日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年2月7日の礼拝メッセージから

三日目に復活することになっている

マタイ16章21-23節


本日の箇所は、ペトロがイエス様に「あなたはメシヤです」と信仰を告白した後の記述です。イエス様は、弟子たちに御自身がやがて受けられる十字架の苦しみを打ち明けられました。しかし、このことは、弟子たちにとってみれば、到底受け入れられることではありませんでした。ペトロはすぐさまイエス様を脇へお連れして、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」と言います。ペトロは純粋な思いから、イエス様や仲間の弟子たちのためを思って、このような行動を取ったのだろうと思います。しかし、そんなペトロに対して、イエス様は「サタン、引き下がれ」と言われます。イエス様からこんなことを言われ、ペトロにしてみればどんな思いだったでしょう。混乱してしまったのではないかと思います。「イエス様、何でこんなことをおっしゃるの?」「全く意味が分からない」「イエス様、おかしくなっちゃんたんじゃないだろうか」そんなふうにさえ思ったかも知れないと思うのです。
本日の箇所を読む時、つくづくペトロが可哀想だなと思います。しかし、一方で思うのは、この時のペトロの思いを、イエス様はご存知だったのだろうということです。ペトロがどんな思いで自分に対して「そんなことあってはなりません」と訴えているのか、イエス様はよく分かっていたのだと思います。でも、その上であえて、イエス様はこのようにおっしゃったのだと思うのです。このことをぜひ忘れないでいたいと思います。
ペトロについてあれこれと考えていく時、一つ思うことがあります。それは、私たちの心には、本質的に「十字架を見たくない私たち」が潜んでいたりしないだろうかということです。本日の箇所で、イエス様の受難告知に対して、必死に抵抗するペトロ・・・。そこにはペトロの色々な思いや理由があったと思います。でも、その根っこのところの部分には、「十字架を見たくない」という思いが潜んでいたのではないでしょうか。そして、それは私たちみんなが抱えている思いなのではないかと思うのです。
イエス様は弟子たちに十字架の受難を話された後、「三日目に復活することになっている」とお話しになりました。本日の箇所で最も大切なメッセージがここにあるのではないでしょうか。イエス様は何より弟子たちにこのことを知ってもらいたかったのだと思います。「十字架は必ず通るもので、避けては通れない」ということを訴えつつも、「しかし、そこには復活があるんだ」ということを弟子たちに知ってもらいたかったのです。しかし、おそらく弟子たちには、この復活のメッセージは届いていませんでした。なぜなら、イエス様が十字架のメッセージを語っていた時点で、弟子たちは耳を閉ざしてしまったからです。そんな弟子たちの姿から、私たちは大切なことを教えられます。それは、「十字架を見ようとしない人に、復活は見えない」ということです。そして、それは全く逆の仕方でも言うことができるのかも知れません。私たちは復活を見なければ、十字架を見れない・・・。十字架に向き合うこと、受け止めることができない・・・。そのようにも言えるのだと思うのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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