ひき逃げ遺族の会                   












ひき逃げ遺族の声
    

ひき逃げ」犯人は、今どこに
 
 平成11年9月1日、夕食が終ってのんびりしていた午後9:00、電話が鳴った。お袋が、と言ったきり声が出ない。声の主は弟だった。どうしたんだとせかすと、家の前でお袋が轢かれて救急車で運ばれた。と声を震わせている。

 私は実家まで30分の道のりを、車で全速力で走った。着くと現場は騒然としていて、現場検証をやっていた。警察官に状況を聞いても取り合ってくれない。どこの病院へ運ばれたのかようやく聞き出して、駆けつけてくれていた従兄弟に、病院へ行って、状況を知らせてくれと頼んだ。

 最初の車が母を轢いて逃げた。二台目の車は母を車の下にして止まった。警察への通報は女性のその人だった。反対方向から走ってきた3台目の車が、母を轢いて逃げた。サンダルのスリップ痕の10m先は血の海だった。不思議に1本のタイヤのスリップ痕があり、最後は止まらずに走り去った事を物語っていた。と概略がわかった。現場検証が済むと通行が再開された。ひき逃げだというのにいいのかな、と疑問に思いながら、知らされた病院へ駆けつけた。

 母はすでに死んでいた。遺体は司法解剖するからと、警察のライトバンに無造作に乗せられた。私は車が走り去る前に抗議した。これは遺体なんだ、荷物じゃないんだ。と取り扱いを改めるように怒った。担当者はうなだれているだけで、埒があかない。病院から高額の請求書を受け取って、3週間前にガンで逝った父の遺骨がある実家へ戻った。

 翌朝4:00、捜査官が横一列になって、証拠品を集める作業を始めた。しかし、何一つ遺留物はなかった。警察へ行って、病院での遺体の扱いを厳重抗議した。遺体は3日後に帰るという説明と、これからの捜査方針などを聞いた。朝からヘリコプターが飛び、スピーカーから大音量で事故状況を説明し、目撃者は警察に知らせるようにと言っていた。

 遺体の搬送はその後、お棺に入れられるように改善されたと聞いた。
 現場に花と線香を供えたら、迷惑だからやめてくれ。と近所の人に叱られた。夜になって、警察官が現場を走る車を止めて、チラシを配っている。目撃者探しのためだ。私はその1枚をもらって、知り合いの印刷屋さんに走った。翌日、3万枚印刷したチラシを持って、新聞販売所に翌朝の折り込みを頼んだ。
 そのチラシはその後、電柱に貼ったり、床屋、銭湯、酒屋、ガソリンスタンド、コンビニなどにも貼ってもらうよう頼んだ。目撃者探しにも使った。近所の人には、迷惑だからもう来るな。と言われた。

 3日後、母が帰ってきて、父の遺骨の前に遺体が置かれた。はねられて骨が砕け、解剖された遺体はぐにゃぐにゃだった。
 3台目の車の犯人が出頭した。やくざ紛いのその男は、親分と一緒に実家に来た。一応侘びとけ。との態度が見え見えだったので、怒鳴って追い返した。

 葬儀に2台目の運転手と3台目の運転手が来て、厳しい話し合いをした。一部の親戚には、1台目の犯人を見つけるのはお前の義務だと言われた。遺骨になって帰ってきた母は、父の遺骨と並んで祭壇に置かれた。

 3台目の車の犯人は2度目も追い返したが、3度目に来た時は服装がすっかりまともになり、言葉づかいも普通になって丁重な侘び言葉があった。初めて家に入れ、線香を手向けてもらった。チラシを1枚くれと言う。それをコピーして駅頭で配り、1台目の犯人逮捕に協力させてくれと言う。人間が変わってくれたのだと思った。

 父が亡くなって、母と一緒に墓地と墓の契約をした。埋葬は49日の法要の日にしようねと決めていた。すでにできていた父の位牌は廃棄し、夫婦位牌にした。約束の日に、父と母を一緒に埋葬した。

 目撃者は出てこなかった。無理やり聞いた警察情報を元に、家族全員で1台目の車を探した。空き地に放置された不審車両、現場に止まった車両、最近ぶつかったと思われるへこんだ車、など何でも気がつけば警察に連絡した。しかし捜査は進展しなかった。母の死を悲しんでいる暇はなかった。

 事故後1ケ月程してから、全国交通事故遺族の会へ電話した。ひき逃げされて犯人が捕らないがどうしたらいいか。という私の問いに、納得のできる回答はなかった。今になって考えれば、その時ただちに適切な回答を。というほうが無理だったのだと思う。

 3ケ月後の翌年1月から私は転勤になった。会社は、犯人捜査にかまけて、仕事に支障があると考えたのかもしれないが、その無慈悲な仕打ちに、絶望感すら感じた。家族は会社を辞めることを提案した。しかし、私は意地を張って辞めずに、単身赴任した。転勤先からは毎月帰省し、交通課長に捜査状況を確認した。ふがいない内容に、最後にはいつも大声になってしまった。

 日は経つが捜査は進展しない。時々有力か、と思われる情報もあったが、いつも失望させられた。テレビ、新聞で大きく取り上げられ、インターネットの掲示板では、250件ほどの励ましがあった。中には誹謗中傷もあった。しかし有力情報はなかった。
 犯人逮捕に障害となる、警察の失態が明らかになった。

(1)現場から100m程手前にコンビニがあり、外に向けてカメラがある。映像は1週間保存されるが、その後は上書きされる。その画像には1台目の車が映っていたのだが、警察がそのコンビニに捜査に行ったのは、1週間をはるかに過ぎていた。

(2)事故直後の現場検証後、翌朝4:00まで車両を通行させてしまったので、塗装片など細かな証拠品は、通行車両のタイヤの溝に挟まってなくなってしまった。

(3)修理工場に捜査の手が入ったのは、半年も後のことで何の情報も得られなかった。

 交通課長はこの事を認め、次にひき逃げ犯罪が発生したら、この教訓を生かし、再発防止を図ると誓った。課長交代の際には、この教訓を引き継ぐと約束した。

 事故から2年後、新課長が赴任したと聞いたので、あいさつに伺った。引き継ぎの件を確認すると聞いていない。と言うではないか。私の怒鳴り声が警察中に響いた。怒りと失望がいっぺんに襲ってきた。

 事故調書が警察から検察に送られたが、調査不十分で返送されたと聞いた。解剖所見が不十分で、3台の車のどれが致命傷となったのかが問題となったらしい。事故調書が改められ、検察へ送られてから、検察へ何度も電話した。全く取り合ってもらえなかったが、あきらめなかった。ついに担当検事と面談できた。

 そこで聞いた事は、2台目、3台目は不起訴。その理由は、路上横臥したものを轢いても罰せられないと言う。つまり、1台目
の車が母を10m跳ね飛ばして即死させて逃げた。2台目、3台目が轢いたのは路上横臥したモノであって、モノだから人間ではない。らしい。

 1周忌の時に現場に花と線香を供えたが、またしても近所の人から撤去を求められた。私の故郷のその地で、そんなひどい仕打ちに打ちのめされた。
 その当時のひき逃げの時効の5年がついに過ぎてしまった。7回忌の法要で家族や親戚に集まってもらうが、その時の最初の集合場所は警察にした。親戚に対して警察から、今までの捜査の説明と、犯人検挙に至らなかった侘びを求めた。

 母に対して、1台目の馬鹿野郎が逮捕できなかったことの申し訳なさはずーっとある。定年退職したら全国交通事故遺族の会に入会させていただこう。と考えていた。母に対する負い目があって、罪滅ぼしのつもりもあるし、家族が予期せぬ交通事故に遭い、遺族となって悲しい目に会う人が少しでもなくなれば、との想いもあった。その日は5年半前
に来た。60歳を前にして、会社から勤務延長のお願いは謹んでお断りした。
 会では事故防止WGに所属させていただき、微力ながら活動を開始した。

 法務省などに陳情活動する中村さん(左)
 最初の業務は、ひき逃げ厳罰化署名活動だった。初めての事であり、要領を得なかった。通行人の無関心の目に失望し、署名してくれた人には感謝し、辛い疲労感が残った。多くの場所で、たくさんの会員が集めた膨大な署名は、直接法務大臣に渡された。その後、生活ゾーン事故ゼロ運動など、頻繁に街宣活動を行った。

 毎月1回のWG会議で検討された行動計画を元に、内閣府の交通安全基本計画策定のためのヒアリングに参加し、生活ゾーンでの事故0や交通弱者の死亡を1/3にと数値目標を提案した。法務省の法制審議会での公訴時効に関するヒアリングでは、危険運転致死傷罪とひき逃げの公訴時効撤廃を主張した。
 その他、警察庁、国土交通省、交通関係各行政機関への事故防止活動、世界道路交通被害者の日の活動、横浜カーフリーデー、トヨタ株主総会へ参加などなど、たくさんの活動をした。しかし保守的な行政機関の厚い壁に阻まれ、そのたびに失望感にさいなまれる事も多かった。

 危険運転致死傷罪、自動車運転過失致死傷罪、公訴時効など、活動の成果はあった。しかしそれは十分とは言い難いし、問題を含んでいる。

 全国交通事故遺族の会は閉会することになった。まだやることがあるだろうと言う想いもある。しかし、閉会を決定した理事会の時系列的苦悩を理解し、総会でそれを受け入れた会員の総意を考えて、私も活動を卒業させていただくことにした。

 あれから13年。犯人は今どこでどうしているのだろうか。何歳だろうか。家族はいるのだろうか。それは想像もできない。何もなかったように、善良な市民にまぎれて、普通の生活をしているのだろうか。罪の意識はあるのだろうか。それともすっかり忘れて、楽しく遊んでいるのだろうか。何もわからない。考えると自己嫌悪に陥る。この気持ちは生きている限り一生続くのだろう。

 WGで、ひき逃げ事件を取り上げていただき、防止活動に一生懸命活動していただいた皆様に心から御礼申し上げます。ありがとうございました。さようなら。

(全国交通事故遺族の会の「いのち」最終号より 千葉市 中村 豊)


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