日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年4月3日の礼拝メッセージから

神の子の自由

マタイ17章24−27節


 本日の箇所には、神殿税を集める者たちが、ペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」(17:24)とたずねてきた様子が記されています。当時、神殿税について、様々な論争がありました。大抵のユダヤ人たちは、神殿税を払っていたのですが、時々に意義を唱える人たちもいたのです。たとえば、サドカイ派の人たちは、この神殿税を認めていませんでした。クムラン教団では、神殿税を一年に一度ではなく、一生涯に一度払えばそれでいいと主張していました。そのように、立場によって様々な意見があって、自分が信じている信仰の立場から、あえてそれを払わないと主張する人たちがいたのです。そういう状況にあって、ペトロに「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と問うたのです。この言葉は、単に「神殿税を納めなさい」という話だけではなかったのだと思います。色々な考えがあって、その人その人なりの信仰のスタンスがある中で、「あなたたちはどうするのか」「あなたたちが従っている先生の考えはどうなのか」と問うてきた言葉だったのです。
 本日の箇所の「神殿税を集める者たちの問いかけ」を聞きながら、私たちもそういう問いに立たされることがあるかも知れないと思いました。信仰の色々な問題の中で、「あなたが従っているイエス様は、この問題についてどんなふうに考えているとあなたは考えていますか?」そんなふうに問われながら、「あなた自身もまた、キリスト者として、どういう信仰の選び取りをするんですか?」ということが問われることがあるのではないかと思います。そういうことで悩むことは、案外、多いのではないでしょうか。
 本日の箇所で、「神殿税を納めないのか」という問いに対し、ペトロは「納めます」と答えています。ただそのようにきっぱり答えたのはいいのですが、その後で色々考えたのではないでしょうか。「『納めます』と答えたのはいいけれど、本当にこれで良かったのだろうか」と悩んだりしたのではないかと思います。ペトロはこの時、神殿税を払うお金も持っていませんでした。そんな中、「どうやってお金を払えばいいのだろう?」というところから始まって、「そもそも自分が選んだことは正しかったのだろうか?」「間違ってなかったろうか?」ということを考えたり、悩んだりしたのではないかと思うのです。
 そんなペトロのことを思う時、17:25-26の御言葉が迫ってきます。「ペトロは、『納めます』と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた」(17:25-26)。ペトロが家に入ってくると、イエス様から話し始められました。しかも神殿税のことを話し始められたのです。このイエス様の姿に、福音書の著者は、イエス様がペトロの思いを知っていたことを表しているのではないかと思います。神殿税を払うと言いながらも、その後で悩んでいる…。悶々と一人で思い悩んでいる…。そんなペトロの思いをイエス様は知っておられたのです。それゆえ、ペトロが打ち明ける前に、イエス様の方から話し始められたのです。このイエス様の姿を覚えていたいと思います。イエス様は私たちが信仰の歩みで悩んでいる時、色々なことを悶々と抱え込んでいる時、そんな私たちをご覧になり、思いやってくださるのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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