日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2014年9月28日の礼拝メッセージから

神にゆだねるがよい


ペテロの第1の手紙 5章6〜11節
 


 

 私が初めて教会に行ったのは、高校1年生の2月でした。当時は、教会に行くことを家族に秘密にしておりました。友達を誘って、ドキドキしながら、雪が降る中、教会に行きました。教会のドアを開けると、おじさんとおばさんがニコニコしながら立っていました。聖書と讃美歌と紙を渡してくれました。週報です。一つひとつが新鮮でした。初めての礼拝は、立ったり座ったり、読んだり聞いたり、歌ったり聖書を読んだり、礼拝とは忙しいなぁ、と思いました。聖書も牧師の話もよくわかりませんでしたが、その次の日、本屋さんで聖書を買いました。それからしばらくして、二度目に教会にいったとき、今度は一人で行ったのですが、学校で淋しい思いをしていた私には教会がとても温かくて、礼拝中ずっと泣いてしまいました。

 それからしばらくして、家族に「イエス・キリストを信じる道を生きたい」と話すと、猛反対されました。今思えば、私の家族は、イエス・キリストや聖書や教会を何も知らず、高校生の娘をただただ心配に思っていたのでした。当時の私にはそこまでの想像力はなく、自分が全否定されたような悲しい気持ちになりました。

 本日の御言葉、ペテロの第一の手紙が書かれたのは、キリスト教大迫害の時代でした。その迫害の時代に、「耐え忍んで神様に期待し続けよ」と、世界各地の教会に送られたのが、この手紙です。この時代、イエス・キリストの教えや十字架を人々に宣べ伝えたり、その信仰に生きることは容易いことではありませんでした。そのような暗い状況であるにも関わらず、神様は一人ひとりを愛しておられるのは変わりません。そして、神様は、そんな状況でも確かに働いておられるのです。「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は、とこしえに残る。
                        (Tペテロ124

 
 高校時代、神様からの招きをなんとなく感じつつも、しかし現実の状況をみると、とてもじゃないけれど無理!と思えました。それでも、祈りました。神様が私に何を期待しておられるのか、祈りに祈りました。そして、「神様がそうされるならそうなるし、そうされないなら、そうならない」と思うことができました。そして、不思議と道が開かれていきました。この経験を通して、この神様を信頼して生きていこう、と決断しました。

 本日の御言葉には、「神はあなたがたをかえりみていてくださるのであるから、自分の思い煩いを、いっさい神にゆだねるがよい。」とあります。

 神様には、本当に力があります。自分自身や、現実の状況を越えて、神様は働かれます。その神様に信頼して、祈っていきたいと思います。神様と共に歩むこと、そのことが私にとっては喜びです。その神様の働きに、もしも神様が用いられるならば、用いられていきたいと思います。

                                             (青木紋子神学生

 
                

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