〜それぞれの道〜

『北海道人力リレー縦断記』

天塩川
天塩川にはこんな御節介施設がたくさん出来てしまった


目次を見せてくれ


[第九章]

悲しき大河天塩川を下る


 オグラ・オン・ザ・リバー

 夏の終わりが近づいている。
 八月十五日の朝が来た。お盆の土曜日とあって、道北のこんな田舎町でも人通りが激しい。
 川旅の始まりはのんびり優雅にいきたいところだが、OBヨネムラの車を名寄まで回したり、夜行明け朝イチの列車で合流する野人・タカヤを駅まで迎えに行ったりと、雑事で忙しく時間は流れる。
 依然として気持ちは離れたまま、彼らを見るぼくの視点が定まらないために、段取りの歯切れも悪い。
(どうにかならんかな)
 とも思うのだが、一度見限ってしまうと、もうだんだんどうでもよくなってしまうのである。悪循環だ。彼らを相手にすると気分が悪くなるので、もっぱらOBヨネムラと会話して過ごす。

 つくもキャンプ場のやや下流で、石積みの堰が天塩川の流れを塞いでいる。この下の溜りが出艇に良いだろうと、カヌー(ファルトボート四艇、ゴムカヌー二艇)と荷物を担いで大移動をする。
 何のための堰だろうと思い、川畔に建っている御立派なレリーフを見ると、プッ、
『多自然型親水護岸』
 なんて書いてある。
「ガッハッハッハッハッハッハッハ……」
 笑いが止まらない。笑止千万とはこのことだ。
 数年前から建設省や開発庁(国民から河川管理等を任されている役所のこと)の仕業でこんな名前をつけた工事が流行しているが、見るたびに可笑しい。「自然」の石をコンクリートでたくさん埋め込んだから「多自然」ということらしいのだ。もう一度笑おう。
「ガッハッハッハッハッハッハッハ……」

 だいたいだ。手を加えた時点でそれは疑いなく「人工」であり、「自然」の状態に戻すことさえ100パーセント不可能だ。役所も当初は「近自然」工法と、本来の的確で謙虚な表現を用いていたが、こともあろうに「多」はないだろう「多」は。
 更にこのレリーフに書かれた文章のトンチンカンぶりもまた凄まじいものだった。

『周辺の自然との調和を考慮し、大きな石やカラマツ材などの自然材料をふんだんに使用しました』

 植林されたカラマツや削った石が自然なら、セメントや石油だって「自然材料」ではなかろうか。こんなインチキな工事で洪水や侵食が防げるのなら、そもそも何も手を加える必要がないようにも思える。ついでながら、この周辺に「自然」などない。
 北海道全体で見ても「自然」の川なんてのは無に等しい。「無自然型」とか「反自然型」と名前を変えるべきではないか。
 彼らの「自然観」は驚異的だ。コンクリート護岸の隙間に植樹すれば「自然」、種類が何であろうとサカナさえいれば「自然」、護岸に穴を空けてカワセミが入れば「自然」、あるいは「自然と人間の共生」である。
 ぼくは今わざとこの語を使いまくっているけど、その「自然」をいいだけ食い潰してきた張本人にシゼンシゼンと連呼されると吐き気がする。おぞましい。
 もし今、北海道の各河川を彼らのセンスで表現したなら、「自然の多い川」だの「自然の残る川」なんてのがたくさん出てくるだろう。ところがアイヌ語の川の名にそんなものはただの一つもない。この理由を、一度しっかりと考えてみるべきだ。ぼくたちがいかに幼稚な「自然」観しか持っていないかを知るために。

 ブツブツ文句を言い過ぎた。何はともあれぼく以外の連中には初めての川なのである。最初から悪い先入観を与えてもいけない。
 流芯の上に漕ぎ入れるとカヤックはスーッと抵抗なく流れに乗り、今まで縛られていたつまらない俗事やシガラミは消し飛んで、絶対の自由が手に入ったかの如く、痛いほどの開放感が胸をこじ開けた……なんていうのは別の川での話であって、今回は悲しいくらいにそれがない。
 足を浸すのもためらうほど不健康に濁っているというのに、なんの嫌がらせか恐ろしく浅い。初っぱなから数十メートルおきにフネを下りて歩かなくてはならなかった(この作業をライニング・ダウンと呼ぶ。夏の渇水が当然な日本の川ではかなり使用頻度の高いカヌー用語である)。
 ぼくがある程度先を行き、なんとか乗ったまま通過できそうなラインを読む。しかしフネによって喫水(沈む深さ)が違うのと、彼らが前をよく見ていないせいで、隊列は既にバラバラである。

 何か妙な音が川面を流れてくるな、と思ったらエンジンことホンダがラジカセを鳴らしているのだった。
 この男は一年生にして悪ノリの作法をわきまえているらしい。もしこれが気持ちの良い川だったらたちまち非難される行為だが、水遊びもできないこんな川では悪ノリしかすることがない。天晴れである。
 しかもテープはどうやら小椋佳だ。
「うっ、プッ」いかん、また笑ってしまう。いや、失敬。
 べつに小椋佳をかけるセンスをどうこう言うのではない。「ホンダと小椋佳」の関係を思い出すと笑ってしまうのである。

 あれはこの縦断の出発前だった。彼の(小汚い)下宿にオジャマしたことがある。
 何気なくCDの棚を見るとずらり小椋佳だ。
「うおっ? なんだコイツ。こ、これもシブいセンスって言うべきかな……」
 オグラ以外にも何枚かあるにはあったが、広末涼子など音楽とは無関係な(失礼)ものばかりだった。とすれば、コヤツのまともな音楽摂取はオグラのみ、ということになる。
 何故だ……。
 ぼくは納得がいかず、彼にいくつかの質問をしてみた。そして突然、あることに気が付いたのだ。
「もしかしてホンダ、最初小椋佳って、女だと思わなかった?」
「そ、そうなんですよ実は。最初は可愛い名前だなあと思って買っちゃったんですよ」
 当たっちゃったんですよ。
 そう、彼はジャケット写真のない小椋佳のCD(初期の頃は銀行員という身分を隠して活動していた)を、名前だけ気に入って買ったのだ。オッサンと判ってびっくりはしたものの、聴き込むほどに気に入って、ついには熱烈なるファンになっちまったのである。
 以来、彼の音楽的嗜好はオグラ一途である。こんな不思議な男も世の中にはいるのだ。
 話がすっかり支流にそれてしまった。天塩本流に戻そう。

ホンダ
オグラサウンドに乗って川を下るホンダエンジン


 街の外れには、川を渡るために設置したと思しき平たい飛び石の工作物があった。これも恐らく「タシゼンガタ……」の工事に違いない。また笑いたいが省略。
 左手から支流の剣淵川が合流すると、水深は一旦安定する。これは水量が増えたためではなく、このすぐ下流に頭首工(堰堤)があるからだ。
 今の時期はまだ農業用水の需要があるのか水門は閉まったままで、上流側の流れは止まっている。
 右岸の水門ギリギリまで近寄って上陸し、それぞれのカヌーを陸上移送する(この作業をポーテージと呼ぶ。ダムや堰堤があって当然な日本の川ではかなり使用頻度の高いカヌー用語である)。
 堰堤越えをしているとそろそろ昼メシ時になってきたが、リーダーマチダの厳しい判断によって更に下る。
 やはり、堰を過ぎれば再びの浅瀬地獄だった。剣淵川効果も焼け石に水である。

 日向橋を越えて、左手に小さな発電所の放水口が見えてくる。これは「雨竜発電所」という施設名で、山向こうの雨竜川(石狩川の支流である)の水を堰き止めて作った朱鞠内湖の湖水を、別水系のこちら天塩川に落として発電しているわけだ。
 おかげ様であちら雨竜の本流は夏になるとカラッケツに干上がってしまう。北海道電力も随分なことをしちゃっているのだ。
 しかもこの日は発電所からさえも、まったく水が出ていなかった。よって、天塩川もまだチョロチョロのままである。
 正確に流量で見たなら決してチョロチョロなんていうものじゃなくて、全体に水は滔々と流れているように見えるのだが、いかんせん川の容量そのものがデカ過ぎ、あちこちで川底が露出してしまう。
 つまり、大河が大河であるだけの水を有していない状態なのである。

 岩盤のむき出た小さな落ち込みが、嫌になるほどたびたび現れた。
 この手の流れは、普段ならかなり気を遣うタイプのものであるが、今回は何故かどうでもいい気分だ。そもそも水量が少ないことで生じる瀬や落ち込みは、パワーがないので危険も少ないのである。
 唯一気にするとしたら、ぼくの私物レンタルである二艇のファルトボートだ。しかしこれらも、マッチことマチダとエースサイトウの両名に、キツーイ注意を加えて任せたので大丈夫であろう。
 彼らにはこう言ったのだ。
「ゼッタイに、傷一つ付けないこと! 浅瀬に乗り上げそうなときは手前で飛び降りること!」と。
 おかげで二人は目をひんむいて真剣にルートを探っている。普段からそうしておれば、部のフネも格段に寿命が延びると思うのだが。
 いつもの彼らはフネが壊れるハプニングを喜んでいるフシがあって困る。
 他のメンバーを振り返れば、ごちゃごちゃバラバラ……。やはり各自様々なコース取りをしては岩に乗り上げたりしている。

 OBは優良サポーターであるべし

 左岸に手頃な川原を見つけ、昼食とする。
 水が綺麗か汚いか、ダムがあるかないかは川辺の石に顕著に表れ、排水の多い川では特に川原が臭い。
 ここも昼食をとるにしては食欲を減退させられる臭気が立ちこめている。直接座る気にもなれない。天塩川を悪く言うのは気の毒だが、とにかく札内川とはえらい違いである。
 ぼくは買い置きの菓子パンで済ませ、彼らは丁寧にポテトサラダサンドを作っている。
 OBヨネムラは、と見れば何やらごそごそと取り出してお湯を沸かしている。
 ハクション大魔王が出てきそうな銅製の湯沸かしポットと、耐熱ガラスのコーヒーポット、それにドリッパー。
「いやあ、現役の皆さんに美味しいコーヒーを飲ませてあげようかと思って」
 素晴らしい、彼こそOBの鑑(かがみ)だ。口を出さずに提供だけする。
 それに引き替え、最近のぼくは「無言の口」を威圧的に出しているようなもので、なんのサポートにもなっていないではないか。

 ヨネムラ大魔王の入れたコーヒーは本当に旨かった。
 彼とは長い付き合いだから何度も飲んでいるのだが、道具が不充分だろうと豆が安物だろうと、どうにかして美味しく淹れてしまうのが彼の素敵なところだ。作業の集中度が違うのだろう。
 一同、大魔王入魂のコーヒーに感激しつつ、ぴしと舌を打つ。

 天塩川は、その水の汚さとは無関係とでも言いたげに、水鳥や野鳥が多い。特にアオサギなどは他のどこでも見られないくらいの大群をしばしば見る。
 水面を泳ぎ回り、水中の生きものを補食しているはずのカモ類、果てはカワセミまで頻繁に見かける。当たり前だが、ためらいもせず水に飛び込んでいる。
 思わず「君たちこんな水でいいのか?」と問い掛けてしまう。
 本当にそうなのだ。
「これで水が澄んでいたらなあ」と、最初に訪れた時から何度そう思ったことか。
 もし天塩川の水が四万十川くらいに澄んでいたら、恐らく南と北で川旅愛好者の人気を二分していただろう。
 特別目を引くような見どころも遊べる瀬もないのだが、何故か天塩川は心休まる雰囲気と北海道的な開放感を備えている。
 このすぐ先にある堰堤を最後に、海まで160キロメートル近くも障害物がない、という落ち着きにも起因しているのだろうか。それは、川の流れが堰き止められることなく一つにつながっている安心感、のようなものだ。
 これが天塩川から感じる強烈な「個性」と言えるものだろうか。

 その二つ目の堰堤は左岸に上陸、ポーテージした。
 この場所には何故かいつも幾人かの釣り人やギャラリーが集っている。十年前なら川下りのこんな集団は大注目を浴びただろうが、天塩川はここ数年カヌーのイベントで盛り上がっているらしいから、あまり気にされずに済む。
 対岸では中年の男たちが川を覗き込んで何やらヒソヒソやっている。せっかちな鮭がもう上がってきているのだろうか。なんにしろ、こんな水にでも人が集っているのは少しホッとする光景であった。
 もうこの先は海までも、天塩川を遮るものは何もない。流れの落ち着きと共に、気持ちも穏やかに落ち着いてきていた。

堰堤越え
堰堤越えは実に手間が掛かる。これは一つ目の頭首工


 新設の橋(南大橋)を過ぎてしばらく進むと、名寄市到着を告げる鉄橋が見えてきた。
 今では使われていない古い鉄橋。四年前に廃止になった深名線の鉄橋である。
 思えばこの縦断計画では、士幌線、天北線だけでなく、広尾線とこの深名線の残骸も通過することになる。もっと広い見方をすれば、他にも名寄線、美幸線、羽幌線がからんでくる。
 いつの間にか北海道は廃線天国になってしまった。

 鉄橋のすぐ下流側、右岸に上陸。
 河川敷は細長い「パークゴルフ場」として使われているらしい。下流に見えている橋は名寄市街に通じる曙橋だ。
 川べりも芝生の細いベルト状になっているので、そこにずらりとテントを張る。今回は積載量に余裕があるためか、ほとんどのメンバーが個人テントを使っている。
 車の回収がてら、代表して夕食の材料を買いに行く。
 メニューを思案していると、ヨネムラ大魔王がぷっくり出た太っ腹を割いて、焼肉の宴を催してくれることになった。彼の株価もうなぎ登りである。

 川畔で炭火を起こして焼肉、ビールを満喫する。
 小さな炭火を囲んでいると、名寄に住むぼくの友人一家が激励に、というか見物に訪れた。日本酒『国稀(くにまれ)』の一升瓶が差し入れられる。
 まだ小さな二人の子供たちは、怪しげな男たちの宴に目をクリクリさせている。怯えてはいないようだが、彼らの小さな瞳にこの川べりの宴はどう映っているのだろうか。
 ぼくが友人のことを「北大の演習林に勤めている」という前置きで紹介したにも関らず、学生たちは最後まで一言も話し掛けることをしなかった。
 山や川を自力で旅しているのだから、質問などはいくらでも湧いてきそうなものだが、彼らは相変わらず小さな輪のまま、殻に閉じこもっている。

 OBヨネムラは今日中に帰る予定だったはずが、アルコールの誘惑に負けてついにテントを張ってしまった。
 酒を飲むとたちどころに眠ってしまう彼は、スマートにサッと飲んでサッと寝た。焚火中毒の現役部員たちも、炭火には魅力がないのか酒を残して寝てしまった。
 珍しく居残っているホンダエンジンと二人で山のメシ談義。いや、談義というよりぼくの独演会に近い。
 大げさに脚色したぼくの体験混じりのヨタ話に、ホンダは遅くまで付き合ってくれた。

 翌朝。目を覚ますと雨がテントを叩いていた。
 やれやれ、また彼女(雨女)が来たのを忘れていた。
 小降りになったところを見計らい、勢いをつけてテントから飛び出ると、OBヨネムラが彼のテントから顔を出していた。
「コーヒー入ってますよ」
 うむむむむむ。ぼくの知るところではこんなマネのできる男は決して出世しないが女にはモテる。
 似たような男は今の世の中にも多いが、たいていはただ小まめなだけであって、そんなヤツは必ず大声で「コーヒー入ってるヨオーッ!」などと自分の仕事をアピールするのだ。実はぼくがそれだ。
 この男(喫茶ヨネ)は雨の中、誰かが起きてくるのをじっと待っていたのだろう。それを思うと泣けてくる。
 そうしてOBヨネムラは自分の役目(喫茶業務)を終えると、今日のデートのために帰っていった。まだ朝七時である。さすがだ。彼の前途に幸あれ。

 雨の中の出発準備はユウウツだ。何度も何度も経験しているのに、やっぱり嫌である。
 ここのパークゴルフ場の東屋に一人で入り、軽い朝食をとる。
 昨夜はOBヨネムラの申し出に感謝して彼らと焼肉を囲んだが、今日からまたキッパリ別々にやろう。彼らとはもう必要以外の会話は交わさない。距離を置き、このモヤモヤが消えるまではあまり接触しないことにする。
 ぼくのような男はこうするのが一番楽だし、自分のペースで動けてストレスも溜まらない。そんなことを考える。

「おはようございます!」
 と、パークゴルフの人たちに大きな声でしっかりと挨拶された。
 雨にも負けず、名寄の中年男女は元気だ。こちらもついつい笑顔になる。
「雨で残念だね」
「いえ、そんなこともないですよ」
「川下り、楽しいでしょう」
 天塩川も変わった。地元の人からこんな言われ方をしたのは初めてだ。
 しかし人々の意識は劇的に変化したとしても、護岸や水の汚れは変わらない。嬉しさの反面、そこのところがどうにももどかしい。
 おずおずと、マッチことマチダが出発を告げにきた。こうして区間ごとのリーダーがぼくに報告する風景はもう日常になっている。
 今までリーダーという肩書きは便宜的なものとしてあまり意識していなかった。しかし思い起こしてみると、各リーダーは常に自覚を持っていたし、それなりに責任を持って行動を決定していた、と思う。
 一年生でも三年生でも体力も技術も関係なしに、リーダーと決まっていれば緊張感を持って務めていた(ように見える)。
 ぼくが不愉快な顔で壁を作ったために、彼らの神経が張りつめているのなら、それはそれで良かったのだろうか。


マッチ
真剣な目つきで流れを読むマッチことマチダ


 水の汚さでも道内一、二位を争うつもりか

 そうして八月十六日の川下りが始まった。
 雨は時折激しさを増して降りつけた。
 大きな橋の下に入り、カヌーに乗ったまま雨宿りをすることもあった。でも水の上にいるせいか、不愉快な気分になることもなかった。最大最悪の不愉快はこの後突然訪れる。

「????……」
「うわわわっ、なんじゃこりゃあーっ!」
 支流の名寄川は製紙工場の廃水が混じっていて汚く臭い、という現状は既に彼らにも伝えてあった。しかし、この「なんじゃこりゃあ」は松田優作ではなく、今まで何度もここを見ているぼくの叫びである。
 それは信じがたく、信じたくもない光景だった。
 焦げ茶色から褐色の水。おびただしく揺らめくクラゲ状の浮遊物。すえたような焦げたような、不気味な異臭。
 これは地獄だ。地獄の川だ。
 堪え切れなくなったように、ホンダエンジンが弱々しく叫んだ。
「こんなの川じゃないよ!」
 汚染され尽くした石狩川の下流で育った彼をして、この発言である。
 少々の辛いことや不慮のアクシデントにも笑って対処してきたこのメンバーが、黙って口を閉ざしてしまった。
 川の上からパドルの水音も消えて、寒々しい静寂が一行を包んだ。
 川遊びが好きで好きでしょうがない彼らにとっては、あまりにも酷な「天塩川毒殺」の現場だった。
 しばらく放心に近い状態で無感情に流れ下る。

 智東に差しかかると風景だけは落ち着いてきた。
 岸辺ではオオハンゴンソウと思しき黄色が無邪気にけたたましく咲き乱れている。が、例のクラゲの大群は相変わらずだ。
 それにしても……なんで水鳥がいるんだ、と憤る。
 納得がいかない。これは死の川ではないか。死の川ならそれらしく、すべての生きものたちが死に絶えてほしい。そうでもならないと、この国の人たちはなかなか気付いてくれないから。
 目に見えない世界での「環境破壊」報道(ダイオキシンなど)には異常に敏感なくせに、目の前の破壊には意外に無頓着なのだ。
 名寄の友人宅にあった新聞で、ちょうど一週間前に天塩川のカヌーイベントがあったことを知った。奇しくも今日と同じこの区間である。
 手放しで浮かれるその記事に、ぼくは強い疑問を抱いてしまったのだ。参加者のコメントも信じ難かった。
『自然が豊かで感動!』
 なんてどこを見て言ったんだ、と思う。いま目の前で殺されているんじゃないか。
 それはしかし、分からないでもない。確かに周囲の環境はとても豊かで、野鳥の多さも格別の感がある。
 ただ寒冷地の性なのか、北海道には「川は触れるものではない」といった風潮がある。泳ぐと面白いですよ、と言っても信じてもらえないことが多い。
 触れてはいけない水の上を、簡単に移動できてしまう禁断の味、といった程度の感覚が、天塩川における不思議なカヌーブームの実際かもしれない。
 そのこと自体を非難してもしょうがない。それをキッカケとして、川に人が(しかも地元の人が)集うようになったのは素晴らしいことだ。
 でも、その時が来たら一気に破壊の実態が認知されるだろう、と期待していたぼくには、無邪気な「感動!」の一言がちょっときつ過ぎる。

 静寂の中、丸々太った金色のウグイが跳ねる。特別大きいのはマスだろうか。この水に? と思う。
 カヌーに驚いたカワアイサが、うるさく騒ぎ立てながら水面上をバタバタと逃げる。オジロワシの幼鳥らしき猛禽がもったりと飛び立つ。
 死に水を見せ付けられたおかげで、いつも騒がしい部員たちが黙りこくってしまい、水面はこの上なく静かだ。オグラも聞こえてこない。
「智東の瀬」と呼ばれる場所に入る。
 ここはその昔、天塩川で一番の難所として恐れられた、という。そういえば何となく峡谷状の面影はある。今ではほんの少し波が立つ程度のものだが、水量がずっと多かった時代はどんな波が立っていたのだろう。
 この日の水量でもまったく嫌らしさはなく、全員難なく通過する。

 相変わらず小雨はじりじりと降り止まない。
 休憩が必要なほど疲労することもないのだが、たまには大地を踏みしめて休みたい。で、自然と橋の下へ雨宿り場所を求めてしまう。
 間もなく現れた「東恵橋」の下に無理矢理カヌーを着けて大休止とする。
 ぼくと彼らの間にある溝は別としても、彼らのムードがどことなくヨソいきのままである。シラケている、というわけではないが、明らかに彼らのいつものノリが消えている。
 お世辞にも綺麗とは言えない、いや、毒々しいほど汚された川を、交通手段として自ら選択してしまっていること。普段なら快楽を求めてこその川旅なのに、雨の中強行軍でキリキリ動いていること。すべてが初めての体験なのかもしれない。
 何せ元々がルーズ過ぎたのだ。
 今回の経験を基に、今後の活動方針ががらりと変わるなんてことはあり得ないだろうけど、夏が終わってまたいつもののんびり旅に戻った時にも、こんな経験はきっと活きてくるだろう。
「やればできる」というようなカラ自信を、「きっと」付きでいつまでも思っているだけではダメだ。機会あるごとに、心を鬼にして実行してこそ本当の「やればできる」になる。
 そんな意味でも、この縦断行が今一つ天候に恵まれないのは逆に良いことかもしれない。彼らはここまで充分に「やればできる」だけの行動力を証明しているから。

 美深町では再び橋の下に上陸し、ここから街へ、夕食のための買い物に出た。
 天塩川にはほど良い間隔で町があり、食料はせいぜい二日分も持っていればいい。アドベンチャー的要素は皆無だ。
 橋の下でいつものように簡単な昼食を摂っていると、目前の水面にバシャンバシャンとゴミが落ちてきた。
「ナニゴトだ!」
 と憤慨して見ると、それはどうやら御供物のようだった。そういえば今日はお盆の日曜日だ。
 実は二つ手前の橋でも見かけていた。その時は、この地域の人たちはゴミを川に捨てる習慣があるのかと思い、愕然としたのだ。北海道には実際そんな地域がまだ結構あるから疑いもしなかった。
 しかしそれにしたって、スーパーのポリ袋に入れたまま橋の上から放り投げるのは止めてほしいものだ。あれで御先祖様が喜ぶとはとても思えない。
 川岸まで下り、すべての包みを解いて流すのがどれほど手間なのだ。川に流すのは包装なしの花や食べ物だけにしてもらいたい。そうしないと野人タカヤが今にも拾って食べてしまいそうである。

 美深市街の少し下流にちょっとした瀬ができていた。水量の加減で、岩盤が部分的に顔を出している。
 さして難しいコース取りでもなかったのだが、まさかと思う場所に、コタニ・クリヤマ艇が引っ掛かった。二人とも乗ったままジタバタ喘いでいる。
「降りろ降りろ、そこで沈したら張りつくぞ!」
 いつまでも何もできずに照れ笑いを浮かべている。(ダメだこりゃ)と諦めていたら、艇は岩から自然に離れてくれた。
 クールなコタニの操船はともかくとして、どうも雨女クリヤマに前方監視をしている気配がない。いや、しているのかもしれないが、この人は常人より反応が鈍いので、間に合わないだけなんだろう。
 先日の十勝川でもこの二人組で共倒れ(沈)したらしいが、あまり学習した形跡は見られない。男女の差などほとんど関係ない「のんびりカヌー」だからこそ、彼女には一人で漕いで流れに慣れてもらうべきなんだが、昨年からずっとキッカケを掴めずにいるのだ。

コタニとクリヤマ
クールに難所へ挑むコタニと、引きつり気味の雨女クリヤマ


 栗山尚子(くりやま・なおこ)、二十歳。血液型O。さほど活動的ではなかった四年生の女子部員二人がこの春卒業したことで、名実共に「紅一点」の座を手に入れた……はずだった二年生。
 しかしながら、女性としての扱いを受けることがほとんどないのは何故だろう。
 答。
 彼女の場合、馴染み過ぎている、のである。
 西表島ではほとんど毎日裸足で歩いていた。キャンプだけでなく、スーパーで買い物をする時までもだ。トイレなども一切ないビーチなのに、まったく気を遣う必要がなかった。
 北海道に帰り、ゴールデンウィークの鵡川下りでも裸足になっていたのには、さすがにぼくも驚いた。
 それはしかし、この部にいる以上はいいことなのだろう。歴代の女子部員を思い返すと、ほとんどは男たちに気を遣われていた。
 ちょっと可愛いとやたら大事にされるし、水面下での男たちの争いが醜く展開される。たとえそうでなくても山や川では特別扱いとなり、荷物の重さが同等になることはない。
 雨女クリヤマはふっくらとして可愛くて、基礎体力こそ野郎たちに劣るものの、野外生活への馴染みにおいては同等か、それ以上だ。
 ゆえに、男たちは彼女を特別扱いせず、少なくともトイレで気を回すことなどない。
 彼女の父親が山岳部出身、という背景も大きいようである。恐らく成長の過程で他の女の子とは少し違う扱いを受けたのだろう。並みのコギャルではなかったのだ。
 それにしても、高確率で雨雲を呼ぶのと、反応が遅いのはなんとかしてもらいたい。

 やっぱり変だぞカヌーポート

 本日の終点と目している美深温泉の手前、紋穂内橋の下流側には「モンポナイの瀬」がある。川幅一杯に横切る川床の段差でできた、小さな落ち込みのようなものだ。名前は十年前、ぼくが勝手に付けた。
「このもうちょっと先にねえ、モンポナイの瀬っていうのがあるんだよ」
「そ、それはヤバイところなんですか?」
「うーん、何せ今までに三十五人もの人がっ! 犠牲になってるトコだからねえ……」
「マ、マジですかそれ!」
 本気で信じるはずもないのだが、退屈し切っていた野人タカヤなどは「サンジューゴニンだってよサンジューゴニン、ウッホッホッホ」、などと期待感を満面に表している。
 結果は彼の期待ほどではなかったろうが、この瀬(落ち込み)は今回の川下りで最も迫力があったように思う。水量のちょっとした加減でずいぶん変化するものだ。
 過剰な前置きがあったせいか、彼らの表情もここで一番真剣になっていたようだ。

 美深温泉の真横、「カヌーポート」なるものに進入し、泥にまみれて上陸する。今日はここでキャンプだ。
 以前はこの温泉に川からアプローチすることができなかった。数年前、この川を舞台に始まったカヌーのイベントに、開発局が便乗する形でカヌーポートの建設が広まっていった。
 これで予算を取れると気を良くしたのであろう。今では天塩大橋のたもとに「本物」のカヌーを据え付け、天塩川の看板代わりにしているくらいである。
 開発局の仕事を請け負うある業者が、札幌のカヌーショップを訪れて
「天塩川がカヌーの盛んな川だということをアピールするため」
 などと言って二艇も購入したそうだ。貴重な血税を使って、庶民を馬鹿にするにもほどがある。

カワッピー
雨抜きに穴が空けてある。カヌーもこれでは浮かばれない


 彼らが川のことをどれほど「分かっちゃいない」のかは、このカヌーポートを見ればよーく分かる。
 昔の蛇行をショートカットした直線の川岸に、ただ凹型の入江を掘り込んだだけなのだ。これではたちまち砂泥が堆積して上陸できなくなる。そんな予想も出来ない河川技術者がいるのだろうか。
 しかし真に驚くのは、こうした動きを地元のカヌー「愛好者」が歓迎しているらしい、ということだ。

 十年ほど前から、長良川の河口堰建設に反対の意志表明をする「カヌーイストの」集いが続いている。当初は会の名称を「長良川カヌーイストミーティング」といい、それはミーティングの名に恥じない、キャンプの夜の熱い討論会だった。ぼくは随分と刺激を受けて北海道に戻ってきた。
「こっちの川でも、あんな話し合いの場を設けて、役所に訴えかける機関ができたらいいなあ」
 と思っていた。
 人付き合いの苦手なぼくは、自分を奮い立たせて動くこともできず、ただ情けなく待っているだけだったが。
 するとしばらくして、唐突に「釧路川ミーティング」というカヌーのイベント案内があった。
「やった、北海道民も黙っちゃいないじゃないか。しかも釧路川だ。面白くなるぞ」
 しかしながら、それは北海道人の「精神ビンボー」を露呈するだけのお祭りに過ぎなかった。「ミーティング」などなかった。どこかのエライさんの講演が終わったところで、ぼくはドキドキしながら言いたいことをまとめていたのだが、場は急速に焼肉ビール食べ飲み放題の大宴会に変わってしまったのだ。
「これは……何?」
 と困惑するぼくの周囲では、地元のカヌー乗りたちの酔いどれミーティングが始まっていた。
「この間なんか、弟子屈まで三時間で下っちゃいましたよおー」
「やっぱアレですよね。カヌーを載せるんならヨンクの車がキマリますよね、ね」
 時期が時期だっただけに、ぼくはその時同郷の人間としてとてつもない恥ずかしさを覚えた。長良川に集まった人たちは本気で「国」と向き合っているのに、釧路川ではあのひどい改修工事に問題意識さえ持っていないらしいのだ(しかもこの「食べ飲み放題」には税金が使われていたらしい)。

 その何年か前、弟子屈町内の大改修が終わった当時、川を下ってきたぼくに対して町の人が放った一言を思い出していた。
「キレイになったから、下りやすかったべ」
 イメージ先行の環境保護「ブーム」をマスコミが煽って以来、田舎の人まで「地球がどうのこうの」と言い始めたが、見たことのないオゾン層は気にしても、真っすぐなコンクリート河川をキレイと感じる感覚は変わっていない。
 天塩川のカヌーポートも地元愛好者が喜んでいるくらいだから変わらないだろう。寂しい話ばかりだ。

 カヌーポートに文句を言いながら、温泉に行けるのはやはり有り難かった。これまた情けない。
 到着が遅かったのでテントだけ張り、夕食も食わずにいきなり温泉へ向かう。
 お盆の日曜日とあって、風呂はイモ洗い状態だった。しかし三百円で久し振りの快感を味わい、身体に染み付いた汚水の臭いも落とす。

 八月十七日。
 まだまだ夏は終わらない。そう、終わってもらっちゃ困るのである。しかし追いかけっこのように、秋が迫っている。
 今日も泥まみれになっての出発。

 徐々に天は晴れ間を見せ始め、水面に空の青が映って水の汚さも気にならなくなってきた。
 水深は安定し、細かな注意も不要になって、やっと川旅本来の伸びやかな開放感を味わう。弱い向かい風もまったく問題にせず、軽快なペースで北上を続ける。
 天塩川温泉の下にも数年前からカヌーポートが出来ている。
 ここのは見る限り「ポート」とは言えず、カーブした外側の岸を斜めに造成しただけである。常に流れに洗われるためか、砕石だらけだった人工川原も徐々に馴染んではきている。
 それにしても、以前は温泉に入りたければ相当な藪漕ぎを余儀なくされたものだが、開発局がちょっとイベントに乗り出しただけですごいことになってしまうものだ。
 法律上では一般人は「川岸の草木一本たりとも」手を加えてはいけないそうだが、役所は川をいじくるのなんか屁とも思っていないようである。たとえそれがどんな目的であろうと。

 と、文句を述べた上で、厳かにここで昼食とする。

 今日の終点とした音威子府大橋の手前で、川はえらく浅くなっている。深い部分を選び、早めに右岸寄りの細い水路に入ると、スンナリと事なきを得た(ぼくだけ)。
 橋の下のプライベート・スペースにそれぞれテントを張る。川原ではないが、意外に落ち着く場所で、街も近い。
 ぼくの天塩川下りは終わった。川用の装備を広げて乾かす。
 ふと見れば、彼らは川べりの護岸スロープに全員並んで青春している。タカヤたち日高組は当然のようにアロハシャツでキメている。夕暮れの淡い陽光を浴びて、なんだかちょっと素敵だ。
 そうだ、こんな風に楽しそうにやっているのを横から眺めようと思っただけだったんじゃないか。ぼくはいつの間にか自分の目的や欲求が複雑化していることを再認識し、ハッと我に帰るのだった。

音威子府
広い浅瀬に立往生する未熟なかわうそ団。正解は矢印の水路


 明日からのことを少し考えてみよう、と思った。
 元々の予定としては、今日は天塩川温泉付近でキャンプだった。明日はここまでの短い行程で、縦断本隊はゴムカヌー二艇を畳んで終了。「天塩川続行班」は引き続き中川まで下る、という内容だったのだ。
 今日を調子よく下ってこれたおかげで半日の余裕が生じ、元気者ホンダエンジンのわがままを聞き入れる余裕ができてしまった。
 彼はここ音威子府到着を前にして、「今日で終わりかあ」だの「もっと下りたいなあ」だのとボヤキ続けていたのだ。
 次に天北線が控えているとはいえ、明日ここに縛り付けておいたら、彼は壊れてしまうかもしれない。

 協議の結果、縁の下のクールなコタニがまたも身を引き、ホンダに席を譲ることになった。
 どちらにしろコタニは、サポート車をどこに残置していくか悩んでいたから、これですっきり陸上移動に専念できるわけだ。ホンダエンジンは子供のように大喜びである。
 彼らと今後の予定をしっかり話し合ったおかげで、少しは会話しやすくなった気がする。もうあと何日もない。余計なことは忘れ、記録係に撤するべきだ。
 相変わらず食事は別々に済ますのだが、ちょっとふっ切れたかな、と思える夜だった。

 何か違うんじゃないか中川町

 八月十八日、縦断二十六日目である。しかし、縦断本隊は休養日。他の五人がこのまま海を目指す。
 名寄から回収されてきたサポート車に同乗し、本日ぼくはエンジン動力の日である。
 他人が楽しんでいるのを遠くで眺めるのは屈辱的だが、写真やビデオに集中できるので、今日はただの「撮影日」であり、カメラマンに撤するのだと諦める。
 幸なのか不幸なのか、陸上班にとっては酷なほど素晴らしい青空が広がった。
 思いがけず川下りを延長できることになったホンダエンジンはハシャぎ過ぎである。コタニもいつものクールぶりで涼しい顔をしているが、腹の中には黒いものが滲んでいるに違いない。
 音威子府から20キロ先、佐久までの区間は、天塩川下りで最も快適な流れを持ち、かつ最も風光明媚なところでもある。周囲には天狗山、神居山、鬼刺山など怪しげな山名が並び、川はその谷間を縫って蛇行する。
 途中の川原で待ち伏せて、切ったスイカを川岸に並べておく。太陽光が盛夏のようにじりじりと照りつけており、上半身裸で現れた水上メンバーたちの喜びは期待以上であった。

 川で泳ぐことをこよなく愛する彼らは、天塩川に出て以来ずっと欲求不満が溜まっていたのだろう。それがここへ来て噴出してしまった。
 ちょっとしたきっかけで、俺も、俺もだ、と次々に川へ入る。
 水の汚れも少し薄まってきたとはいえ、あの名寄の廃水を見た後でよく身体を浸けられるものだ。四日も付き合ってきたことで馴染んでしまったのだろうか。
 いつもの彼らは、全国的にも屈指の美しく澄んだ川ばかり相手にしている。だからといって汚い川を馬鹿にするような発言もないから、年齢の割りに結構「分かっている」ようにも思う。
 この汚水で泳ぐのは、彼らの身を挺した「愛情表現」なのかもしれない。

 ぼくはずっと、人間は弱い動物だと思っていた。でも最近、少し見方が変わってきた。
 人間はひょっとすると、最も環境悪化に強い動物ではないか。人間は慣れるのが早い。空気が悪くなっても、水が薬漬けになっても、結構平然と生きている。
 逆に、屈強そうな野生動物がいとも簡単に絶滅してしまうのは、ニホンオオカミなどの例を今更出すまでもない。
 東京に行くたび感心するが、猛烈な排気ガスでぼくがむせている横を、通学の子供たちは平然と走り回っている。慣れているのだ、と思う。

 こんな話もある。
 ある団体が、東京の子供たちに本当の川を見せてやろうと四万十川に連れていったところ、「これは川じゃないよ」などと言われてしまった、という。排水溝としての川しか見たことがなかったのだ。
 聞いた時は背筋がゾッとする思いだったが、落ち着いて考えればそんなものだろう。
 それ以後、「あと何年でその感覚が主流になるのだろう」と淋しく考えていた。しかしホンダエンジンが名寄川の廃水を見た時に、奇しくも東京の子と同じセリフを吐いて、ぼくは少し救われていた。
 自分は大丈夫だとしても、彼らにもこんな水には慣れてほしくない、と思う。

 初めて天塩川を下った時、音威子府で出会った大工のおじさんが
「オレが子供の頃は天塩川の水を直接飲んでた」
 と語ってくれた。五十歳くらいの人である。
 今の音威子府付近の水質は言うまでもなく、見る影もない。
「その頃の川を見てみたかった」と、ぼくは猛烈に悔しがった。しかしせめてそんな話だけでも、忘れずにいようと思う。
 ぼくがこうして何べんも地元の悪口を書いてしまうのは、いつか健全な水を取り返してほしいからだ。天塩川が好きだからだ。慣れてもらっちゃ困る! のである。

 川が直角に曲がって北へ向かい出す「佐久」という集落で再び待ち構え、一緒に軽い昼食をとる。
 ついでにアイスキャンディーの差し入れ。ハダカでうだっている連中は大喜びでかぶりつく。
「ここから流れが緩くなるし、向かい風も吹いてくるだろうから難儀するよ」
 この抜群に安定した空の下、高確率で当たるはずの忠告も意味を持たなかった。彼らは前半と同じペースのまま、快調に中川に到達してしまった。

 中川町の市街手前で、右岸からトヨマナイ川という支流が流れこんでくる。
 ぼくが最初にここを下った十年前、この流れ込みは天塩川でも珍しい好キャンプ地で、小ぢんまりした川原でささやかな焚火を楽しんだりもできた。
 しかしその後、訪れるたびに川岸の環境は悪化し、今では土手の上に田舎根性丸出しの豪華オートキャンプ場までできてしまった。
 見れば「ナポートパークなんちゃら」なんて書いてある。料金は、メモる気も失せるほどアホらしい金額だった。
 隣接する温泉も、以前は「ぽんぴら温泉」という名の実に素朴な施設だったのが、今や高級ホテル風のリゾート温泉施設である。レストラン(食堂ではない)やプールまである。
 名前は「ポンピラ・アクア……」忘れた。メモってもいない。

 そんなに外国語が好きなら外国に住めばいいじゃないか、と思う。英会話もろくにできないヤツに限ってワケの分からん外国語を使いたがる。
 根底にあるコンプレックスが丸見えだというのに、ここの受付の町職員が妙に気取っていて恥ずかしかった。
 そもそもここ中川町の旧名である「ポン・ピラ(アイヌ語で小さな・崖)」をとって「ぽんぴら温泉」。これで完璧ではないか。
 例えば百姓にとっての野良着は完成されていて美しく、自然だ。しかしそのおとっつぁんがタキシードを着れば顔だけ浮いてしまうように、その派手な建物は閑静な空気の中で恥ずかしく浮いていた。

 恐るべきことが、支流トヨマナイ川でおきていた。
 このキャンプ場には付随して「カヌー工房」なるものが建てられている。そこで作ったカヌーの「試乗」を目的として貯められた池は、よく見ると川を堰き止めて作られているのだった(!)。
 信じがたい無教養、川への無関心。しかも当初の計画ではもっと深く掘り込んで、そのまま天塩川に漕ぎ出せる「入江」にしたかったらしい。
 バカもほどほどに言うべきだ。天塩川までカヌーを「たった50メートル!」運ぶことがそんなに大変なのか。無用な開発を監視できる立場のパドル漕ぎが、開発局とつるんでなんてことをしているんだ。
 やりきれない。気持ちのやり場がない。
 ぼくは内地の田舎でカヌーをやっている人にもたくさん会ってきたが、その多くはガキの頃から近くの川で遊んでいた人たちで、みな一様に開発や水質悪化を憂いていた。二十年、三十年と見続けてきた人たちだからこそ、深く訴えうるものがあった。
 ここ中川町には郷土の山や川に対する愛着や誇りなどないのだろうか。奪い尽くし、利用し尽くし、自分の代だけ保(も)てばそれでよし、なのだろうか。

 川下り班は当然のように、川べりの護岸の上にテントを張った。たとえ料金が格安だったとしても、あんな駐車場みたいなところにテントは張らないだろう。
 彼らの川旅もあと二日か三日。
 海まで下ることで、最初は汚い汚いと嘆いていた彼らの中に、また別の感情が生まれることを期待する。
 そうしてぼくとホンダエンジンは再び音威子府へ舞い戻ったのだった。

トヨマナイ川
トヨマナイ川流れ込みでキャンプの「海まで下り隊」



 おっと危ない危ない、ここまで一緒だったタケウチの話をすっかり忘れていた。
 彼のことはぼくも全然よく分かっていないのだが、とりあえずここまでの経緯を少し遡っておこう。
 竹野内豊(たけのうち……あ、違った)竹内豊(たけうち・ゆたか)、十八歳。血液型はA。素性はまだ一切不明。
 ホンダも細いがナカオはもっと細く、タケウチは更に鋭く細い。当然ながら筋力は極小で、見るからに虚弱体質。しかも、何をそんなにオドオドしているのだ、と誰もが尋ねるほどのオドオド症候群。

 ボヤッキーナカオ、ホンダエンジンと共に、新人長身トリオの一角を担うはずだったが、どうも彼はこのオチャラケ集団に乗り切れないらしい。
 計画段階では一応しっかりと「川下りをしたい」旨の意思表示をしていたのだが、「この連中に付き合っていたら大切な夏休みをみんな持っていかれる」と恐れたのだろうか。
 休み前、ちょうど部員が集まっている時に、彼は例によってオドオドと話し始めた。
「夏休み中は休部したいんですが……」
 おいおい何を言いだすんだ、とそれを聞いたときは信じられなかった。
 込み入った用事でもあるのかと思えば、アルバイトをしたいのだという。何故そんな必要が、と聞けば自動車の免許を取りたいのだという。
「ああ……」久し振りに耳にしたよ、そんな理由。
 気持ちを抑えながらも、ぼくは自分の思うところを述べておいた。
「それじゃそこいら中にいるテキトーな大学生と一緒じゃないか。ワンゲルに入った意味もないし、ここまでこの計画に関わってきた意味もない。金なんかいつでも稼げるけど、こんなことはそうそうできないよ」
 でもまあ嫌ならしょうがないな、とその時はそう思った。イヤイヤ参加する者が一人でもいれば、全体の空気が乱れるのは目に見えている。それは例えば最近のぼくのように。

 悩んだのか、ホンダに説得されてしょうがなく、なのか、タケウチはオドオドしながらも天塩川へとやって来ていた。
 しかし海まで下ったらすぐ札幌に帰るのだという。
「もう二日延ばせばゴールまで一緒に行けるのになんで?」と言いたかったが、これ以上問うと責めるようなものだし、今の彼にはアルバイトの方が大切なんだろう、と思ってあげることにした。
 天塩川はこの先流れがなくなり、海が近くなれば更に、彼らが今まで味わったことのないような厳しい向かい風と直面することになるだろう。
 オドオドタケウチがどこまで我慢できるか、それも試されることになるだろう。
「気を付けてな」
 と声を掛け、ぼくとホンダエンジンは天北線の出発点となる音威子府に舞い戻ったのだった。



ここまできたらもう十章へ

いやはや長い話だ、一度戻る