ひき逃げ遺族の会                   

















                           ひき逃げ遺族の声

                   私の「ひき逃げ厳罰化」への思い

                                          大野玲子

                 


それは、平成15年3月25日刑事裁判の判決後に検事に会いに行ったときのこのことです。検事は「どんな悪質な事件でも過去の判例に照らし合わせないと、加害者にとって不公平になる。我々は法の番人ですから、法律を変えてもらうしかないのです。」と言われたときから、私たち夫婦は法律の改正を目標に生きてきました。

その年の春の分科会で、私は法律の改正の難しさなど何も知らずに「納得のいかない法律を変えたい」と必死に訴えました。そんな私に、励ましの言葉をかけてくださった皆様のお陰で、今の私たちがいます。

事件は平成14年11月25日、小学校5年生の娘(睦実10歳)が登校途中の青信号の横断歩道を横断中に、左折して来た10tトラックのバンパーで跳ねられました。加害者は「どん」と言う衝撃で黄色い帽子が見えた事から児童をはねた事を直ぐに気付きました。

しかし「自分の人生が終わってしまう。 気付かなかったことにしよう」と考え、ブレーキを踏まずにアクセルを踏み、うつ伏せで倒れている睦実のつま先からランドセルそして頭と、全身を前輪と後輪で踏み潰して逃げたのです。すべてを目の当たりにした2年生の妹は、私を呼びに家まで走って来ました。

私は訳も分からずに家を飛び出すと、近くの消防署から救急車が出動して行きました。自宅から5分もかからない国道50号線の交差点に変わり果てた姿の睦実がいました。触れる事も許されず、ただ名前を叫ぶことしか出来ずにいると、後続車に追跡され現場へと戻された加害者から声をかけられたのです。

私は極力冷静に「うちの子は青信号で渡ったんですよね」と聞くと、なんと薄笑いを浮かべ「俺も青だったよ」と答え、「子供がいるのも分かってた」と続けたのです。変わり果てた娘の傍らで、まるで“危険運転致死傷罪にならず、逃げてもたいした罪にもならない”と言わんばかりのふてぶてしい加害者の態度からは、血の通った同じ人間とは思えませんでした。

2ヵ月後には初公判が開かれ、冒頭陳述で加害者は交差点のかなり手前で、今から横断しようとしている児童がいることを知りながら、「自分を先に行かせるだろう」と確認しないまま左折を開始したことを知りました。

普通のドライバーなら、とてもその距離で横断者より先に通過できるはずが無いと考えるのが常識です。スピードは時速10kmだったと供述しており、だとすれば直ぐにぴたりと止まれたはずです。しかも逃げるときには、気付かなかった事を装う為にわざとスピードを時速40kmに抑えて走り去ったのです。前科一般の加害者には、悪知恵だけはあるのです。

我が家は、転勤で茨城に来てすぐにこの地で落ち着く準備を始め、1年後には夢と希望に胸膨らませ水戸に引っ越して来ました。この土地を選んだ一番の理由は、小学校までの通学路の安全性でした。

しかし、1年7ヵ月後には幸せの絶頂から不幸のどん底へと突き落とされ、遺された家族はそれぞれに自分を責めるのです。
睦実は学校が大好きで、毎日輝いていました。そんな睦実の性格が良く現れている詩を紹介させて頂きます。


親バカですが、こんなに優しい子が、何の落ち度もない子が、何故こんなに酷い逝き方をしなければならなかったのか。睦実の体の上を、何本のタイヤが通り過ぎて行ったのか。そして、冷たいアスファルトの上で息を引き取った睦実の無念さを思うと、胸が張り裂けそうになります。

私は踏み潰してまで逃げると言う、卑劣極まりない行為を断じて許す事など出来ないのです。ですから、「ひき逃げ」と言う行為すべてを、危険運転致死傷罪と同等の罰則にして頂きたいのです。その為には、会員の皆様のお力をお貸しください。
一人でも多くの賛同者を集めて頂けますよう、心よりお願いいたします。



  



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