〜それぞれの道〜 『北海道人力リレー縦断記』
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人力、という手段への執着 人目を忍ぶように、駐車場の一角に張られた三張りのテント。真夜中の闇の彼方から、さわさわと身体にまとわりつくように降ってくる霧雨。肌寒い空気。時折強く鼻をつく潮の香り。 予想はしていたものの、それは長旅の始まりとしてはあまりにも「暗雲立ち込めている」ことを告げるような、先の見えない空模様であった。 夏の襟裳岬はほとんど毎日のように濃霧(ガス)に包まれる。この岬の沖合が、寒流(千島海流・親潮)と暖流(津軽海流)のまさにぶつかりあうところであり、更にそこへ暖かい南風が、たっぷりと海の湿気をもらって吹き込んでくる……。それらがこの重苦しい気象の主たる要因と言われている。 七月二十四日午前二時。 何よりも早起きの苦手な部員たちの間を、無情のアラームが鳴り響く。 早朝、夜明け前のスタートという気分で臨んだつもりが、気が付いてみるといわゆる「草木も眠るウシミツどき」ではないか。「草木でさえまだ寝てんのに、なんでまた俺が起きなきゃならんのだ」とでも言いたげな浮腫(むく)み顔をこすりつつ、夢遊病集団がテントから這い出してくる。 サポート部隊も含めると、総勢十一名(記録者である「ぼく」は以後も人数に含めず表記する)となる。これは全部員のうち、「やる気」と「ヒマ」だけ持ち合わせたほとんどすべてのメンバーである。 深夜の岬に怠惰な熱気を漂わせつつ、先端に建つ灯台の横、「襟裳岬」の看板前に集結する。まだ海も暗く、たまにぐるり回転して照射する灯台のライトによって、互いの顔がやっと確認できる、といった程度だ。 四年生のイセムラと一年生のエンジンことホンダが、じゃれあいながら「H・G・W・V」(この部の略称)の人文字を作っている。 「こ、これで……ブイ、できた!」 などと戯れている間に、午前三時の出発予定時刻を回ってしまっていた。暗闇の中、慌てて勝手な方向に歩き始める。 いよいよ一ヶ月に及ぶ旅の始まりである。もっと重々しい姿を想像していたが、なんとも彼ららしい、アンポンタンなスタート風景であった。 襟裳岬のスタートには個人的に強い感情を抱いていた。 ここまで漕ぎつけるのにぼくのプライベートな時間のほとんどを割(さ)いてきた。極端な言い方をすれば、ここに立つことがぼくの目標だった。スタートさえできれば、彼らがどこで挫折しても構わないと思っていた。 ここからぼくはただの記録者、協力者であって、沢登り練習の時のような指導者的態度はもうやめる(と、この時はそう考えていた)。 この縦断を旅する主役はあくまで彼らだ。彼らに対して、ことある毎に「スタートは俺のもの。ゴールは君らのもの」などと吹き込んでいたのはそんな理由からなのである。 この100キロハイクの主役は是非とも新人に、というのが計画段階からの要望だった。 ある程度歩きの能力が分かってしまっている二、三年生よりも、ほとんど未知数の一年生がこの距離に挑むほうが面白い。 それにもし、主役が途中でつぶれてしまったとしても、その後は全員でリレーをしてつなぐことになっている。軟弱な計画のようだが先は途方もなく長いのである。最初からダメージを負わないよう、新人を捨て石にするのだ。 そんなわけで、最初のメンバー選考から果敢に名乗りを上げた哀れな捨て石が、新人の「ホンダ」であった。 本田啓輔(ほんだ・けいすけ)、十八歳。血液型O。長身のド助平な元気少年。股の名を太陽のエロス。しなやかできっちり腰の入ったその回転性能から「HONDAエンジン」と称される。 春からここまでの準備段階では、彼はどこに行っても笑いながら歩き、支笏湖までの予行練習でも笑いながら50キロ歩き切っている。 「アイツなら100キロもイケルでしょう」 というのが上級生たちの評価であった。 歩きの性能だけでなく、ホンダは新入部員にしてすでに、部内で一番のカヌー経験者でもある。九歳の時から漕いでいるという話だから、年数ではベテランの域だ。 体力も、経験も、明るさも兼ね備えているのだから、上級生にとっては手のかからない新人であろう。エロスに対する甚大な興味と、広末涼子に熱を上げているというあたりが年令相応である。 もう一人、飛び入りで四年生の伊勢村亮(いせむら・あきら)が主役に紛れ込んでいた。この春まで部の代表を務めていた男であるが、出番が少ないので特に紹介はしない。二十一歳。 そんな二人が先頭を歩き、いわゆる「日高組」ら数人がサポート的に伴走してゆく。
最初のチェックポイントで時間を計る。時速6キロ以上の好ペースである。しかしこの速度を最後まで維持するのは相当に難しいだろう。 待つこと十五分。集団からしばらく遅れて、遥か後方から女の影が忍び寄ってきた。二年生の「荒一天」もとい紅一点、雨女のクリヤマである。 たった一人の女性メンバーである彼女の、その興味深い素行に関してはいずれ改めて分析したい。そもそも、前年の初期計画段階で真っ先にこの100キロを希望したのが彼女だった。それが何故「陰の女」に甘んじるのだろうか? 答。このヒトはちょっと不思議なくらい歩くのが遅い、のである。いや、速く歩けない、といった方が正確かもしれない。そこそこ距離は歩くのだが、先の二人と比べれば一・五倍から二倍の時間を要してしまう。 そこで、フェミニズムとは無縁の世界に生息する野郎部員たちによって「放っておけ」という判断が下されたのだった。 唯一、彼女を女性扱いするエースサイトウが、マウンテンバイクで寂しくサポートに付く(余談であるが、二人は西表島以来かなり仲がいいのである)。 そしてやはり、と言うべきか、野郎たちの予想通り、クリヤマはわずか30キロ保(も)たずに早々と脱落したらしい。らしい、というのはぼくもさして気にしていなかったのである。申し訳ない。 えりも本町市街に近付いてくると、そろそろ空の色が白みがかってきた。相変わらずの霧、霧雨模様のため、夜明けも遅いしスッキリ明るくはならない。時折海が間近くなると、どんよりとした鉛色の海面が確認できる。波も少し高い。 荒一天クリヤマの怨念で雨足が強まってきても、彼らは負けずにTシャツ、短パンのままだ。車からビデオ撮影しているだけのぼくにとって、気温はかなり低く感じるのだが、びしょ濡れのホンダを気遣うと 「身体が熱くならないから、ちょうどイイッス」 などというまだまだ強気なセリフも出てくる。よし、少し多めに先回りして、のんびり待つとしよう。 この計画に関して常に「人力」という語を使い続けているのには、一応の信念らしきものがある。ちょっと意志の弱い面はあるものの、普段からぼく自身がチャキチャキの「人力旅行者(ジンリキスト)」を自称しているからでもある。 自分の筋力とか川の流れを大切に扱い、単純な道具を使って素朴な旅をすることに、好奇心のほとんどを費やしているのだから、かなり純な人力派ではないかと思う。 だいたい人力「派」も何も、未だオートバイや自動車の運転免許を取得していない。頑なに拒んでいた記憶もあるし、ただ単に機会がなかっただけのような気もする。 何度かそのために資金を貯めかかったが、その都度(このお金があればドコソコまで旅行ができる)などと思い直すのである。 正直言って、アスファルトの道路も排気ガスも嫌いだし、できれば肯定したくない。最近はナイフや銃のように有益な道具を凶器として嫌悪する良識者が多いように思えるが、あれは相手を傷つけようと意識して初めて凶器となる。自動車に乗る人たちは誰一人として誰を傷つけるつもりもないはずなのに、現実として道内だけでも年間五百人以上の殺人や自殺行為が繰り返されている。 「小学生の列に居眠り運転の車が突っ込み、数人の児童が死亡」なんてのは事故ではなくて無差別殺人だ。少なくとも肉親にとってはそれと同じことだ。 自動車とその運転手がこの社会においてあくまでも強者として、弱者を脅かし、殺し続ける凶器としての立場を変えない限り、ぼくは迎合なんかしたくない。 この100キロハイクは途中から国道を離れ、地方道を利用することで落ち着いたが、なんとか国道を一切使わずに済む美しいルートはないかと最後まで苦心していたのだ。なるべく自動車と関わりたくなかった。 しかしながら、自転車を先へ回したり、カヌーを運んだりするために車を何度も使うのである。人力などと言っておいて、こんな矛盾はつつけばいくらでも出てくるだろう。 悩んだり、無理にこじつけてもしょうがない、と割り切ることにした。今は、主役の彼らがどこまで、どんな風にやれるのかが興味のすべてだ。 ひょっとしたら「人力」の語をこの計画にあえて当てているのは、彼らに対するぼくの期待の表れなのかもしれない。この思い入れを少しでも解ってくれるかな、という……。 HONDAエンジン失速す 36キロ地点の様似町で、一旦サポートメンバーを車に収容し、浦河まではホンダに託すことになった。イセムラも意外に早い段階で脱落し、期待を外してくれていた。 54キロ地点、ほぼ中間に当たる浦河町で、昼食がてら一息つく手筈とする。 ところがどうしたことか、浦河の到着予想時刻をいくら過ぎてもエンジンことホンダは現われない。様似まではかなり快調にペースを上げてきたはずだった。文明の利器、携帯電話を駆使してサポート班とやりとりするのだが、どうやらホンダは明らかに失速し始めていた。 総合の所要時間はまだまだ快調な数字だった。ほぼ規則的に時速6キロをキープしている。しかし、ここへ来てからの急速な下降線は悪い兆候だった。 十一時四十分、やっと浦河港に全員が集結する。ホンダの様子が気になる。 「足の裏が……ちょっと痛むんです」 表面上は笑顔を保とうとしているが、目に見えて元気が消えている。彼の足は、雨と蒸れのためにグチャグチャにふやけてひどい有様になっていた。ついでながらニオイもひどい。 もう少し考えておけばよかった、と反省しても、あとの祭りである。靴下をこまめに取り替えたり、靴の種類を考えてみたり、ニオイ取りを使ったり(これはどうでもいい)。 やろうと思えばいくらでもできたことだが、そんな細かいことにはまったく無頓着なのがこのヒトたちの良さでもあるからしょうがない。 問題はホンダを生かすか殺すか、次の二者択一になった。 一、このままホンダに託し、あくまで彼と心中する。 二、計画通り、残りをリレーでさらりとつなぐ。 ホカ弁を食いながら時間をかけて検討する。さてどうしたもんか……。 ホンダは食欲も旺盛で、体調自体は問題がない。ただ足の痛みだけのようだ。彼の限界を見届けたい、との思いはぼくも他のメンバーも同じであったろう。でももしそれで穴を空けたまま明日の区間に移って、意気が下がりはしないだろうか。 最終的にはホンダ自身の判断であった。そもそも監督も何もいないのだ。 「どうする、続けるか?」 「うーん……」 一年生の彼に決断を迫るのは少し酷な相談であった。限界まで歩きたいのはヤマヤマだろうし、でもそれで時間が遅くなり、尻切れになった時は責任を感じて後悔がヤマヤマだろう。個人競技なら考えるまでもなく前者だが、彼らの夏はまだ始まったばかりだ。 悩んだ末、後者に決定となった。悔しそうなホンダは、空気の抜けたような笑みを浮かべてホカ弁をむさぼり食っている。残念だが、そうと決まればリレーの順番ぐらいは決めなくてはいけない。 それぞれの身体と相談した結果、ここまで体力を温存してきたデーブヤマモトと、サポート車を運転してきたタムタムことタムラが二人で歩くことになった。 「ああーもう、くやしいー!」 とホンダが悶えながら、でも何故だか嬉しそうに、ポケモン万歩計を渡している。浦河で既に6万歩を越えているらしいから、最終的には12万歩を越えそうだ。ピカチュウも喜んでいるだろう。 「行くよーん」 と、いつもの能天気な足取りでタムラが動きだす。雨の中、残り半分弱の完歩を目指して仕切り直しである。
「あれ、いなくなっちまった」 自転車で併走することにしたぼくが、雨具の準備に手間取っているうち、二人が見えなくなるまでほとんど時間を要さなかった。道を間違えたものかと思って全速で追いかけると、やがてデーブヤマモトだけが見えてきた。 「タムラさん速すぎですよ。あっという間に見えなくなっちゃって……」 今までずっとサポート車ドライバーに甘んじてきたせいか、後輩思いのタムラの走り屋魂に火がついていたらしい。 サポータータムタムこと田村真樹(たむら・まさき)、二十三歳。血液型O。エゾシカの機能美とエゾリスの不注意を合わせ持つオトコ。せっかく親から授かった甘い顔立ちと張りのある肉体を、注意力の散漫と軽薄さで台無しにしてしまっている。 しかし、どんな形であれ決して彼を悪くなど語れない。準備期間から、彼の協力なくして中心メンバーたちはあれほど思うように動けなかっただろう。 ぼくにしても、今ではすっかりタムタムのサポートを当てにし、信頼を寄せている。そう、とりあえず自動車の運転技術以外は。 「これはマラソンか、それとも駅伝だったのか?」 タムラはすっかり走っちまっていた。自転車で追い付くのに苦労したくらいだ。 更にそこで、気持ちの収まっていないエンジンことホンダが自転車のサポートを希望してきた。 なるほど、あと46キロをマウンテンバイクで走り切れば、とりあえず100キロを人力でつないだことになる。気分も少しは晴れるだろう。100キロハイクも100キロバイクも大した違いはない。 急遽100キロバイクに切り替えた世界のHONDAは、やはり二輪車の大御所ということで、生き返ったようにペダルを踏み付ける。 「いやー、チャリってなんまらいいっすねえ!」 コテコテの北海道弁で喜びを表すホンダエンジン。彼は何しろ肉体派であるらしく、身体を動かしていないと死んでしまうらしい。 浦河から山側の道道(どうどう。北海道が管理する道路)に入ったことで、横を走り抜ける自動車の数は激減した。道路は時折貸し切り状態で、すこぶる快適だが、代わりに上り下りが激しくなってきた。後半に来てこの山道はキツい。 ところでタムタムことタムラは……、およそ10キロ以上の距離を一時間で歩き(いや、走りだ)、たっぷり貯金を作ってお役御免となった。一気に爆発炸裂燃焼して果てたタムラはサポート車に収容され、デーブヤマモトが後を引き継ぐ。 その後は歩くつもりのなかった者までリレーに加わり、総力戦の様相を呈してきた。その都度元気な者が駆り出されたり、自分から飛び出したりする。 しかしなんということか、タムタムことタムラの引き起こした突発的一人駅伝状態は、他の連中にまで飛び火してしまった。スピードでいえば競歩以上マラソン以下、というか、やっぱり走っちまっている。 「これはあくまでハイクなんだけどなあ」 と、呆れているのはぼくだけのようだった。みんな明日の行動を考えれば抑えておきたいはずなのに、何だかちょっと真剣である。記録に挑戦しているのでもないし、テレビカメラが密着しているわけでもない。それでも無性に走りたい(走らされる?)衝動に駆られるっていうのは、やっぱり馬力を持て余した学生時代の象徴のようなものだろうか。 何故100キロハイクなのか、と問われることがひょっとするとあるかもしれない。答えるまでもない質問だが、理由などない。そもそもこの縦断行自体に、特別な意味などない。そして100キロハイクはその無意味の所信表明みたいなものだ。 「静内から日高山脈に入るのがいいなあ。それじゃあ襟裳岬から静内までは何をやろう。距離は……お、ちょうど100キロか。?、100キロって、一日で歩けるもんだったかなあ」 この思考の流れをピタリ当ててくれる人に出会うとホッとする。そんな人は「意義のないことの面白さ」を理解してくれる。そして、このワンダーフォーゲル部にはそんなヒトが実に多いのである(理解しているかどうかは怪しいが)。 初めにこの計画の青写真を示した時から、彼らは100キロハイクに対して一点の疑問も不満も抱いていなかった。意味のないことに心血を注ぐ行為でも、ごく当たり前のように受け容れていた。それがぼくを最初に喜ばせたのだった。 「100キロなんて誰が歩くんだよ、おい!」 などと騒いでおきながら、逆に 「お前、100キロ歩けるか?」 と煽られれば、うおーやるぜー俺はいけるぜーと簡単に反応してしまう単純馬鹿が、例えば野人タカヤを筆頭にゲンエキにはまだまだいるのだ。 何でも合理的なのが素晴らしいと信じ込まれているこの御時世に、そんな無駄なエネルギーを浪費してしまう贅沢さ。それをぼくも愛してやまないのである。
初日からはしゃいでいていいのか? 静内川を遠く見下ろす小さな峠の展望台に立つと、もはや100キロの終点は手の届きそうなところにあった。車の距離メーターは95キロを指している。前日の計測では104キロあったから、あと9キロだ。 100キロハイク改め100キロ駅伝の最終区間と決めたここから、元気な連中が総出で歩くことになった。ぼくとドライバーコタニ他、数人がひと足先にキャンプ場へ向かう。 静内町御園のキャンプ場に、昨日のうちから話を付け、自転車や大きな荷物を置かせてもらっていたのだ。研修施設のようなキャンプ場だが、こんないかがわしい学生グループにも色々と融通してくれて嬉しかった。 さて最終組である。最後の最後に来て、世界のホンダエンジンが再始動、復活である。 並みの男(エンジン)ならサイクリングだけで疲労するものだが、さすがは世界のホンダ。自転車を漕ぎ続けるうちに足の裏はかなり回復し、回転数も上がってきたようだ。元より疲労によるリタイヤではないのだから当然といえばそうである。 いつかまた改めて、この男の100キロハイクを見届けたいものだ。 十八時十分。まだまだ元気を残したホンダエンジンが到着。「グリコ」のマークとそっくり同じポーズでゴールのテープに飛び込んできた。色々あったが、ひとまず彼には「オツカレサン」である。 他のメンバーもぞくぞく帰ってくる。みんな部分的にしか歩いていないから、それほど感激もない。ただ、マッチことマチダだけは本人の意思以上にかなり歩いていた。ヨタヨタになってゴールイン。日高の縦走が心配である。 「カンパーイ!」 ホンダグリコの掛け声とともに、ぼくはあらかじめ振っておいたビールを、上半身裸のホンダ、野人タカヤにぶっかけた。ほんの少しだった。ほんの冗談のつもりだったのだが、そのイベントは瞬時にして感染し、手のつけようがないビールかけ大会になってしまった。 叫喚、絶叫。 おいおい、始まったばかりでこんなにハシャイでいていいのか? とぼくの冷静な思考は不安になる。しかし、ここまでストイックな準備期間を過ごしてきて、久しぶりの開放感は歯止めが効かなかった。 あとから思えば、活きのいい新人にすべてを託して、それで結果がどうなろうと構わなかったかもしれない。結局のところ、そんなことはどうでもよかったのだと思う。 それでも傍から見ていたぼくの目には、これからひとつの目標(宗谷岬)に向かって仲間でつないでいく、その最初のステップとして理想的だったようにも見えた。なにせこれから一ヶ月のすべてがリレーなのだから。 先行き不透明なままスタートに漕ぎつけた面も多々あったから、今日一日でメンバー全員の胸に「ようし、やってみるか」というような張りが生まれたような(気がする)のも効果的だったろう。 普段なら、「10キロ歩こう!」なんて誘われても絶対やりそうにない連中である。それがフタを開けてみると、もともと100キロハイクのメンバーではなかったただの応援団まで、自発的に歩きだしたのが面白い現象だった。 「なんだか予想以上に楽しくなりそうだな」 とぼくは、すっかりビール臭くなってしまったキャンプ場の一角で、鼻歌混じりに明日の準備を始めたのだった。
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もうたくさんだ、表紙へ帰る
もう一丁来い、二章へ飛ぶ