日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2015年6月14日の礼拝メッセージから

「種まきは土地づくりから」

マタイによる福音書13章1〜8節


 本日の箇所は、聖書の中でも大変有名な「種まきのたとえ」です。種を蒔く人が種を蒔いたのですが、種が様々な土地に蒔かれていきました。そんな中、ある種はすぐに鳥に食べられてしまい、ある種は枯れてしまいました。しかし、良い地に落ちた種は豊かに成長し、実を結んでいったのです。
 本日の箇所には、四つの土地に落ちた種の姿が記されていますが、まず最初に落ちたのは「道端」でした。「道端」とはどんな場所でしょう。当時は、現在のようにアスファルトで舗装されたような道はありませんでしたが、他の場所とは明らかに違っていました。「道端」には毎日、多くの人や家畜や荷車が通り、踏み固められていたのです。そのような場所に種を蒔いても、根が土地に入るはずがありません。種は道端の上に転がったまま、鳥などの絶好の餌になってしまいました。イエス様は、そのような「道端」に私たちの姿をたとえられました。実際、私たちの心の中にそのような場所があるのではないでしょうか。これまでの人生や経験で踏み固められてきた私たちの心の道端・・・。そこには、自分の中で、すっかりできあがってしまっている考え、思い、そういうもので踏み固められてしまっているのです。そして、そのような場所というのは、他の言葉が入る余地がありません。御言葉が、そこに蒔かれたとしても、表をコロコロ転がるだけで、根づくことがないのです。
 次に言われた「石地」について考えたいと思います。ユダヤには岩棚の上に少しばかりの土がかぶさっている場所というのがよくあるそうです。見た目には豊かな土地にも見えるのですが、ちょっと掘り返すと、すぐ下には岩があるのです。そのような場所に種が落ちると、わりとすぐに目を出したりします。太陽の熱が浸透し易いのだそうです。ですから、最初はいいのですが、すぐに岩に突き当たり、それ以上伸びることができなくなってしまうのです。私たちの心も、そのようになっていることはないでしょうか。福音のメッセージを聞いた時には、わりと素直に開き、喜んで受け入れるのですが、心の奥のほうでは、受け入れない岩棚のような私たちがいるのです。結果、何事もなければよいのですが、激しい太陽の光が照り付けるような問題や、試練に突き当たったりするとすぐに躓いてしまったりするのです。
 三つ目に挙げられているのは、茨の中に落ちた種です。雑草や茨というのは、農夫にとって大敵です。これらは本当に強い植物で、猛威をふるい、種の成長を著しく損なわせるのです。私たちの心にも、そのような茨があるのではないでしょうか。例えば、この世の中の思い煩いであったり、それらへの執着の思いだったりが挙げられるかも知れません。そのような茨が心の中で次第次第に成長していくのです。そして、私たちの心は気づかない間に、世の中の様々な思い煩いや執着に心が覆われてしまって、御言葉が見えなくなってしまう・・・。そういうことがあるのではないかと思います。
イエス様は、そのような土地について語られながら、「良い地」となることを語られました。私たちが「良い地」となる時、御言葉の命と祝福は豊かに身を結ぶのです。

                         (鈴木 牧人)
 
                

 

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