日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2014年10月12日の礼拝メッセージから

はりさけた皮袋


マタイによる福音書 9章14〜17節
 


 

 本日の箇所には、ヨハネの弟子たちがイエス様に断食のことについて質問をしにきた様子が記されています。「わたしたちとパリサイ人たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」(9:14)。「ヨハネの弟子たち」と言われているところの「ヨハネ」とは、「バプテスマのヨハネ」のことです。バプテスマのヨハネは、イエス様にバプテスマを授けた人物で、聖書には、イエス様が福音を宣べ伝える働きをする道備えをする人物として書かれています。そんなヨハネの弟子なのですから、筋から言えば、イエス様や弟子たちに近い立場にあったのではないかと思います。にも関わらず、そんな彼らがイエス様の弟子たちの振る舞いについて質問しにやって来る…。ここでの質問は、はっきり言って批判です。イエス様の弟子たちにしてみれば、正直、ショックだったかも知れないと思います。しかし、これも致し方ないことなのかなとも思います。どんなに立場や考え方が近かったとしても、やはりヨハネの弟子たちは、イエス様を信じ、従っていたわけではありませんでした。そんなヨハネの弟子たちは、やはり、イエス様の弟子たちと違いがあったのです。それゆえ、イエス様の弟子たちの生き方、考えに対して、理解できない部分や、受け止められない部分があっても、やむをえなかったと思います。

そんなことを思いながら、本日の箇所を読んでいく時、大切なメッセージを聞くことができるのではないかと思いました。本日の箇所は、イエス様の弟子たちとヨハネの弟子たちの違いが浮き彫りになっている箇所です。彼らはベースとなる生き方、考え方というのは似ていたはずなのですが、そんな彼らの違いが浮き彫りになっているのです。そこから、私たちは本質的な部分での「違い」というものを見ていくことができるのではないでしょうか。そして、そのような「違い」を通して、私たちは「クリスチャン」と他の人との違いは何か、「クリスチャンとは何者なのか?」というのが見えてくるのではないかと思うのです。

 イエス様は、ヨハネの弟子たちの批判に対して、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう」(9:15)と答えました。イエス様は、イエス様の弟子たちのことを「花婿の結婚式に参列している婚礼の客」に例えられたのです。「花婿」とは、イエス様のことです。婚礼の客は、この「花婿」がいる限りにおいて、喜びに与ることができる…。断食して、悲しむ必要はない…。イエス様はそのようにおっしゃったのです。このところから、「クリスチャンとは何者なのか?」ということについて、まず思うことがあります。クリスチャンは、イエス・キリストという花婿を心で見上げ、喜び、迎え入れている者なのです。そして、そのような者として生きる時、他の人たちと見ているものが違くなるのです。どんな状況に置かれていても、たとえ、他の人たちが悲しみに暮れ、断食しないでいられないような状況にあったとしても、花婿がいるから、喜べる…。イエス・キリストにあって、喜びを見いだせる…。それがイエス・キリストという花婿を見ている人の姿、クリスチャンの姿なのです。

                         (鈴木 牧人)
 
                

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