日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2014年12月7日の礼拝メッセージから

喜びを伝える

ルカによる福音書1章39〜45節


 本日の箇所は、マリアがユダの町に向かっているところから始まっています。ここでマリアがなぜ、ユダの町に向かっていたのかと言うと、エリサベツに会おうとしていたからでした。本日の箇所の前に書かれているルカ1:26-38には、有名な受胎告知の場面が記されています。その際、御使いは、マリアに対して、「あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。神には、なんでもできないことはありません」(1:36-37)と告げました。この言葉を聞いていたマリアは、天使が言ったことが本当かどうかを確認するために、ユダの町に向かったのです。

エリサベツに会うためにユダの町に向かっていたマリアは、どんな思いだったでしょう。正直、不安を抱えていたのではないかと思います。未だ結婚もしていないのに母親となる・・・。しかも救い主の子どもを宿す・・・。受胎告知のメッセージは、一つ一つが本当に大変なチャレンジでした。マリアは、この時、すでに天使の言葉を聞き、信じて、受け止めていました。御心がなるようにと心に決めていました。そのように、自分としては御使いの言葉を信じていましたし、御心の生きようと決心していました。しかし、内心はやはり不安を拭えなかったのではないかと思うのです。そんなマリアの心境が1:39には表れているのではないでしょうか。1:39には、マリアがユダの町に大急ぎで向かったと書かれています。何で、マリアが大急ぎだったのかと言うなら、それは不安だったから、心が焦っていたから、一刻も早くエリサベツに会って確認したかったからではないかと思うのです。

 マリアは、ようやくユダの町にたどり着きました。すると、マリアの声を聞いたエリサベツは、胎内の子がおどり、マリアに祝福の言葉を述べたのでした。この場面を想像してみたいと思います。マリアはエリサベツとの出会いにどれほど助けられたのでしょうか。マリアは、今まで心の中でモヤモヤしていたものが、スーと取り払われていったのではないかと思います。そして、心に平安が与えられたのではないでしょうか。そんな中、この後、初めてマリアの口から讃美が生まれるのです。それが本日の後の1:46-56で歌われている有名なマリアの讃歌でした。

私たちは、本日、この二人のことを考える時、マリアとエリサベツのどちらに自分を重ねるでしょうか。表面的には、色々なことが分かっていても、心には拭いきれない不安や怖れや孤独を抱えている・・・。そんなマリアでしょうか。それとも、理屈ぬきでお腹の底から喜びにあふれているエリサベツでしょうか。私は時々に自分がマリアになっているのではないかと思います。そんな自分を思いながら、本日の箇所から、嬉しいなと思うことがあります。それは、本日の箇所で、マリアは、エリサベツに出会った時に変えられたことです。それまで拭えない不安をずっと心の底に抱えていたマリアでしたが、本当の喜びを知っていたエリサベツ、お腹の底から喜びで溢れていたエリサベツに出会い、エリサベツから祝福の言葉を聞いた時、マリアは変えられたのです。

                         (鈴木 牧人)
 
                

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