日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2015年3月1日の礼拝メッセージから

『きたるべきかた』はあなたなのですか

マタイによる福音書11章1〜14節 


 本日の箇所は、バプテスマのヨハネがイエス様に弟子たちを遣わして、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」」(11:2-3)と尋ねたところです。かつて、バプテスマのヨハネは、ヨルダン川でイエス様にバプテスマを授けました。そのヨハネがイエス様に対して「あなたは本当に救い主なんですか」と尋ねたのです。一見、何で今さらヨハネはこんなことを言っているのだろうかと思わされます。バプテスマのヨハネは、すでにイエス様を来るべき方として受け止めていたはずではなかったのでしょうか。以前はイエス様を信じていたのに、疑いだしたのでしょうか。

実はこの時、バプテスマのヨハネは、牢獄の中にいました。時の領主だったヘロデ・アンティパスに捕らえられていたのです。ヨハネはある時、ヘロデのしたことについて厳しく非難しました。ヘロデは、自分の弟であるフィリポの妻ヘロディアを奪って、自分の妻としてしまっていたからです。「そんなこと律法では赦されていない」とヨハネは厳しくヘロデを非難しました。すると、それを煙たく思ったヘロデは、ヨハネを捕まえて、牢獄に入れてしまったのです。全く理不尽な投獄でした。そんな状況の中で、ヨハネはイエス様に問いかけたのです。牢獄の闇の中で、理不尽な鎖につながれながら、失望させられることが山ほどある・・・。そんな中、イエス様に問いかけた問いというのは、イエス様を疑っての問いではなくて、むしろイエス様を本気で信じようとしているがゆえの問いなのではないでしょうか。私たちは時に信仰をもって歩もうとしていても、心が弱くなってしまうことがあります。ゆさぶられそうになってしまうことがあります。力を失いそうになってしまうことがあります。そんな中、主に問わずにいられなくなるのです。それは、主を疑っているというより、主に確かな思いを頂きたい・・・。そのような問いです。色々な出来事の中、イエス様の姿が見えなくなってしまいそうになる・・・。そんな中、「それでもあなたを信じていいのですか」という思いが、切実な祈りのように、私たちの心に湧き上がってくることがあるのです。

バプテスマのヨハネの問いは、実際のところ、失礼な質問だったかも知れません。「あなたは、私を信じていたはずなのに、疑うようになったのか」とイエス様を悲しませてしまうような言葉だったかも知れません。しかし、イエス様は、この時のヨハネの様々な思いを知っていてくださいました。そして、言われたのが「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、重い皮膚病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている」(11:4-6)という言葉でした。ここでイエス様が示されたのは、救いの景色でした。ヘロデの牢獄につながれた世界と比べるなら、天国の景色が広がっていました。牢獄の暗闇の中で神様の輝きを見失いそうになっていたヨハネにとって、イエス様が「ヨハネに報告しなさい」と言われた天国の景色は、何よりもヨハネを励まし、力づけるものだったのではないかと思います。イエス様はその様子を見せながら、「わたしにつまずかない者は、さいわいである」と言われたのでした。

                         (鈴木 牧人)
 
                

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