日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2014年11月23日の礼拝メッセージから

何を見、何を聞き、何を語るのか

マタイによる福音書 9章22〜34節 


 本日の箇所は、イエス様が「悪霊につかれて口のきけない人」を癒されたというところです。本日の前の箇所である9:27-31には、二人の目が見えない人をイエス様が癒されたという記述が記されています。そんなふうに、9:27-31には、イエス様が様々な人を癒されている様子が記されています。一連の記述を見ながら、何より、イエス様って凄いな、素晴らしいなと思いました。ただ、これらの箇所を読む中で、少し気になるところもありました。その一つは9:30-31の記述です。ここには、目が見えない人たちが、イエス様に癒された後、イエス様からきびしく「このことをだれにも知らせてはいけない」(9:31)と言われたにも関わらず、その言葉を無視して、周りの人たちに言い広めた様子が書かれています。もう一つは9:34です。ここには、イエス様が悪霊につかれて口のきけない人を癒された後、数人のパリサイ人たちが「彼は、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」(9:34)と言って非難した様子が書かれているのです。この二つのことというのは、ある意味、イエス様の癒しの出来事と、対照的なのではないでしょうか。まず、目が見えない人が、イエス様に癒された後、イエス様から「このことをだれにも知らせてはいけないよ」と言われたにも関わらず、勝手に言いふらしてしまっている…。ここには、「語る」ということが問われているのではないかと思います。また、口がきけない人が癒された後、パリサイ人たちがイエス様を非難している記述については、「このパリサイ人たち、一体、何を見ていたんだろう」と思ってしまいます。そんなふうに思う時、ここには、「見る」ということが問われているのではないかと思うのです。そのように、この二つのことというのは、一連の癒しの出来事と対照的なことなのではないでしょうか。この一連の記述の中で、イエス様は、目が見えない人、語れない人を癒されました。しかし、その一方では、すでに見えているはずの人、語っているはずの人たちの間で、「見る」ということや「語る」ということについて、混乱している様子があるのです。そして、そんなふうに混乱している人たちの姿を思う時、それというのは、私たちも無関係ではないのではないかと思うのです。

 現在、私たちの世界は、人類がかつて経験したことがないほどに情報を共有することができる世界だと言われています。それは、何よりインターネットの影響があるのだと思いますが、そのお陰で、私たちは世界中の情報をすぐに得ることができます。その様子というのは、言うなれば、これまでにないほどに見る力が与えられ、語る力が与えられていると言えるかも知れません。しかし、一方で「見る」ということや「語る」ということについて、混乱している私たちはいないでしょうか。本日の箇所を読みながら、改めて思います。それは、私たちを本当の意味で癒し、解放するのは、イエス・キリストだということです。イエス・キリストと出会い、イエス・キリストの十字架と復活を見上げることによって、私たちは、見失っていた真実を取戻し、愛と恵みの眼差しを取戻し、希望を取り戻していくのです。そして、本当のことを見る力、本当のことを語る力が与えられていくのだと思うのです。

                         (鈴木 牧人)
 
                

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