日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2015年3月29日の礼拝メッセージから

わたしが背負うから

マタイによる福音書11章28〜30節 


 私が以前集っていた教会では、毎年、ワークキャンプというものを行なっていました。川井農園という障がい者支援施設のミカン農園に行って、色々お手伝いをしていたのですが、そこで農道を作ったり、段々畑を作ったりしながら、一日中、土掘りばかりしていました。その時、土掘りが本当にしんどい作業だということを嫌というほど経験してきました。しかも一生懸命穴掘りをしていると、後から「そこ、掘らないでいいから」と言われたりすることもありました。そういう時は、心底、がっかりさせられてしまいました。そんな自分自身との経験を思いながら、つくづく思うことがあります。それは、私たちにとって、最も酷なことの一つは、私たちが無駄なことのために頑張らなければならないことなんじゃないかということです。多少、辛いこと、しんどいことがあったとしても、それでも、その苦労にはきちんとした目的があって、意味があって、そういうことをしているのだとすれば、まだやりがいがありますし、ある程度、頑張れるのではないかと思います。しかし、全く無駄なことのためにやらなければいけないという時、そんなふうには頑張れないのではないかと思うのです。
 私たちは、日々の歩みの中で、しばしば、そういうしんどさを経験することがあるのではないかと思います。目の前の色々なことに必死になって奮闘しながらも、意味や目的が分からない・・・。自分の中に、明確な意味や目的もないにも関わらず、自分の意志に反して、いつの間にか、たくさんのものを背負わされているように思う…。そうやって必死になって色々なことをしているのですが、さほど周りから評価されることもなく、自分自身、達成感もなかったりする・・・。そんな中で、何のためにこんなに苦労しているのか分からないようなことのために頑張っているように思えてならない・・・。そういう思いをさせられていることがあるのではないかと思うのです。そういうしんどさというのは、中々言葉で言い表せないものかも知れませんし、周りからも理解してもらえなかったりするかも知れません。でも、そういうしんどさというのは、正直、本当にしんどかったりするのではないでしょうか。
いずれにしても、私たちは、日々の歩みの中で、明らかに「大変だな」と思うようなしんどさを通ることもあれば、言葉で言い表せないようなしんどさを抱えていることもあるのだと思います。本日のイエス様の御言葉は、そんな私たちに語りかけられているのです。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28-30)。
 本日、ぜひ、この御言葉を受け取って帰りたいと思います。今の時代、私たちは、それぞれに様々な重荷を抱えているのだと思います。イエス様は、そんな私たちを知っていてくださり、思いやってくださり、「あなたの重荷をすべてわたしのもとにもってきなさい。あなたを休ませてあげよう」と呼びかけてくださっているのです。

                         (鈴木 牧人)
 
                

 

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