日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2015年2月15日の礼拝メッセージから

平和の主

マタイによる福音書10章34〜39節 


 本日の箇所で、イエス様は「平和」について語られました。しかし、ここで語られた言葉というのは、本当に驚くべきものでした。ここでイエス様は、御自身が平和をもたらすためではなく、つるぎを投げ込むために来たとおっしゃったのです。聞いていた人たちは、皆、エーっと思ったのではないでしょうか。しかし、これまでのイエス様の振る舞いを見、イエス様が語られた言葉をきちんと聞いてきた人なら、このイエス様の言葉を表面的にだけ受け取るべきではないということにすぐに気づいたのだと思います。イエス様は、地上につるぎや争いをもたらそうと思って、このようなことをおっしゃったのではないのです。イエス様はこれまでも平和について語ってこられました。中でも有名なのは、マタイ5章に記されている山上の説教です。そこでイエス様は「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(5:9)と言われました。そのように平和をつくり出す人たちは、さいわいだ・・・。その人は何より祝福されるんだとおっしゃったのです。そして、イエス様ご自身、実際につるぎをもったことなど一度もありませんでした。そのように、イエス様は争いを望まれている方ではありませんでした。誰よりも平和を望まれたのです。にも関わらず、本日の箇所でこのように語られました。これはどういうことでしょうか。私はこの御言葉を読む時、イエス様が私たちに「本当の平和とは何か」ということを問うている言葉なんじゃないかと思います。私たちが時に、余りに安易な平和の絵を描こうとし、その平和にどっかり座りこんでしまおうとしていることに対して、「それじゃ駄目だ」と問うているのではないでしょうか。そして、このイエス様のメッセージというのは、現代の私たちに深く問われているのではないかと思います。社会全体の問題として、また身近な問題として、今の時代、わたしたちは今、本当の平和とは何かが深く問われているのではないかと思うのです。

本日の箇所で、イエス様は、「つるぎを投げ込むためにきた」とおっしゃいました。しかし、イエス様が「つるぎを投げ込む」と言われながら、実際になさったこととは何でしょうか。それは御言葉を語ることでした。福音のメッセージを語ることでした。そのように神の御言葉を語りながら、神の真実を指し示し、人々の問題や過ちを指摘されたのです。その一方、当時の人々が「あいつは罪人だ」とレッテルを張っていた人だったり、差別していた人だったり、社会でわきに追いやられている人、そのように宗教的に、社会的に弱い立場におかれていた人、当時の人たちが無視しようとしていたり、自分たちには関係ないと通り過ぎようとしていた人たちに寄り添い、彼らを指し示し、「この人を見なさい」と言われたのです。そのようにしながら、神様の真実と神様の愛に徹底して生きるように招き、指し示されたのが、イエス様のされたことでした。そして、その歩みを貫かれながら、十字架にまで向かわれたこと・・・。それこそ、本日の箇所でイエス様が言われている「地上に投げ込まれたつるぎ」だったのです。実際、イエス様の語られたメッセージや歩まれた歩みというのは、人々の思いに何よりするどく突き刺さり、思いを砕いていったのです。

                         (鈴木 牧人)
 
                

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