日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年3月27日の礼拝メッセージから

わたしの羊を飼いなさい

マタイ21章1−19節


 イエス・キリストが十字架にかかられた後、ペトロやヨハネ、ヤコブ、ナタナエルなどの弟子たちは、ティベリアス湖畔にいました。21:3にこんなことが書かれています。「シモン・ペトロが、『わたしは漁に行く』と言うと、彼らは、『わたしたちも一緒に行こう』と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった」(21:3)。この箇所を、私たちの普段の生活に引き寄せる時、思い浮かべる状景があります。よくあるのではないでしょうか。友だち同士、とにかく集まったのですが、具体的には何のプランもない…。「今日はこれからどうしようか」そういうところから始まるのです。本日の箇所を読む時、それに近いものを感じます。最初はしばらくの間、微妙な沈黙が続いていたのではないでしょうか。そのような時間が続く中、やがてしびれを切らすように誰かが口火を切るのです。ペトロは「わたしは漁に行く」と言い出しました。すると、他の弟子たちも「自分も」「自分も」という形で同意していったのです。そんな状況を思い浮かべながら思ったのは、弟子たちはこの時、自分たちのなすべきこと、進むべきところが分からなくなっていたんだなということでした。一緒にいるのはいいのですが、何をするのか、どこに進むのか分からない…。そういう中で、ペトロにしてみれば、とりあえず、自分が一番慣れ親しんできたのは漁ですから、「漁に行こう」ということになる・・・。他の弟子たちも積極的にそれがしたいということでもないのですが、反対する理由もないので、「わたしたちも一緒に行こう」ということになるのです。彼らは自分たちの進むべき方向を見失っていました。その一番の原因は、何と言っても、イエス様が見えなくなってしまっていたからなのだと思います。
 彼らはとりあえずガリラヤ湖に戻ってきて、とりあえず漁を始めました。けれども、それも上手くいかず一晩漁をして何も捕れませんでした。彼らの歩みは行き詰っていました。そんな中、21:5-6には次のように書かれています。「イエスが、『子たちよ、何か食べる物があるか』と言われると、彼らは、『ありません』と答えた。イエスは言われた。『舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。』そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった」(21:5-6)。魚も取れず、行き詰っていた弟子たちにイエス様は「舟の右側に網を打ちなさい」と言われました。その通りに網を打ってみると、今までの空振りが嘘のように大量の魚が捕れたのでした。この箇所を読みながら、思います。弟子たちの歩みというのは、「御言葉に従うことによって一歩一歩確かにされていく歩み」なのです。自分たちの考えで漁に出て、一生懸命網を打っている時には、どうにもなりませんでした。しかし、同じ網を打つのであっても、イエス様の御言葉を聞き、その御言葉に従う中で網を打っていく時、弟子たちの働きというのは、無駄に終わらず、確かな実りある働きとされていったのです。私たちの歩みもそうなのだと思います。私たちも日常の一歩一歩の歩みの中で、御言葉に聞きつつ、御言葉に従う思いで歩んでいきます。その時、その一歩一歩の歩みが確かにされていくのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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