日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年3月13日の礼拝メッセージから

信仰があれば

マタイ17章14−20節


 本日の箇所に登場するのは、一組の親子です。息子は長い間、悪霊に取りつかれて苦しんでいました。息子を癒してもらうため、父親はイエス様のところにやって来たのでした。しかし、イエス様が不在だったので、イエス様の弟子たちがこの息子を癒すことになりました。ですが、弟子たちは息子を癒すことができませんでした。そこでこの男性は、イエス様が帰ってきたのを見つけて、「主よ、息子を憐れんでください」と願い出たのです。本日の箇所を読んで、まず「あれ?」と思うのは、「何で弟子たちはこの子を癒すことができなかったのだろうか?」ということです。色々な理由が挙げられるかも知れません。しかし、二つのことを思います。一つ目に思うのは、イエス様が弟子たちに語った十字架の受難告知のことです。イエス様は、マタイ16:21で、弟子たちに御自身がやがて苦しみを受けられ、排斥されて殺され、三日目に復活することになっていることを打ち明けられました。しかし弟子たちは、イエス様の言葉を受け止めることができませんでした。そんな中、イエス様に対する思いも変わっていってしまったのではないかと思います。それまでは、ただ真っ直ぐにイエス様を見上げ、イエス様の言葉もそのままに受け止め、イエス様の言葉に信頼していた弟子たちが、それまでのようにイエス様を見上げることができなくなっていたのではないかと思うのです。もう一つ思うのは、どんな状況でこの癒しがなされたのかということです。マルコ9:14を読みますと、「一同がほかの弟子たちのところに来てみると、彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、律法学者たちと議論していた」(9:14)と書かれています。この時、弟子たちは、律法学者たちと議論していたのです。どんな議論をしていたかについては書かれていません。しかし、想像するのは、律法学者たちが、弟子たちに対し、イエス様の教えに異議を唱えるような形で議論を挑んでいる様子です。   本日の箇所の少し前には「ファリサイ派とサドカイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを見せてほしいと願った」マタイ16:1)と記されています。おそらく似たようなことを言われたのではないでしょうか。そこに、悪霊に取りつかれた子どもの問題が浮上したのです。必然的に、弟子たちや律法学者の間で、「もし、弟子たちが、この霊に取りつかれた子どもを癒せたなら、イエス様は真実の方だという証である」というようになったのではないかと思います。弟子たちは、律法学者に自分たちの力を見せるために、悪霊を追い出そうとした・・・。そんな状況が考えられるのです。
 このように、弟子たちがこの人の息子を癒すことができなかった理由として、聖書の流れを追いながら、見え隠れする問題は二つです。一つは、弟子たちが、十字架のメッセージを受け止められず、イエス様をこれまでのように真っ直ぐに見上げることができなくなっていたこと・・・。もう一つは、この癒しの業が、律法学者たちとの議論の中で行われていたふしがあるということです。この二つのことを考えながら思うことは、この時、弟子たちは、どこか見上げるべき中心がずれてしまっていたのではないかということです。イエス様を見上げ、苦しんでいる親子を見つめるべき眼差しがどこかずれてしまっているように思うのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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