日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年2月21日の礼拝メッセージから

栄光の中で語らう人たち

マタイ17章1-8節


 本日の箇所には、イエス様が、弟子のペテロやヤコブ、ヨハネを連れて、高い山に登った時の様子が記されています。この時、イエス様は、何故山に登られたのでしょうか。色々な理由が考えられるかも知れませんが、何より思うのは、イエス様がこれから向かおうとされていた十字架への備えとして、山に登ったのではないかということです。マタイ16:21には、イエス様の受難告知の記述があります。イエス様は、これからいよいよ十字架への道へ歩もうとされていました。しかし、実際に十字架の道というのは、イエス様自身、戸惑いや葛藤、自問自答を通らされての歩みだっただろうと思います。そんな中、イエス様は十字架への備えとして、力を得るために山に登られたのではないかと思うのです。
本日の箇所について、ルカによる福音書には、イエス様が山に登った際、初めに「祈っておられ」(ルカ9:29)たことが記されています。この時、イエス様は十字架の道に思いを向けながら、父なる神様に支えと導きを求めて祈られていたのではないでしょうか。その祈りが極みへと向かう中で、「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」(17:2)のです。そして、イエス様の前に旧約聖書に登場するモーセとエリヤがあらわれ、イエス様と語り合い始めたのでした。ここでイエス様とモーセとエリヤは、何を語っていたのでしょうか。ルカによる福音書には、「二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた」(ルカ9:31)と記されています。この時、モーセとエリヤは、イエス様と十字架の道について語り合っていたのです。
 矢内原忠雄という人は、この箇所の解説をしています。
「ここでエリヤとモーセがイエス様に対して、自分たちの証を語ったのではないか。あなたがこれから行かれる道は、私たちもいくばくかは知っています。かつて私たちも同じような道を進んだのです。そのように語り始めたのではないか」。
 そのようにエリヤとモーセは、それぞれ自分たちが辿った証を語りながらイエス様を励ましたのではないかというのです。その後、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声が聞こえてきました。それは、父なる神様からの「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」(17:5)という言葉でした。これはマタイ3:16-17にも登場する言葉です。イエス様はかつて宣教の始まりの箇所で、「あなたはわたしの愛する子」だという言葉を聞きました。そして、十字架を決断された場所で同じようなメッセージを聞いたのです。十字架の決断をし、いよいよ歩み出そうとしておられたイエス様に対して、「あなたはわたしの愛する子だ。あなたの進む道は間違っていない。わたしが味方だ」と励ましてくださったのです。この父なる神様の宣言は、イエス様にとってどれほどの励ましになったでしょうか。このように、イエス様が山の上で与えられた経験は、モーセとエリヤという神様の仕える同労者たちとの交わりであり、父なる神様からの励ましの呼びかけでした。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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