日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2015年8月16日の礼拝メッセージから

天国のことを学んだ学者

マタイによる福音書13章51〜52節


 本日の箇所には、イエス様と弟子たちとのやり取りが記されています。イエス様は、本日の箇所で、弟子たちに対し、「あなたがたは、これらのことがみな分かったか」と聞かれました。これに対し、弟子たちは「分かりました」と答えました。まず、このことについて考えていきたいと思います。イエス様は、これまで様々なたとえ話を話されましたが、イエス様のお話になったたとえ話というのは、人々にとって、簡単に「分かりました」と言えるような話ではありませんでした。むしろ、ほとんどの人にとって、理解できないものだったのです。それゆえ、たとえ話を聞いた多くの人がイエス様から離れてしまったようです。そんな中、弟子たちは、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」(13:10)とイエス様に訴えました。弟子たちとしてみれば、人々がイエス様のお話を理解していないことに歯がゆさを感じ、たとえ話なんかではなく、もっと直接的で分かり易い話をしてもらいたかったのだと思います。しかし、弟子たちは、他の人たちと同じように、分からないからと言ってイエス様から離れてしまうことはありませんでした。「分からない」で終わらずにイエス様に聞こうとしたのです。そんな弟子たちに対して、イエス様はたとえ話の解説をなされました。その結果として、本日の箇所で「分かりました」と答えることができたのです。
 そんなイエス様と弟子たちとの様々なやり取りを見る時、思うことがあります。弟子たちがイエス様に対して、「分かりました」と言えたのは、弟子たちが他の人たちより賢かったからではありませんでした。彼らはイエス様から聞き続けたのです。そうする中で、段々とイエス様のおっしゃっていることを理解できるようになっていったのでした。イエス様のことを知ること、聖書の御言葉を分かるようになるということは、こういうことなんじゃないかと思います。私たちも、聖書を読みながら、聖書の意味が分からないということがあるかも知れませんが、本日の箇所にあるような弟子たちの姿にならっていきたいと思うのです。
本日の箇所から、弟子たちの姿として、三つのことを思います。まず、一つは、イエス様のおっしゃっていることが分からなかったとしても、イエス様のところに留まることを辞めなかった姿です。二つ目は、聞くことを辞めなかった姿です。三つ目は、イエス様に信頼することを辞めなかった姿です。彼らはただイエス様から聞いたのではなく、イエス様に信頼して聞き続けたのです。ここに私たちにとって大切な姿があるのではないでしょうか。「辞めない」という言い方は、多少消極的に聞こえるかも知れませんが、私は弟子たちの姿を見る時、「辞めない」という姿が迫ってきます。私たちも、時に、色々なことで心が揺さぶられたり、イエス様のことが分からなくなってしまいそうになることがあります。その中で、イエス様に留まることを辞めないこと・・・。イエス様に聞くことを辞めないこと・・・。イエス様に信頼することを辞めないこと・・・。そのようなことが本当に必要な時があるのではないかと思います。そうする中で、聖書の本当の正しさだったり、イエス様の御心が分かってくることがあるのではないかと思うのです。

                         (鈴木 牧人)
 
                

 

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