日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2015年12月27日の礼拝メッセージから

よろしく

ローマの信徒への手紙16章1-16


 本日の箇所で、注目したい言葉は「よろしく」という言葉です。この言葉は、本来のギリシア語では「抱く」という意味があります。「誰かを抱く」という言葉から始まって、抱きしめた相手に「あなたに祝福があるように」と祝福を告げるという意味が込められているのです。パウロはここで一人一人の名前を挙げながら、「よろしく」と語った時、そのような思いで呼びかけたのだと思います。パウロは、これまでローマ教会の人々に向けて様々なメッセージを語ってきました。福音にある喜びを活き活きと証ししたり、ローマ教会の人々を励ますメッセージもたくさん語ってきました。大変思い切った形でものを言うこともありましたし、ローマ教会の人々にしてみれば、すぐには「アーメン」とは応えられないようなことも語ってきました。しかし、それらのメッセージをパウロがどんな思いで語ってきたのかということが、「よろしく」から迫ってくるのではないでしょうか。一人一人を抱き締めるような思いで、この人に神の祝福があるように・・・。そんな祈りの中で、パウロはこれらのメッセージを語ってきたのだと思うのです。
 ずい分の前のことになりますが、教会に来られた方が、聖書を読まれて、こんなことをおっしゃっていました。「聖書のメッセージに聞いて、本当に自分がダメな存在であることがつくづく分かりました。自分が何て身勝手で、わがままに生きてきたかと思って、苦しくなりました。自分は失格です」。それを聞いて、私はこんなふうに言いました。「そのように聞かれたのは、きっと心が素直で、真っ直ぐに御言葉に受け止めようとしている証拠なんだと思います。でも是非、忘れないでいただきたいことがあります。それは、聖書のメッセージというのは、誰かを裁いたり、誰かを失格とするために書かれたものではないということです。イエス様は私たちの全てをご存知で、すでに受け止めてくださっているのです。しかし同時に聖書は、私たちが今まで自分が考えてきたこととは違う考え方や、生き方が示してくださっています。それは、私たちを新しい人生に招いてくださろうとしているからです。私たちが聖書のメッセージを通して、これまで知らなかったことに気づき、『自分だけの歩みではこう考えていた』ということとは違う生き方に招かれていくとするなら、こんなに素晴らしいことはないじゃないですか。だから、落ち込むのではなくて、そのような新しい人生に招いてくださっているイエス様を感謝しながら、聞くことができたらいいですね」。すると、その方はずい分安心された様子でした。私は自分自身、いつもそのような思いで聖書を受け止めようとしています。聖書のメッセージを準備しながら、自分の足りなさを痛感させられることがあります。しかし、そんな思いを通りながらも、「主がすでにこんな自分を受け止めてくださっている」、「こんな自分でも赦されている」という思いで御言葉を受け止めているのです。イエス様が御言葉を聞こうとする私たち一人一人を御手でもって抱き締めながら、「祝福があなたにあるように」との祈りをもって、様々なメッセージを語りかけてくださっていることを思いながら、御言葉を聞くのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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