日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2015年7月12日の礼拝メッセージから

「百倍にいたる命

マタイによる福音書13章18〜23節


 本日の箇所は、イエス様が「種まきのたとえ」の解説をされている箇所です。イエス様は、御言葉の種が蒔かれ、人が御言葉を聞いて悟っていく時、そこには豊かな実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍もの祝福の実が結ばれていくんだということをおっしゃいました。本日の箇所を読みながら、改めて、御言葉には命があるということ、力があるということを思います。御言葉を伝えるということは、そのように素晴らしい、尊い働きなのです。しかし、種まきのたとえを読む時、いつも思うことがあります。それは、この種まきの方法が余りにも非効率だということです。種まきのたとえでは、種が良い土地に蒔かれるだけではなく、道端に蒔かれたり、石地の地に蒔かれたり、茨の地に蒔かれたりしました。その様子を見て、何でこんな無駄な蒔き方するの?と思ったりすることはないでしょうか。ドイツの有名な詩人のゲーテが、この種まきのたとえを皮肉って詩を書いています。
「あなたの歩き方に、あなたの歩き方に気をつけなさい。あの、種蒔きの男みたいに、ふらふらしなさんな。そうしたら、むくいは大きいよ。あの男ときたら、偶然のいたずらに身をまかせ、こちらで道の上に種を蒔いてしまったかと思えば、あちらでは茨の中に種を蒔いてしまった。そんなことをしてはいけないのだ。成熟した、男らしい、しっかりとした手で、耕された土地にだけ、祝福を蒔きなさい」。
 そんなふうに、イエス様が語った種まきのたとえのあり方を見る時、ずい分と非効率で、無駄なことをしていると思います。しかし、それゆえに教えられることがあります。それは、御言葉を蒔く働きとは、そういうものなんだということです。御言葉を蒔く働き、伝道の働きというのは、往々にして、この種まきのたとえで言われているように、一見すると、非効率で、無駄なことをしているかのように思えてしまうようなものなのだと思うのです。「そんなことして意味があるの?」と言われてしまうかのようなところに種を蒔いていることがあるのです。実際、そうなのではないでしょうか。私たちの教会では、特別伝道集会やクリスマスの時期にはチラシ配りの働きなどを行なっています。そのような時にも思うのではないでしょうか。色々なところに行ってチラシを配る・・・。正直、効率が悪い働きです。でも、そのようなチラシ配りの中から数百枚や数千枚に一枚、チラシを手にとって教会に来られる人がおられます。そして、その人が福音に出会い、変えられるということが起こされるのです。そのことを思う時、決して無駄ではないのだと思います。
そんなふうに一見すると効率がよいようには思えないのですが、私たちはそれでも御言葉の種を蒔くのです。その姿は時に、ゲーテなどからしてみれば、全く愚かで、「そんなこと、およしなさい」と言われてしまいかねないかも知れません。しかし、御言葉を蒔く働きというのは、そのような働きなのだということを思うのです。

                         (鈴木 牧人)
 
                

 

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