日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2014年6月15日の礼拝メッセージから

わたしもあなたがたにつながっている


ヨハネによる福音書 15章1〜15節
   

 

 みなさんは、「何に」つながっているでしょうか?あるいは、「誰に」つながっているでしょうか? 私は、自分の出発点、自分の初めの頃の思い、そういったものを忘れることがあります。私がつながっているものは友人関係や、安易な平和です。しかし、それ以上に「まず第一にすべきことがあるのではないか」というイエス様の声が聞こえてきます。

旧約聖書には、神様の呼びかけと、人間の応答が描かれえております。旧約聖書では、呼びかける神様と背く人間の姿が「ぶどうの木」、あるいは「ぶどう畑」にたとえられています。

 

イザヤ書517節「わたしはわが愛する者のために、そのぶどう畑についてのわが愛の歌をうたおう。わが愛する者は土肥えた小山の上に、一つのぶどう畑をもっていた。彼はそれを掘りおこし、石を除き、それに良いぶどうを植え、その中に物見やぐらを建て、またその中に酒ぶねを掘り、良いぶどうの結ぶのを待ち望んだ。ところが結んだものは、野ぶどうであった。 それで、エルサレムに住む者とユダの人々よ、どうか、わたしとぶどう畑との間をさばけ。わたしが、ぶどう畑になした事のほかに、何かなすべきことがあるか。わたしは良いぶどうの結ぶのを待ち望んだのに、どうして野ぶどうを結んだのか。それで、わたしが、ぶどう畑になそうとすることを、あなたがたに告げる。わたしはそのまがきを取り去って、食い荒されるにまかせ、そのかきをとりこわして、踏み荒されるにまかせる。私はこれを荒して、刈り込むことも、耕すこともせず、おどろと、いばらとを生えさせ、また雲に命じて、その上に雨を降らさない。万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家であり、主が喜んでそこに植えられた物は、ユダの人々である。主はこれに公平を望まれたのに、見よ、流血。正義を望まれたのに、見よ、叫び。」

 

旧約聖書には、神に「立ち帰れ」、「立ち帰れ」、と何度も繰り返されております。

さて、本日の聖書では、イエス様が、「わたしはまことのぶどうの木」だと語られています。そして、あなたがた、つまり「私たちはその枝である」とイエス様は言います。神様と私たちは、イエス様によってつながっているのです。イエス様によってつながりが生まれました。

ぶどうの木は、栄養を土から吸い上げ、枝に送り、枝は実りを実らせます。枝は、枝だけでは生きられません。幹から栄養をもらいます。栄養がいかないなら、枝は枯れてしまいます。枝は木からの栄養を受けて、実を実らせようとします。

私たちは、ぶどうの枝のように、イエス様につながっていたいと思います。イエス様は、まことのぶどうの木です。私たちは、イエス様につながる、そのことを忘れてはいけません。

イエス様は言われます。「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。」

      
                 西南学院大学神学生(青木 紋子)
 
                

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