追記。昨年、初めて知ったことですが、第二次世界大戦の末期においても、1945年6月13、14日に日比谷公会堂で尾高尚忠指揮日響(現N響)の演奏による
第九の演奏会が開催されたとのことです。終戦2か月前の厳しい時代、空襲により廃墟に近付きつつあった首都において、高らかに第九が響き渡ったことは
特筆すべき驚異の事柄と思います。
当時この演奏会のことなど知る由もなく、四国の高松市において旧制中学4年生の小生は、学徒動員で連日、陸軍の飛行場建設にかり出されていました。
既に父は戦場の露と消え、自分たちも来るべき本土決戦において、高知に上陸して来た米軍と最前線で戦うという運命を覚悟していた、危急存亡の時代でした。
生の管弦楽団の演奏を聴いた経験は皆無でしたが、自宅にはワインガルトナ−指揮ウィ−ンフィルによる第九のSPレコ−ド8枚組がありました。
このレコ−ドも終戦の約1か月前、1945年7月4日の空襲により灰燼に帰しました。1947年に中学卒業後、進学で上京して以来、東京での生活が続いています。
60年余りの歳月が流れました。第九の演奏会も何回か鑑賞していますが、その度毎の筆舌に尽くしがたい感動感銘は申すまでもありません。
現在、第九のレコ−ド、CDの中では何といってもフルトヴェングラ−指揮のものと思っています。拙宅には9種の演奏会ライヴ録音盤がありますが、
愛聴していますのは、ベルリンフィル・1942.3.22.(OTAKEN)、バイロイト祝祭・1951.7.29.(EMI、ORFEO)、ウィ−ンフィル・1953.5.30.(DL)です。
東日本大震災のチャリティ・コンサ−トとして東京ではメ−タ指揮・N響の演奏で、またデュッセルドルフでは佐渡裕の指揮で第九の演奏会が開かれました。
第九は未来への希望と激励の礎となる曲と云えましょう。