日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2015年10月18日の礼拝メッセージから

祈りはきかれている!

ルカによる福音書18章1〜8節


気を落として、もうあきらめてしまっていることはないでしょうか。イエス様が語られた譬えには、神さまを畏れない裁判官が登場します。人を人とも思っていないので、裁判官の利益や気分次第で、裁判が行われてしまう。たまったものではありません。そのような町に、一人のやもめがおりました。この人は、頼れる身内もおらず、この裁判官に訴え続けるしかない状況のようで、この「神を畏れず、人を人とも思わない裁判官」に訴えます。『相手を裁いて、わたしを守ってください』。しかし、不幸なことに、この裁判官は、取り合おうとはしません。このやもめが、今どういう状況で、何に困っているのか、話すらききません。本当に、どうしようもない裁判官です。ところが、このやもめは、驚くべきことに、このどうしようもない裁判官にも関わらず、あきらめませんでした。ただ絶望しているだけではありませんし、涙を流しているだけでもありません。このやもめは、他に頼るものがなかったのです。だからこそ、裁判官のところに毎日毎日、何度も、繰り返し、裁判官のところにいきます。そして、正義がなされることを求めています。
そして、この裁判官は、ひっきりなしにやってくるこのやもめに対して、毎日やってきてうるさいから、裁判をすることにしました。この人のためというよりは、自分のためにではあるけれども、とにかく裁判をしてやることにしました。この時、どんなに喜んだことでしょうか。裁判とは、「正常な関係を回復すること」、共同体の「全体性」、「健全さ」を回復することを意味します。
 そして、主は言われます。(6節)「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。」神様は、昼も夜も叫び求めている人たちのために応えてくださる。このやもめのような人たちの訴えをきいておられる、といいます。
 ある神学者は、このやもめとは、教会である、と言いました。教会は、主が来られるまでは、まるで捨てられたかのように、涙を流し続けている状況に落ち込むことがあります。私たちの周りは、抱えきれない大きな問題で満ちている状況です。そんな時代の中、本当に気を落とさずに絶えず祈り続けるのは、困難です。でも聖書を通して、イエス様は、何度も何度も、「あきらめないで」と呼びかけておられます。神様は「速やかに答えてくださる」。神様は、祈ったら、すぐに答えてくださるのでしょうか? 実際には、ほんのちょっと何かが変わることなのかもしれません。それは、本当に些細なことかもしれません。自分一人が変わっても、何もならないかもしれませんが、そのことが、もしかしたら想像しないところで、つながっていく、ということがあるのかもしれません。祈ったって、実際は何も変わってないように見えるかもしれません。しかし、何かが起こり始めていく、ということがあります。私たちは、祈りつつ、その神様の業に耳を傾けていきたいと思います。

                         (青木神学生)
 
                

 

       (TOPに戻る)

Copyright (C) 2001-2007 Meinohama Baptist Church. All Rights Reserved.