日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2014年9月7日の礼拝メッセージから

「新しい人生」


マタイによる福音書 8章28〜34節
 


 本日の箇所は、イエス様が悪霊に取りつかれた人を救われたという記述です。悪霊と聞くと、オカルト映画の世界のようなイメージを持つ人がいるかも知れません。あるいは、「自分とは余り関わりがない話だ」と思う人もいるかも知れません。しかし、はたしてそうでしょうか。私たちが本日の箇所を注意深く読んでいく時、本日の箇所から私たちの身近にも関わりのある色々なテーマを聞き取っていくことができるのではないかと思うのです。

この人は、悪霊に支配され、自分自身を見失っていました。まずは、このことについて考えていきたいと思います。私たちは時に、心が迷いに陥る中、自分で自分のことが分からなくなってしまったりすることはないでしょうか。また、ここでは「悪霊」について言われているのですが、私たちは「悪霊」に限らず、自分の思いに反して、周りの様々なものに流されてしまったり、心が支配されてしまうということがあるのではないかと思います。

悪霊に取りつかれた人は、墓場からイエス様の前に現れたことが記されています。墓場とはどんな場所でしょう。色々なイメージがあるかも知れませんが、一つのイメージとして、墓場とは「死んでしまった人が眠っている場所」と言えるのだと思います。そこにはたくさんの人がいたとしても、交わることができるような相手はいません。いくら相手に呼びかけても、相手と話したり、笑ったり、泣いたり、心を通わせたりすることはできないのです。どれだけ大勢の人がいたとしても、孤独を感じてしまう…。それが墓場だと言えるのではないでしょうか。そんな墓場が、悪霊に取りつかれた人が住みかとしていた場所でした。このことは、悪霊に取りつかれた人の心の状態を象徴しているのではないかと思います。そして、私たちも同じようなことがあるのではないかと思います。たとえ、周りにたくさんの人がいたとしても、周りの人と笑ったり、泣いたり、心を通わせたりすることができずに、心に深い孤独を抱えている…。そんなことがあるのではないかと思います。

悪霊にとりつかれていた人は、周りの人が手におえないほど暴れていたと書かれています。何で暴れていたのでしょうか。苦しかったからではないでしょうか。自分を見失い、信じるものが分からなくなり、言いようもない孤独を抱えている…。それゆえ、もがき苦しみながら、自分を傷つけたり、人を傷つけたりしながら、暴れていたのではないかと思うのです。

 そんなふうに読んでいく時、私は、この悪霊に取りつかれた人が、私たちと関わりのない人だとは思えないのです。私たちも時に、この人と同じような迷いだったり、苦しみを抱えていることがあるのではないでしょうか。ここで一つ確認したいことがあります。自分を見失い、人と交わることができなかったり、孤独を抱えている人が、「すなわち、悪霊に取りつかれている人だ」ということを言いたいのではありません。そういうことではなくて、私たちがもし、本日の箇所に記されている悪霊に取りつかれている人の苦しみに共感し、この人の痛みや悩みが自分にも分かると思うなら、そんな私たちにイエス様は出会ってくださり、そのような苦しみから解放し、救ってくださるのだということを覚えていたいと思うのです。
                          (鈴木 牧人)
 
                

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