日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2014年7月27日日の礼拝メッセージから

病める人と共に


マタイによる福音書 8章1〜4節
 
 

本日の箇所には、一人の「らい病人」がイエス様の前に出て来たという様子が記されています。ここで言われている「らい病」というのは、現在は「ハンセン病」と言われています。現在、ハンセン病は、有効な治療法が発見され、治らない病気ではありません。また、様々な研究の結果、病原菌は非常に弱く、簡単に人に伝染ったりしない病気だということも分かっています。しかし、つい最近まで、ハンセン病は、不治の病と考えられ、人に感染するということもあり、人々に恐れられてきました。また、ハンセン病を患った人は、本当に辛い目に遭ってきました。おそらく、本日の箇所に登場するらい病人もそうだったのだと思います。病を患い、そのことの苦しみと共に、病いを患ったということで、家族からは縁を切られ、一人、町を出ていかなければなりませんでした。そのように私たちには測り知れないような悲しみや苦しみを通らされてきたのだと思います。そんな人が、イエス様に出会ったのでした。本日の箇所を読みながら、何より心に迫ってきたのが、8:3の御言葉です。「イエスは手を伸ばして、彼にさわり、『そうしてあげよう、きよくなれ』と言われた。すると、重い皮膚病は直ちにきよめられた」(8:3)。ここにイエス様がこのハンセン病の人に「手を伸ばして、彼にさわった」と記されています。イエス様は、この人を手でふれられました。何気なく読み過ごしてしまう記述かも知れませんが、私は、この記述に感動を覚えます。当時の状況、そして、この人がハンセン病患者だったということを思う時、このことが本当に凄いことだと思うのです。おそらく、周りの人々は、この人がハンセン病患者ということで、敬遠し、近づくことさえ恐れていたのだと思うのです。しかし、イエス様は、この人に近づき、この人に触れられたのです。


「人に触れる」ということは、時に大きな意味があります。ある人が、こんなことを言っていました。「手当てって、手を当てるって書くよね。その通りなんだよ。誰かに手をおいてもらう。手を握ってもらう。それだけで癒されていくということがあるんだ」。本日の箇所でも、そうだったのではないかと思います。この人にとって、イエス様から触れられるということは特別なことだったのだと思います。これまで散々、人々から冷たい仕打ちを受け、差別されたり、避けられたりばかりしていた中で、イエス様に触れられた時、それだけで、「自分がイエス様から受け入れられている」ということをひしひしと感じることができたのではないかと思うのです。心の寂しさや傷が癒されたのではないかと思うのです。


 この人は、イエス様に対して、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」(8:2)と訴えました。これに対して、イエス様は「わたしは『もちろん』望む」(8:3岩波訳)と答えられました。私たちは辛いこと、苦しいことがあったりすると、時に「神様、自分のことなんてどうでもいいと思っているんじゃないか」と思ったりすることがあるのではないでしょうか。そんな中、本日のイエス様の言葉を心に刻んでいきたいと思います。イエス様は、この人が災いに苦しむことではなく、癒され、救われることを望んでおられたのです。

      (鈴木 牧人)
 
                

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