日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2015年7月5日の礼拝メッセージから

「あなたがたの目は見ているから

マタイによる福音書13章10〜17節


 本日の箇所は、イエス様の弟子たちがイエス様に近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」(13:10)と訴えている箇所です。本日の箇所を読むにあたり、注目したいのは、13:9と13:10の間です。13:1-9には、有名な「『種を蒔く人』のたとえ」の記述があります。この時、イエス様は、たくさんの人たちの前で、神の国の真理として『種を蒔く人』のたとえを語られました。そして、最後に「耳のある者は聞きなさい」(13:9)とおっしゃいました。その後の人々の反応はどうだったでしょうか。おそらく、芳しいものではなかったのだと思います。「たとえ話なんかで語られても、イエスの言うことがさっぱり分からない」という人がいたり、「種まきの話なんかをされても、自分たちは農業の話を聞きにきたわけではない」と言い出す人がいたりしたのではないかと思うのです。そんなふうに、ある人は首をかしげたり、ある人はイエスの言うことなんか大したことないと考えたりしながら去っていってしまう・・・。そういう状況があったのではないでしょうか。ですから、本日の箇所で弟子たちは「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と訴えたのだと思います。たとえなんか分かりにくい言い方は辞めてくださいと願ったのです。
 弟子たちの訴えにも関わらず、イエス様はたとえで語ることを辞めようとはなさいませんでした。そして、おっしゃったのは、「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである」(13:11)ということでした。大変厳しい言葉です。そんな中、本日のイエス様と弟子たちとのやり取りを読む時、色々なことを考えさせられるのですが、特に印象的だったのは、「見ても見ず、聞いても聞かず、理解できない」(13:13)という言葉でした。これは、イエス様の話を聞いても理解しようとしない当時の人々の姿を指して言われている言葉です。しかし、ふと自分も例外ではないのかも知れないと思いました。たとえ見たとしても肝心なことが見えておらず、聞いていたとしてもちゃんと聞いていない・・・。さっぱり理解できていない・・・。それは、自分自身のこととして、そうではないかと思うのです。実際、聖書を読んでもよく分かっていない・・・。そういうことがしょっちゅうあります。そんなことを思いながら、ここで心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまっている者というのは、私も例外ではないと思うのです。しかし、同時に本日の箇所を読みながら思ったのは、私たちが聞いても聞こえない、見ても見えないからと言って、御言葉に何もないということではないのだということでした。私たちがたとえ気づかなかったとしても、御言葉には、「天の国の秘密が隠されている」(13:11)のです。本日の箇所から改めてそのように思いました。
私たちは今、この時代の中で、もっともっと真摯に聖書の言葉に耳を傾けていきたいと思います。たとえ、私たちに理解が難しかったとしても、真摯に御言葉に聞こうとする信仰があるなら、必ず主は私たちに出会ってくださいます。御言葉にある真理を教えてくださいます。そのことを信じて、「聞く耳を与えてください」と主に祈り求めていきたいと思います。

                         (鈴木 牧人)
 
                

 

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