日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2015年1月11日の礼拝メッセージから

福音が語られる世界

マタイによる福音書9章35〜38節

 

本日の箇所には、イエス様が人々に御国の福音を宣べ伝えるために、様々な町々や村々を巡り歩いたということが記されています。この時、イエス様は「群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた」(9:36)と記されています。「飼う者のない羊」とは、どういうことでしょうか。旧約聖書には、しばしばこのような言い回しがなされています。イザヤ書53:6には、「われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた」と書かれています。この御言葉から「飼う者のない羊」として想像するのは、それぞれが迷い、おのおの自分勝手な道に向かってしまっている姿です。以前、聞いたことがあるのですが、羊は酷い近眼だそうです。近眼と言っても、羊の視野は大変広くもあるのだそうです。一度に色々なところを見ることができるのです。その代わり、全体がぼやけて見えているのです。このため、オオカミなどの外敵が突然襲ってきた場合には、非常に好都合です。どこから襲ってきても、ちゃんとそれを察知して、逃げることができるのです。しかし、逃げたとしても、周りがよく見えていないので、自分がどこにいるのか、どこに向かっているのかが分かりません。このため、すぐに迷ってしまうのです。そんなふうに、羊というのは、その場のことしか見えておらず、とっさに行動することはできたとしても、結果として、自分の居場所が分からなくなってしまうのです。そのように、「飼う者のない羊のように」という言葉から想像するのは、自分の居場所だったり、自分がどこに向かうべきか分からずに迷ってしまう人の姿です。
 また、「飼う者のない羊」ということで、もう一つ想像するのは、「飼おうとしてくれる人がいない」ということです。つまり、この羊たちは、周りから見捨てられてしまっているのです。「お前たちなんか必要ない」と見捨てられてしまったり、羊たちに関わったり、世話をしたりしようとしてくれる人がいない・・・。そういう意味で、「飼う者のない羊」ということが言えるかも知れません。
 そんなふうに「飼う者のない羊」という言葉から、様々なメッセージを聞くことができます。そして、そのメッセージから私たちに呼びかけられていることがあるのではないでしょうか。私たちは時に自分の居場所がわからなくなったり、自分がどこに向かうべきか分からなくなっていることがあります。自分の存在意義が分からなくて、悩むこともあります。そんな私たちのことを思う時、本日の「飼う者のない羊」の姿が重なってくるように思うのです。本日の箇所で、イエス様はそんな人々をご覧になられました。そして、彼らを「深くあわれまれた」のです。ここに福音のメッセージが聞こえてくるのではないでしょうか。本日の箇所で人々をごらんになったように、イエス様は私たちを見てくださっています。そして、私たちを思いやり、私たちに寄り添おうとしてくださる・・・。このイエス様との出会いに、私たちの慰めと希望があるのです。そこから福音のメッセージが聞こえてくるのです。

                              姪浜教会牧師 鈴木 牧人  
                            
 

                                          

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