日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2015年7月26日の礼拝メッセージから

天の国はからし種のように

マタイによる福音書13章31〜35節


 イエス様は、本日の箇所で、天の国について「からし種に似ている」とおっしゃいました。皆さんは、からし種を見たことがあるでしょうか。からし種というのは、本当に小さなものです。そこにあったとしても、私たちが注意深く見ていないと見つけることができません。そこにからし種が置かれていたとしても、私たちは往々にして、全くそのことに気づかないで生活している・・・。からし種とはそういうものなのだと思います。イエス様が「天の国がからし種のようだ」と言われたこと・・・。それも、どこか重なってくるのではないでしょうか。天の国というのは、私たちにとって、見つけにくいものなのです。注意深く見ていないと分からないものです。しかし、私たちはその天の国を見失ってはいけないのです。それは信仰者としての大切な務めです。何故なら、ここにこそ、私たちの希望があるから、私たちの一番大事なものがあるからです。
今の時代を思う時、私たちの前には「神様なんてどこにおられるの?」「天の国なんてどこにあるの?」と思ってしまう現実があります。周りには、せちがらいことばかりです。周りで起こることやニュースを見ていると、気が滅入ったり、落ち込んだり、心が荒んだりしてしまうかも知れません。でも、そんな私たちに、イエス様は言われているのではないでしょうか。「ここに天の国があるんだよ」。私たちにとって、イエス様が示される天の国というのは、からし種のようにちっぽけに見えるものかも知れません。しかし、そのからし種のような天の国をしっかりと見ていく必要があるのだと思います。
本日のたとえをイエス様が語られた時、おそらく弟子たちも私たちと同じように「天の国なんてどこにあるの?」と思ってしまう現実に生きていたのではないでしょうか。しかし、そこには確かに天の国がありました。彼らの前にはイエス様がおられたのです。イエス様こそ、神の国の中心でした。私たちも同じです。私たち一人一人の歩みのただ中に、そして、私たちの教会のただ中に、今もイエス様がおられます。そこに天の国はあるのです。そこは神様から愛され、祝福されている天の国なのです。
本日の箇所のメッセージから加えて覚えていたいことがあります。それは、からし種は成長していくということです。ですから、私たちが、からし種のような天の国を覚えるという時、今だけを見ていては、その価値は分からないですし、そこで起こっている本当のことも分かっていないのです。私たちはしばしば問題の中にあると、今だけしか見ていなかったり、今見えるものしか心になかったりします。それでは肝心なものが見えていなかったりするのです。からし種の中にある命も、その命が着実に成長していることも、分かりません。そんな中、からし種の価値が分からないままだったりするのです。しかし、今だけではなく、これまでの歩みをしっかり覚え、そして、これからの歩みに目を注いでいく時、神様の確かな御業に気づかされていくことがあるのです。からし種の中に天の国の豊かさを見るということは、そういう視点が必要なのだと思います。

                         (鈴木 牧人)
 
                

 

       (TOPに戻る)

Copyright (C) 2001-2007 Meinohama Baptist Church. All Rights Reserved.