日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2015年4月19日の礼拝メッセージから

「善いことをするのは、正しいこと」

マタイによる福音書12章9〜14節


 安息日にイエス様が会堂に入られたところ、ファリサイ派の人々が「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」(12:10)と尋ねました。彼らはイエス様を訴えようと思って、このように尋ねたのです。何故、彼らはそのようにイエス様に挑戦したのでしょうか。そこには色々な思いがあったのだと思います。聖書にはイエス様とファリサイ派の人たちとの様々なエピソードが記されています。マタイ9:1-8には、中風の人の癒しの出来事が記されています。この時、イエス様は中風の人に「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」(9:2)と言われました。しかし、これを聞いた律法学者は、心の中で「この男は神を冒涜している」(9:3)と思ったのでした。9:9-13には、イエス様がマタイという徴税人を弟子にされ、徴税人たちと一緒に食事をされた記述が記されています。この時もファリサイ派の人たちは、イエス様が何であんな人たちと食事をしているんだと不満を抱き、訴えた様子が記されています。その後に記されている9:14-17も同じです。イエス様の弟子たちが断食をしないということで、ヨハネの弟子たちと共に、文句を言っているのです。12:1-8には、安息日にイエス様の弟子たちが麦の穂を摘んで食べたということで、ファリサイ派の人たちが、イエス様に対して激しく抗議してきたことが記されています。このように、ファリサイ派の人たち、これまでイエス様に対して、事ある毎に不満を募らせてきました。初めは、心の中でエッと思う程度だったのですが、次第にその思いはエスカレートし、やがてイエス様に対する敵意を露わにするようになっていったのです。
 そんな彼らのことを思う時、私たちには、そういうことってあるなと思いました。私たちも時に、人と人との関係ですれ違い、そのすれ違いがどんどんエスカレートしていって、思いを通わせることができなくなってしまうということがあるのではないでしょうか。そのように私たちは人との関係の中で、或いは色々な問題に向き合わされる中で、本日のファリサイ派の人たちのように感情的になったり、意固地になってしまうことがあるかも知れません。それは仕方ないことかも知れないと思います。ただそんな私たちの姿を鑑みつつ、肝に銘じておかなければならないことがあるのだと思います。それはその思いにいつまでも固執してはならないということです。本日の律法学者たちやファリサイ派の人たちが、自分たちの思いに固執してしまった結果、どうなったでしょうか。彼らはイエス様を殺そうという思いに突き進んでいきました。神様を信じ、求めていたはずの彼らが、神の御子を殺そうとしていったのです。私たちは、そのような愚かな歩みに突き進んでしまうことがあるのです。
私たちは時に意固地になったり、感情的になったりすることあるかも知れません。しかし、その中で立ち止まり、何が本当の善いことなのか、御心なのか、祈る必要があります。私たちにどんな時にも、善いことを指し示しておられるイエス・キリストに眼差しを向ける必要があるのです。そのような中で、私たちは自分たちの歩みを軌道修正していくことができるのだと思います。そして、礼拝の場所こそ、私たちにとってそういう場所なのだと思います。

                         (鈴木 牧人)
 
                

 

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