日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2014年12月21日の礼拝メッセージから

神のまなざしに生きる人

ルカによる福音書1章46〜56節


本日の箇所は、「マリヤの讃歌」と呼ばれている箇所です。マリヤはここで、「主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます」(1:51-53)と歌いました。しかし、私たちは、この讃美を聞いて、すぐアーメンと言えるでしょうか。おそらく、私たちの生かされている現実というのは、しばしばこの讃歌が語る世界とは、全く反対の方向に向かっているのではないかと思います。心の思いのおごり高ぶる者だったり、権力のある者だったり、富んでいる者ばかりがいい思いばかりをしている現実があるのではないでしょうか。そういう人たちが尊ばれ、一目置かれ、勝ち組と呼ばれたりして、みんなからちやほやされている・・・。そういう状況があったりするのではないかと思います。一方で、立場の弱い人、貧しい人、生活環境の苦しい人がどんどん軽んじられてしまったり、排除されてしまったりしている・・・。そういう状況があったりするのではないかと思います。私たちもどこか「悲しいけれど、それが現実だよ」と割り切ってしまっているようなところがあるのではないでしょうか。しかし、本日のマリヤの讃歌というのは、「それだけではないんだ」ということを私たちに語りかけているのです。むしろ、私たちがそんなふうに思い込んでいる現実とは、全く違う・・・。全く正反対にさえ思えてしまう・・・。そういう世界があるんだ…。神様の世界、神様のなそうとしている世界というのは、そういう世界なんだ…。マリヤは、そのように高らかに歌い上げているのです。

私たちは、このマリヤの姿から、「クリスマスとは何か」ということについて、本当に大切なことを教えられるのではないかと思います。クリスマスを身をもって経験し、その恵みを味わった時、マリヤはそれまでの自分の思いや価値観が変えられていきました。それまで「こうだ」と思い込んでいた考えや価値観が砕かれ、取り扱われ、全く新しい思い、価値観に生かされていったのです。それが、マリヤのクリスマスでした。私たちも信仰の歩みの中で、そういう経験をさせられることがあるのではないかと思います。私たちクリスチャンも、この世界の価値観だったり、考えや、感覚を持ち合わせていますし、そのような感覚でもって日々の歩みを歩んでいるのだと思います。しかし、信仰を与えられ、イエス様を見上げて歩もうとする時、そんな私たちが立ち止まらされることがあるのではないかと思います。「それだけではない」ということに気づかされながら、それまで何の問題もなく、当たり前のように感じていた事柄に対して、違和感を覚えたり、「これはおかしいんじゃないか」と思うようなことがあるかも知れません。あるいは、一般社会の価値観に寂しさを感じ、希望を見失っていた私たちが、それまで考えていたことは違う聖書のメッセージに出会い、イエス様に出会う中で慰められ、励まされ、希望が与えられるということもあるのだと思います。いずれにしても、私たちは、聖書に出会い、イエス様に出会う時、そのことを通して、それまでの自分の価値観や眼差しを変えられ、新しい思いや価値観に生かされていくのです。

                         (鈴木 牧人)
 
                

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