多々良学園高校破綻の顛末(包括宗教法人曹洞宗の内幕)

週刊誌によりますと、曹洞宗系列の学校建設にからみ約30億円もの大金が使途不明になっているそうです。

その建設に直接絡んでいたのが当事者であったといわれる元宗務総長の故大竹明彦氏でした。

宗務総長と言えば宗派の中での事務方の最高責任者であり最高実力者です。

最初にその問題が報じられたのは昨年10月6日号の週間文春の「坊主まる儲け疑惑」という記事でした。

この記事はあっという間にわれわれ末派寺院にも知れ渡り、大きなうわさになりました。

その後その件で当事者から特に反論は無かったようなので、その行方が気にはなっていました。

それから約半年後のつい最近の週刊誌FLASHに「曹洞宗元総長大竹氏の自殺」が載ったのです。

記事の内容からすると、検察からの疑惑の追求を苦にし3月30日にあるホテルに入り首吊り自殺をしたということになっていますがほんとうなのでしょうか。

もしご本人がその疑惑に対し事実無根とするならば最後まで精錬潔白を訴えて闘うべきだったと思います。

本人は何も語らずに自殺をしてしまったとしたら一層疑惑を深めただけであり真相の解明にはなっておりません。

故人の名誉にも関しますので自殺かどうかも含め関係者は是非真相を明らかにして欲しいと思います。

「大竹老師の指令は「天の声」といわれ、絶対服従でした。ひとことでも逆らえば、曹洞宗の組織を運営する宗議会の議員から外される。誰も逆らえない状態でした」(曹洞宗のある高僧・週刊誌)「ゼネコン指定をめぐるリベート問題が早くからとりざたされていました」(僧侶の一人)

「関係者によれば、それらの建築費の一部が大竹氏をはじめとする宗門の一部幹部に流れていたのではないかと公然と囁かれていたというのです」(週刊誌)「これを機に曹洞宗内のウミを出し切り、純粋な姿を取り戻すべきです。そう考えている人は多いんです」(曹洞宗関係者)

それらの記事が事実なら当事者の責任は勿論ですが、公然と噂されていながら宗門の中で誰も止めさせることができなかったとしたら、その中央の組織自体に問題はなかったのでしょうか。

自浄作用の無い組織は欠陥だと言わざるを得ません。

事実でないことを願っていますが、是が事実としたら宗門の名折れです。これ以上の恥はありません。

また、もし検察が入ったことが事実ならば、この際検察に徹底的に調べていただき宗門はその顛末を公表すべきでしょう。

そしてもし組織的にそのような犯罪の温床があったとしたら二度とこのような犯罪が繰り返されないように組織改革すべきだと思うのです。

そして事実関係とその責任の所在を明確にしていただきわれわれ末派寺院住職がそれぞれの檀家のみなさんに説明できるようにして欲しいと思います。

 

補足(筆者注)

この内容はある檀家とある曹洞宗の僧侶とのブログです。

大竹明彦師が自殺されたのは、現曹洞宗宗務庁のある檀信徒会館です。(当時東京グランドホテル)

大竹師の嫌疑は、背任ではありません、特別背任です。

起訴され、実刑確実の嫌疑でした。

よくあるパターンですが、事件のキーマンの自殺で立件が不可能になった大事件です。

 

2006/08/15 12:41   【共同通信】

サッカーの名門、多々良学園高校(山口県防府市)を運営する曹洞宗系の学校法人多々良学園の経営破たんをめぐり、融資した同県の山口信用金庫と防府信用金庫がそれぞれ15日までに、曹洞宗などに計約12億円の損害賠償を求める訴訟を山口地裁に起こした。訴状によると、曹洞宗は定数の約70%の理事を送り込むなど学園を実質的に運営。学園は1999年12月に新校舎移転事業を計画、返済可能性を十分検討しないまま2003年3月に防府信用金庫から10億円、04年9月に山口信用金庫から7億円の融資を受けた。しかし05年10月、資金繰りが悪化し民事再生法適用を申請、借入金の一部だけを返済した。これに対し当時、学園理事だったの池野秀一氏(70)は「顧問弁護士に一任しているため、コメントすることはない」と話している。

 

2009年8月21日(金)掲載

高川学園高校・中学校を経営する防府市台道の学校法人山口高川学園(高川晶理事長)は20日、旧多々良学園から引き継いだ民事再生手続きの終結を東京地裁が決定し、同地裁の監督下から解かれたと発表した。独自運営が可能となり、来春の入学生から授業料減額や中学校の定員増などに取り組む方針。

旧多々良学園は校舎の新築移転に伴い、経営難へ。2005年10月、全国の私立高校では初の民事再生法の適用を申請し、山口高川学園が経営を引き継いだ。債権が約67億円あったが、15億円を弁済することで06年7月に再生計画の認可が決定。同9月、債権者27人・社に一括弁済したが、その後も新たな債権が必要な事業を行う際などは同地裁の監督下に置かれていた。今月17日で再生計画認可の決定から3年が経過し、弁済も終えていることなどから再生手続きの終結が決定した。

高川理事長は20日、同学園で会見し「終結を重く受け止め、これをプラスに考えて新しいステージへ進みたい」との考えを示した。具体的には、来年入学する高校生の授業料や施設充実費などの合計額を月3万7350円から3万850円に引き下げ、スクールバスの更新・追加などを行う。授業料など減収分は定員増で補う考えで、中学校の定員を現行の1学年70人から120人に増やすよう、県に申請しているという。

学校経営を引き継いだことについて「当時のトップ(経営陣)が余りにも大きなビジョン(校舎の新築・移転)を描き、見込み違いで破たんした。生徒がいなくなって収支が悪化したわけではなく、そういう意味では、安心して(再生を)やることができた」と振り返った。

前身は1878年(明治11年)に山口県吉敷郡山口町(現在の山口市)に創立された曹洞宗山口専門学支校。曹洞宗の西日本における教化・僧侶養成機関としての役割を果たしていた。

1948年(昭和23年)、新制高等学校制度の施行に伴い多々良学園高等学校に改称。1956年(昭和31年)、独立の学校法人に改組。普通科全日制の男子校として整備された。曹洞宗の教育機関としての位置づけは変わらず、理事の過半数は曹洞宗の僧侶によって占められていた。在校生は仏教専修科を履修し定められた規律に従った寮生活を修めることによって、僧堂に準ずる修行歴の取得が可能であった。

2004年(平成16年)、防府市台道へ校地を移転し男女共学となった。 しかし移転にともなう資金計画に問題があり経営破綻。2005年(平成17年)、民事再生法適用申請。私立高等学校を経営する学校法人としては初の申請となった。その後、徳島市を拠点に予備校を経営するタカガワが再建者となり経営譲渡された。 2006年(平成18年)9月、現在の法人名、校名に改称した

 

沿革 [編集]

多々良学園 旧校舎(2006年11月)

1878年(明治11年)2月 − 曹洞宗山口専門学支校として山口町瑠璃光寺に創立。

1896年(明治29年)2月 − 曹洞宗第十六中学林と改称、山口市大附に移転。

1902年(明治35年)7月 − 曹洞宗第四中学林と改称、防府町に移転。

1906年(明治39年)9月 − 宗門以外の生徒の入学を許可。

1928年(昭和3年)1月 − 多々良中学校と改称。

1948年(昭和23年)4月 − 多々良学園高等学校と改称、新制高等学校の開設。

1956年(昭和31年)4月 − 法人改組。学校法人多々良学園となる。

1963年(昭和38年)4月 − 工業科(電気・建築)設置認可。

1965年(昭和40年)4月 − 普通科に特別進学コースを設置。

1974年(昭和49年)11月 − 付属幼稚園設立認可。

2003年(平成15年)4月 − 総合学科設置認可。

2004年(平成16年)4月 − 防府市大字台道に移転、男女共学化。

2005年(平成17年)10月 − 学校法人多々良学園、民事再生法適用を申請。

2006年(平成18年)

3月 − タカガワおよび学校法人中央学院と再建支援で基本合意。

7月 − 再生計画を東京地方裁判所が認可。学校法人及び高等学校をタカガワが、付属幼稚園を中央学院が承継。

9月 − 学校名を高川学園高等学校、設置法人名を学校法人山口高川学園に改称

2007年(平成19年)4月 − 中高一貫教育を開始、高川学園中学校が開校

2009年(平成21年)8月 − 民事再生手続終結

 

<多々良学園>校舎建設巡る訴訟で16億円賠償判決…山口

毎日新聞 2013年1月16日(水)22時51分配信

山口銀行などが「融資の際に受けた説明がうそで回収できなくなった」などとして山口県防府市の多々良学園高校(現高川学園高校)の元法人理事長や元理事らに総額約37億円の賠償を求めた訴訟で、山口地裁は16日、約16億円を支払うよう命じた。学園と関係が深い宗教法人「曹洞宗」(東京都)も賠償命令を受けたが、控訴する方針。

判決によると、元理事らは03〜05年「同窓生らからの寄付金で返済できる」などと説明。新校舎建設事業費として5金融機関から計約57億9000万円の融資を受けたが、05年、民事再生法が適用され、一部が回収不能になった。

山本善彦裁判長は「元理事らが返済困難であることを認識していたことは明らか」などと指摘。ただ、銀行側にも「資金計画について十分な説明を求める義務を尽くさず落ち度があった」とした。

 

第119回曹洞宗通常宗議会が24日、東京・芝の檀信徒会館に招集され、2014年度各種予算案など20議案が一括上程された。宗憲で定義が曖昧だった寺族を「寺族簿に登録された者」と改正する議案などが集中審議される。26日には緊急議員総会が開かれ、曹洞宗の元関係学校で経営破綻した旧多々良学園(山口県)問題の訴訟に関して、内局が広島高裁の和解案を受け入れることを承認することになった。宗派が原告の銀行5行に支払う和解金は10億円(金利込み)であり、内局は今宗会中に和解金の支払いに関する予算措置を講じる。会期は28日までの5日間。

多々良学園が多額な借り入れにより、経営破綻が危ぶむまれた際、当時の宗門には別な形での(シナリオ)多々良救済案があったことを皆さんはご存知だろうか?

当時の宗門実力者で「天の声」とも言われた故大竹師と故伊東老師が主導した案である。

具体的には資金を借り入れた金融機関との間に(宗門がバックアップし駒澤大学が30億円用意して)特定調停を持ち込むという案である。

これは、多々良学園を駒澤大学の付属高校にするという事に他ならない。

この案に関して、大学当局は現実に当時の理事長池野秀一師と総長大谷哲夫師が準備を進め具体的に検討していたが、ある日大学に当時の内局、教学部長と総務部長の乙川瑛元師と葦原正憲師が訪れこの案を白紙にしたのである。

何故この様な案を拒否したのであろうか?

この頃は2人の「天の声」が宗門を牛耳っていた時期であり、そして宗門の箱物事業が様々な問題となり、宝珠企画の宮崎理氏が宗門を食い物にした頃であります。

多々良事件は箱物政治最大の破綻であり、様々な箱物事を業推し進めた為政者は有道会の大物宗政家大竹明彦師と総和会の大物宗政家伊東盛熈師であり、箱物コンサルタントは宮崎理氏(宗門の華麗なる一族)でありました。

乙川師も葦原師も総和会のプリンス、有道会の次期エースと目されていた時代ですが、流石にこの大物二人の負の遺産を受け継ぎたくないとの思いが有ったのでしょう。

ある種の恐怖心であり、ここで何とかしなければならないとの(正義感?良心の呵責?憂いの念?反省の心?)想いであったのでしょう。

大物二人を宗政から退かせようとした乙川、葦原両師の利害が一致した瞬間であると思います。

 

「宝珠企画」脱税

東京国税局は、建設コンサルタント会社「兜珠企画」(本店 新宿区神楽坂5−20−5)が平成16年3月期までの2年間に所得約2億 2,000万円を隠し法人税約 6,000万円を脱税したとして、法人税法違反(脱税)の疑いで同社と宮崎理社長を東京地検に告発した。

関係者によると、同社は工事の受注を仲介したゼネコンなどから得たコンサルタント料の一部を除外して税務申告していたほか、架空外注費を計上して経費を水増ししていた。

同社は、平成6年4月設立、資本金 1,000万円。