日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2014年9月14日の礼拝メッセージから

「罪を赦す権威」


マタイによる福音書 9章1〜8節
 


 本日の箇所の冒頭には、イエス様と弟子たちが、舟に乗ってガリラヤ湖を渡って帰って来た様子が記されています。本日の前の箇所には、イエス様と弟子たちが湖の向こう岸の人々に伝道を行なった様子が記されています。しかし、それは苦労の連続でした。舟に乗って湖の向こう岸に渡ろうとしたところ、嵐に遭遇し、舟が沈みそうになったり、命からがらで向こう岸にたどり着いて悪霊に取りつかれた人を救い出したにも関わらず、イエス様のことを恐れたガデラの人々から「この地方から出て行ってほしい」と言われてしまったり、結局、イエス様と弟子たちは、すぐに引き返さなければならなかったのでした。弟子たちはどんな思いだったのでしょうか。ガッカリだったのではないでしょうか。これだけ苦労して向こう岸から来たのに、全てが無駄のように思えたのではないかと思います。そのように失意の中でカペナウムに戻って来たところ、人々が一人の中風の者を連れてきたのでした。

 本日の箇所に記されている中風の者を連れてきた人々の姿を見る時、ガデラの人たちの姿と対照的であることを思います。せっかく湖を渡って会いに行ったのに「この地方から出ていってほしい」と言うガデラの人たちに対して、本日の人々は、わざわざ自分たちの方からイエス様を求めてやって来たのでした。そこには対照的な姿が記されています。そして、そんな人々の姿を見ながら、宣教の働きでは、こういう経験をさせられることがあるかも知れないなと思いました。私たちが宣教の働きをしていく…。時に、ガデラの人々のような対応を受けることや、本日の箇所に記されている人々のような対応を受けることがあったりするのではないでしょうか。拒まれたり、求められたり…。私たちは、色々な人に出会い、そこで様々な対応を受けながら、一喜一優し、落ち込んだり、悩ましい思いを通らされたりしながら、宣教しているのではないかと思うのです。

今の時代は、宣教が難しいと言われます。確かにそうかも知れません。色々な社会の出来事の中で、宗教というものに対して偏見がもたれてしまっているかも知れませんし、教会に対して「敷居が高い」というイメージがあるかも知れません。現在は色々なものがすぐには信じられなかったりする時代です。その中で、「目に見えない神様を信じましょう」と言っても中々信じられないかも知れません。そのような状況の中で、私たちには壁を取り除く作業が必要なのだと思いますし、丁寧に根気よく、私たちが信じているものを伝えていかなければならないのだと思います。ただ、今の時代に宣教が無意味かと言えば、決してそうではなくて、今の時代も求めている人、必要としている人がいるのだと思います。そんなことを思いながら、本日の記述から考えさせられるのは、人々が一人の中風の者をイエス様のもとに運んできたという記述です。この「運ぶ」「連れてくる」という働きが今の時代、より一層重要なのではないでしょうか。イエス様を必要とし、心で求めつつ、壁を感じている人がいるとするなら、そんな人を、イエス様のもとに連れてくる人…。そのような働きがより一層大切なのではないかと思うのです。私たちがそのような人にされていけたらと願います。
                          (鈴木 牧人)
 
                

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