日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2014年11月9日の礼拝メッセージから

召天者記念礼拝信じる者の望み

ペテロ第1の手紙 1章21節 


 「あなたがたは、このキリストによって、彼を死人の中からよみがえらせて、栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり、したがって、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっているのである」(1ペテロ1:21)。

 本日の御言葉から、私たちは、三つのことを確認したいと思います。一つ目は、私たちは「このキリストによって」信じる者となったということです。私たちの信仰は、イエス・キリストによる信仰、イエス・キリストによって立つ信仰なのです。次に私たちは、このキリストに対して、神が「彼を死人の中からよみがえらせて、栄光をお与えになった」ことを信じているということにも心を留めたいと思います。イエス・キリストが死なれ、よみがえらされたこと…。つまり、十字架と復活の出来事です。私たちがイエス・キリストによって立つという時に、何よりこのことを語らないではいられないのです。私たちの信仰の中心にこのことがあるのだということを確認していきたいと思います。三つ目は、本日の最後の部分に「したがって、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっている」という言葉です。ここに書かれている通り、私たちは、イエス・キリストによって立たなければ、イエス・キリストの十字架と復活を信じる信仰を土台に据えなければ、信仰も希望も語れないのです。私たちの信仰は、このことにかかっているのだということを確認していきたいと思うのです。

 本日の箇所を読みながら、改めて「かかっている」という言葉が迫ってきました。「かかっている」ということは、言い方を替えるなら、ここのところがぼやけたり、曖昧になってしまうなら、肝心かなめの部分が駄目になり、私たちの信仰全体が崩れてしまいかねないということなのだと思います。使徒パウロは、このことについて、Tコリント15:12-19でするどく語りかけています。当時、コリント教会では、復活について、色々なことを言う人たちがいたようです。中には、「聖書のメッセージはおおむね受け入れられるけど、復活は信じられない、復活なんてない」という人もいたようです。そんな中、パウロが語っているのは、もし、「もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい」(15:14)ということでした。さらに15:17では「もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり」と語り、15:19では「もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる」と語っているのです。ここで「あわれむべき存在」と言われているのは、ギリシア語を読むと、「可哀想」「みじめ」という意味の言葉が使われています。もちろん、パウロがこんなふうに言うのは、決して、自分たちが哀れで、みじめな存在だと思っていたからではありません。イエス・キリストを信じる信仰、十字架と復活を信じる信仰は、決して単なる期待感ではなく、真実だ…。そのことを、体重をかけて信じていたから、そのように語ったのです。

                         (鈴木 牧人)
 
                

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