日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2015年2月1日の礼拝メッセージから

「へびのように賢く、はとのように素直に」

マタイによる福音書 10章16〜25節 

 本日の箇所は、これから福音宣教の働きに出て行こうとしていた弟子たちに対して、イエス様が語られた言葉です。イエス様は弟子たちに対して、「わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである」(10:16a)とおっしゃいました。イエス様は弟子たちの身を案じながら、祈られながら、彼らを働きへと遣わされたのだと思います。その中で、イエス様が弟子たちに「このことは忘れてはいけないよ」という思いで伝えようとした言葉が、「へびのように賢く、はとのように素直であれ」(10:16b)という言葉でした。一体、これはどういう意味でしょう。「へびのように賢く」と言われると、真っ先に思い浮かべるのが旧約聖書の創世記に記されているアダムとイブをだましたへびの姿です。創世記3:1には、「野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった」と書かれています。そのような狡猾さを持ちなさいと言われているかと思いきや、一方で、はとのように素直でもありなさいとも言われているのです。何か正反対のことのように思えます。狡猾であればいいのでしょうか、素直であればいいのでしょうか。よく分からない言葉です。弟子たちはどう思ったでしょうか。正直、難解な言葉だったのではないでしょうか。でも、一方で思います。おそらく、イエス様は、ここで、こういうふうに言うしかなかったのではないでしょうか。

 イエス様はここであえて全く正反対に思える二つのことをおっしゃいました。そして、その二つとも大切なんだとおっしゃったのです。片方だけではいけないのです。へびのように賢く、狡猾であればそれでいいのではありません。はとのように素直であればそれでいいのではありません。両方とも必要なのです。そして、おそらく、私たちがこの言葉に向き合って生きようとする時、「自分はそうできている」と言い切れない自分にいつも立たされるのだと思います。自分は賢く物事を考えている・・・。一つ一つをちゃんと吟味している・・・。すぐには鵜呑みになんかしない・・・。そういう私たちがいるとするなら、おそらくそういう時というのは、「はとのように素直である」ということができなくなっていることがあるのではないでしょうか。逆に、何でも素直に信じている・・・。そういう時というのは、きちんと事柄を吟味して見分けるということができないことがあるのではないかと思うのです。そんなふうに、私たちというのは、どちらかに偏ってしまっていることが多々あるのではないかと思います。そして、もしそんな私たちがいるとするなら、本日のイエス様の言葉から聞かなければならないのは、「自分にとって足りないものに目を向けること」なのだと思います。もし、私たちがへびのように賢くあろうとし、はとのような素直さを見失っているとするなら、もう少し素直になることが必要なのかも知れません。何でもかんでも斜めから見てしまうのでは、逆に見えなくなってしまうことがあるのです。受け取れないことがあるのです。逆のこともあるかも知れません。そのように、私たちが、それぞれ、自分にとって、今足りないものは何かを考え、そちらの方に目を向けることが必要なのだと思います。そうしながら、私たちは絶えず、自分たちの歩みを軌道修正していくことが必要なのではないでしょうか。

                         (鈴木 牧人)
 
                

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