日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2014年6月29日の礼拝メッセージから

恥入る者


マルコによる福音書 8章31〜38節
   


 本日の箇所で、ペテロはイエス様を“いさめはじめた”と書かれています。しかもその前に、イエス様は弟子たちに「わたしを、だれだと言っているのか。」と尋ねられます。その時、ペテロは「キリストです。」と答えています。イエス様のことを『キリスト』と告白するということは、単なる口先だけの告白ではありません。「イエス様と運命を共にし、信仰の共同体を造る」と言う意味なのです。この時のペテロや弟子たちは、イエス様のことをよく理解しておりませんでした。しかし、ペテロはイエス様の十字架の後、彼はイエス様が「主」で在られると気づかされ回心し、その後、彼はキリスト教の重要な人物となっていきました。

 私は、バプテスマを受けた頃の事ですが、イエス様のことを他の人にお話しすることを、『恥じて』おりました。さらに今日の箇所のイエス様から「わたしも恥じる」と言われた事に対して、怖くてなりませんでした。そんな私を換えて下さった一人の方がおりました。その方は、初めアメリカに住み会社経営をしていましたが、人間として苦しい立場に居り虚しくて、眠られぬ日々が続いたそうです。
 そんな時に、その方は「この命は『どんな代価を支払』っても『買い戻す』ことが出来ない“尊い命”と気づかされ、イエス・キリストに従って生きようと決心した」と語られました。その後、その方は家族と共にオーストラリアに移住し、収入は減った代わりに祝福された毎日を送られているとのことでした。
 この事を聞いて、私は「恥じない」ということは、イエス・キリストを教会と、世の中において「主」を告白することで、イエス様とイエス様の言葉を、自分のものとして生きることなのだと気づかされました。ペテロは変えられて、イエス様に従い、応答していくところに、真の信仰の姿があるのだと思いました。私もこのペテロのように、イエス・キリストを、心から信頼し、神様との関係を作り上げていきたい。イエス様に従う者と変えられたいと、願いました。
  気が付けば何時しか、私はイエス様を語ることを、拒んでいた苦しい気持ちから、解放されておりました。最後に、私たちは福音を恥としないで、イエス様に従っていきたいと願う言葉に、ボンヘッファーの『キリストに従う』から。「イエス・キリストのご生涯は、この地上でまだ終わっていない。キリストは、そのご生涯をキリストに従う者たちの、生活の中でさらに生きたもう」。
 
      
                西南学院大学神学生(横濱 峰二子)
 
                

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