日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2014年9月21日の礼拝メッセージから

「わたしが来たのは」


マタイによる福音書 9章9〜13節
 


 聖書には、イエス様が様々な癒しの御業をなされた様子が記されていますが、本日の箇所も、ある意味、癒しの記述と言えるかも知れません。というのは、本日の箇所には、次のように書かれているからです。「イエスはこれを聞いて言われた、『丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である』」(9:12)。本日の箇所で、イエス様は、ご自分を病人に係わる医者に例えました。この御言葉からも、本日の箇所が、癒しの記述なのではないかと思います。

 本日の箇所に登場するのは、マタイという人物です。この人は、取税人でした。取税人とは、当時、イスラエルの国を征服していたローマ帝国に収めるための税金を集める人のことです。当時、ローマ帝国は、自分たちが征服した国々から上手に税金を取り立てるために、征服した国の人たち自身に税金を集めさせていました。そうすれば、税金を取り立てることを苦労したり、恨まれることもないからです。ローマ帝国は、取税人たちに、特別な権利を与え、税金を取り立てさせたのですが、取税人たちは自分たちの立場を利用して不正を働き、私腹を肥やすようになりました。ローマ帝国は、それを見てみぬふりでした。結果、苦しむのは、税金を徴収される民衆だけでした。このため、人々は、取税人たちを軽蔑し、取税人イコール罪人と考えるようになったのです。本日の箇所のマタイとは、そのような取税人でした。おそらく、マタイも他の取税人たちと同様のことをしていたのではないでしょうか。ただ、マタイはそのような取税人としての生き方にどっぷりと漬かっていたわけではないのだと思います。本日の箇所で、マタイは、イエス様から呼びかけられた時、すぐに立ち上がり、イエス様に従っていきました。もし、マタイが自分の生き方に満足し、それでいいと本気で思っていたら、そんなふうに応えたりしなかったのではないでしょうか。この様子からも、マタイが自分の今現在の取税人としての生き方に問題を感じていたのだと思うのです。ただ、マタイは、そのように今の自分の状況に問題を感じつつも、イエス様に出会うまでは、相変わらず、収税所に座り続けていました。そんなマタイの姿を思う時、色々なことを考えさせられます。私たちも、マタイと同じように、自分の状況に問題を感じ、そんな自分を変えたいと思ったり、変わりたいと思うのですが、気がついてみたら、同じ場所に座っている…。そういうことがあるのではないでしょうか。

 本日の箇所で、イエス様は、そんなマタイに近づいてくださいました。本日の箇所は、イエス様がマタイに医者として関わってくださった箇所だと言いましたが、マタイの癒されるべき病とは何だったのでしょうか。それこそ、「収税所で座り続けている姿」だったのではないかと思います。自分に問題を感じ、変えられたいと思いつつ、どうすることもできない姿・・・。それこそ、マタイが抱えていた問題だったのではないでしょうか。イエス様は、収税所に座り続けていたマタイに近づいてきてくださいました。そして、マタイがイエス様に出会った時、それまでずっと収税所に座り続けてきたマタイに立ち上がる力が与えられ、マタイは新しい人生に歩み出すことができたのです。
                          (鈴木 牧人)
 
                

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