日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2014年6月8日の礼拝メッセージから

命にいたる門


マタイによる福音書 7章13〜14節
  

 

 

 本日の箇所で、イエス様は、私たちに対して、私たちが命にいたる門に入るために、「狭い門から入りなさい」と呼びかけられました。私たちが普通、入りやすい門は広い門かも知れませんが、そのような広い門は滅びにいたる門なんだと語られ、命にいたる門というのは、狭くて、その道も細いんだとおっしゃられたのです。

本日の御言葉を読みながら、ここで言われている「狭い門から入る」とは具体的にどういうことだろうかと思いました。そんなことを考えていました時、今日という日がペンテコステということもあり、初代教会の人々はどんなふうに歩んでいったのだろうかと思いました。初代教会の人々が選び取っていった歩み…。その姿から、私たちは「命にいたる門に入る」ということ、「狭い門から入る」ということについて、大切なメッセージを聞くことができるのではないかと思うのです。たとえば、使徒行伝1章には、初代教会の人々が、宣教の働きに出て行く前に、エルサレムに留まり、祈りながら、聖霊がさずけられる時を待っていた様子が記されています。この記述からも大切なことを学ぶことができるのではないでしょうか。使徒行伝に記されている初代教会の人々が、信仰の歩みの中で選び取っていったもの…。その姿として最初に記されているのは、主の御前に静まって、祈る姿であり、聖霊が降り、自分たちを導いてくれる時を待つ姿でした。彼らはそこから歩みを始めていったのです。そんな彼らの姿に「狭い門から入る」ということについての大切なメッセージを聞くことができるのではないかと思います。


その他にも使徒行伝に記されている初代教会の人々の姿を見ていく時、彼らの信仰の姿を「狭い門から入る」ということはどういうことなのか、たくさんのことを教えられます。そして、そんな彼らの歩みを考えてみる時、自分はどうだろうかと思いました。常日頃の歩みの中で、自分はどのような歩みを選ぼうとしているのでしょうか。自分にはすべき働きや託された働きがある中で、「まず祈ろう」と考えたり、「聖霊の助けを求め、聖霊の導きに従っていこう」と思っているでしょうか。そんなことよりも、自分の思いだけで突き進み、一杯一杯になってしまう自分がいないだろうかと思うのです。そして、それが私を含め、多くの人が持っている一般的な価値観なのだと思います。そんな私たちというのは、まさに多くの人と共に広い門を進んでいるのだと思います。そんな私たちにイエス様は語りかけられているのではないでしょうか。「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」。私たちが、初代教会の人々が選んだ一つ一つの信仰の歩みを見ていく時、その歩みは、か細く狭い道に見えることがあります。例えば、祈ることもそうであるかも知れません。「祈って何になるのか」と思ってしまう私たちがいるかも知れません。しかし、本日の箇所を読みながら、この狭く思える門、細く思える道にこそ、「命にいたる門があるのだ」ということを覚えていたいと思います。

      
                          (鈴木 牧人)
 
                

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