日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2015年10月11日の礼拝メッセージから

そのままにしておきなさい

マタイによる福音書15章10〜20節


 15:1-9には、ファリサイ派の人たちや律法学者たちと、イエス様とのやり取りが記されています。その後、ファリサイ派の人々は、イエス様に対し、ますます心をかたくなにさせ、つまずいてしまいました。その様子を見ていた弟子たちは、「ファリサイ派の人々がお言葉を聞いて、つまずいたのをご存じですか」(15:12)と訴えてきました。もともとの発端は、弟子たちが食事の前に手を洗わないことでしたから、弟子たちにしてみれば、「手ぐらいだったら洗いますから、そんなことで、彼らをつまずかせないほうがいいんじゃないですか」という思いだったのかも知れません。これに対し、イエス様は、「そのままにしておきなさい」(15:14)と言われました。このイエス様の言葉を聞いて、どう思うでしょう。イエス様が冷たく見えるでしょうか。あるいは、無責任な態度に思えるでしょうか。実際、私たちは、そんな思いで、こういうことを言ってしまうことがあるかも知れないと思います。誰かが躓いてしまうのを眺めながら、他人事のように、冷たい眼差しで、「あの人のことは、しかたないよ、放っておくしかないよ」と言ってしまうことがあるのではないかと思います。
 イエス様がどんな思いで「そのままにしておきなさい」と言われたのかについては、色々な読み方ができるのかも知れません。しかし、私はこの箇所を読む時、きっとイエス様は、誰よりも苦悩されながら、心痛めながら、この言葉をおっしゃったのではないかと思います。それは、そうするより仕方なかったからだと思います。この時の彼らに、これ以上、何を言ってもますます頑なにしてしまうだけだったでしょうし、だからと言って、彼らに受け入れるようなことを、その場しのぎで語ったところで、本当の解決になりませんでした。そういう状況の中で、イエス様は、苦悩しながら、心を痛めながら、「そのままにしておきなさい」と言われたのではないかと思うのです。
 本日のイエス様の姿を見ながら、自分自身、戒められるように思います。こういうことがわきまえられずに、失敗してしまったことがあるように思うのです。今はそのままにしておくしかない・・・。本当は、そういう状況であるはずなのに、度を越えて介入して失敗してしまうことがあるように思います。そんな中、イエス様は、私たちの日常の歩みの中でも、「そのままにしておきなさい」と語りかけられていることがあるのではないでしょうか。この言葉を聞くというのは、私たちにとって、ジレンマを通らされたり、胸を痛めることだったりするかも知れません。しかし、私たちは、このイエス様の言葉をよくよくわきまえて聞かなければならないことがあるのだと思うのです。
 イエス様が本日の箇所で「そのままにしておきなさい」と語られた姿を思う時、何より思うことは、イエス様はきっとこの言葉を、祈りと共に語られたのではないではないかということです。そのままにしておくしかない状況で、イエス様は悩みながら、心を痛めながら、自分にはできないことを神様が取り扱ってくれるよう、神様に委ね、祈りながら、「そのままにしておきなさい」と言われたのではないかと思うのです。

                         (鈴木 牧人)
 
                

 

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