日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2014年8月17日の礼拝メッセージから

「平和への視点」


マタイによる福音書 5章9節
 


 イエス様は私たちに対して、「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」と言われました。「平和をつくり出す」とは、どういうことでしょうか。私がこのことについて考える時、いつも思い出す言葉があります。それは「平和」と「安全」は違うんだという言葉です。これは、ドイツのボンヘッファーという神学者が語った言葉です。

「いかにして平和は成るのか。政治的な条約の体系によってか。いろいろな国に国際資本を投資することによってか。すなわち、大銀行や金の力によってか。あるいは、平和の保障という目的のために、各方面に平和的な再軍備をすることによってであるか。違う。これらすべてのことによっては平和は来ない。その理由の一つは、平和と安全とが混同され、取り違えられているからだ。安全の道を通って平和に至る道は存在しない。なぜなら平和は敢えてなされねばならないことであり、それは一つの偉大な冒険であるからだ。それは決して安全保障の道ではない。平和は安全保障の反対である。安全を求めるということは、相手に対する不信感を持っているということである。そしてこの不信感が、再び戦争を引き起こすのである。」(ボンヘッファー「教会と諸民族の世界」)

 ここでボンヘッファーが語っているように、私たちは平和ということを考える時に、平和と安全をまぜこぜにしてたり、取り違えてしまっていることがあるのではないかと思います。しかし、ボンヘッファー曰く、平和と安全は根本的に向いている方向が違いますし、私たちが安全を求めて歩んでいく先に平和は訪れないのです。私たちが安全を求めるということ…。それは相手に対して、不信感をもつということから始まるからです。そんな中、私たちは安全を求めるあまり、相手に対して構えたり、相手に距離を置いたり、壁を作ったりするのです。場合によっては、相手が自分たちを脅かさないように、相手のことをコテンパンにやっつけてしまおうとするかも知れません。その先に平和は訪れないのです。平和というのは、あえてなそうとする意志の中で作り上げられていくものであり、むしろ、距離を置いてしまっている相手、壁を作ってしまっている相手に対して、飛び込んでいくことだったりするのです。時にそれは偉大な冒険でもあるんだと、ボンヘッファーは語っているのです。

 今の世界の様々な状況を思う時、平和を建て上げることの大切さを思わされます。同時にそれが中々できず、安全の確保ばかりに心が向かって、壁を作ったり、互いを批判したり、傷つけ合っている私たちがいるのではないかと思います。そんな状況を思う度に、私たちはイエス・キリストを見上げていかなければすぐに迷ってしまうんだなと思います。大切なものを見失ってしまうんだなと思うのです。イエス様をしっかりと見上げ、心を静め、御言葉に心砕いて聞く…。そうしなければ立てない私たちがいるのだと思います。イエス・キリストこそ、平和の君であり、和解の主です。まさに、その平和の確かなしるしが、イエス・キリストの十字架なのだと思います。そのイエス・キリストに聞き、従っていくこと…。そこに平和をつくり出す者としての歩みが拓かれていくのだと思います。
 

                          (鈴木 牧人)
 
                

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