日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年3月6日の礼拝メッセージから

この涙を忘れない

ルカ22章54-62節


 本日の箇所は、ペトロが三度イエス様を拒んだという箇所です。それはイエス様がすでに預言されていたことでした。三度イエス様を拒んだ後、鶏の鳴き声を聞き、ペトロは自分がイエス様から言われた通り、裏切ってしまったことを悟ります。そしてペトロは、「外に出て、激しく泣いた」(22:62)のでした。この聖書箇所を読む度に思うことがあります。それは、「何で、このことが福音書の全てに載っているのだろうか」ということです。ペトロが黙っていれば、分からないことだったかも知れないと思うのです。しかし、こうして全ての福音書に書かれている…。それはペトロが語ったからなのではないでしょうか。ペトロは様々な場所で繰り返し、繰り返し、このことを証ししたのではないかと思うのです。そして、そのように語り続けたのは、ペトロ自身このことを忘れてはいけないこととして受け止めていたからなのではないかと思うのです。ペトロにとって、十字架での経験は何より、神様の愛と恵みに出会った経験でした。イエス・キリストの真実と赦しに出会った経験でした。しかし、それは同時に、どうにもならない無力で弱い自分を見せつけられた経験でもあったのだと思います。自分の問題をありありと突きつけられ、「できない」はずの自分を「できる」と勘違いをして意地を張り続けている…。そんな自分が徹底的に砕かれた経験でした。もしかしたら、ペトロは、その後の信仰の歩みでも、かつての自分がふつふつと湧き上がってきたことがあったかも知れません。しかし、十字架でのあの時の自分を思い返す時、自分の奢りというものが砕かれ、忘れてはいけないことを思い出したのではないかと思うのです。
 私にとって、今回の震災、原発事故の事柄は、まさにそのような経験です。今回の震災を通して、たくさんの神様の愛と恵みに出会いました。大変な思いもさせられましたが、たくさんの場面で、神様の恵みを味わい、神様に支えられ、守られていることを感じました。しかし、一方で、先ほどお話ししたように、「できない」自分たちを見せつけられた時でもありました。備えもせず、考えもせず、安心しきっている…。「それで大丈夫」とタカをくくっている…。ともすると、再び、そういう自分たちの姿を忘れて、なし崩しの生き方になってしまいかねない…。そういう自分を見せられた経験でした。そんな中、あの時の経験を思い出す時、そんな自分の奢りが砕かれ、自分が忘れてはいけないことが何かを示されるように思うのです。
震災と原発事故から五年が経とうとしています。この五年は、私たちにとって、どのような年月だったでしょうか。先日、ある先生がこんなことをおっしゃっていました。震災当時、教会の信徒さんたちが自分たちも何かしようと話していたそうです。その時、その先生がおっしゃったのは、「自分たちにとって一番大切で、同時に難しいことはこれから一年二年経っても忘れないことだよ」ということだったそうです。五年経った今、そのことを改めて思うとおっしゃっていました。できることは限られているかも知れませんが、私たちができることで震災を覚え続け、そのことから大切なことを学ぶことができたらと思います。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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