日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2015年7月19日の礼拝メッセージから

命を育む業

マタイによる福音書13章24〜30、36〜43節


 本日の箇所は、イエス様がお話しになった「『毒麦』のたとえ」です。イエス様は何で、このようなたとえをお話しになったのでしょうか。色々なことが考えられるかも知れませんが、実際にそういう状況があったからなのだと思います。「敵がやって来て、毒麦をまき散らす」という状況があったのではないでしょうか。イエス様は、本日の箇所で「良い種を蒔く人」についての解説として、それは「人の子なんだ」と説明されました。「人の子」、つまりイエス様です。しかし、イエス様と同じように宣教の働きを成していった弟子たちも、このたとえで言われているような経験をさせられたのではないかと思います。実際、使徒言行録を読んでみますと、テサロニケやベレアで、パウロたちが人々に福音の種を蒔き、多くの人たちが救いに入れられていったにも関わらず、それを妬んだユダヤ人たちがパウロたちの働きを妨害しようとしていった様子が記されています(使徒17章)。この様子を見る時、本日のたとえ話で「敵」が毒麦を蒔いている姿が重なってくるように思えます。
 そんな色々なことを思いながら、本日のたとえを読んでいた時、印象に残った御言葉が二つありました。一つ目は「人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った」(13:25)との御言葉です。眠っている間に、敵が攻撃をしかけてくるなんて、全くもって相手が卑怯ですが、一方で、この御言葉を読む時、登場する人々の中にはどこかしら、「種を蒔いたからもう大丈夫」という思いもあったのではないかと思ったりします。それゆえ、人々はそのまま眠りについてしまったのではないでしょうか。そして、思ったのは、種まきをする者が緊張感や危機意識を持ちながら、「目を覚ます」ということです。
 もう一つ印象に残ったのは、13:28-29の御言葉です。ここには、敵に毒麦を蒔かれたことを知った僕たちが、すぐに「抜いてしまいましょう」と提案している様子が記されています。しかし、これに対し、主人は「それでは、せっかくの麦まで一緒に抜いてしまうかも知れない」と言って、そのままにされたのでした。ここには、僕たちの考えと、主人との考えの違いが記されています。ここから色々なことを考えさせられました。私たちはしばしば、この僕たちのような考え方に向かっていってしまっていることがあるのではないでしょうか。何か問題が起こると、すぐに「これはもう駄目」と見切りをつけ、切り捨ててしまう・・・。裁いてしまう・・・。そういうことがあるのではないかと思うのです。そんな中、このたとえの主人の言葉は、私たちに大切なことを呼びかけているのではないかと思います。主人は「育つままにしておきなさい」と言いました。主人がここで見ていたのは、毒麦が蒔かれたという「問題」ではありませんでした。まだここにある「命」に注目していたのです。
私たちの前にも色々なことがあります。その中で、私たちは何を見ているのでしょう。「問題」ばかり見ていないでしょうか。そこにある「命」や「祝福」を見ることができなくなってはいないでしょうか。目の前の状況を見て、すぐに「ダメだ」と考え、「抜いてしまおう」と考える僕たちの姿は、時々の私たちだったりするのではないかと思います。

                         (鈴木 牧人)
 
                

 

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