日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年4月24日の礼拝メッセージから

たとえ一匹の羊であっても

マタイ18章10−14節


 本日の箇所に記されているのは、有名な「迷える羊」のたとえです。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出てしまいました。その時、羊飼いは九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに出かけたというのです。以前、羊とはどういう動物なのか、うかがったことがあります。羊というのは、もともと、温順な動物だそうです。一方で大変警戒心が強く、臆病であり、群れから離れたがらない動物でもあるそうです。ことわざに「1頭の羊を捕まえるよりも、100頭の羊を捕まえる方がたやすい」 という言葉さえあるとのことでした。それでは、何で、本日の羊は群れから離れてしまったのでしょうか。このことについて、イスラエル旅行の際、ガイドさんからこんな説明を聞かせていただきました。
 羊というのは、目が横についています。このため、視野がとても広いそうです。顔を前に向けたまま、後ろも見ることができるとのことでした。でも、そんなふうに広く色々なものを見ようとしているがゆえに、全体的に見ているものがぼやけてしまっているのです。色々なものを見ているようで、実は一つ一つのものがきちんと見えていない・・・。ですから、いつの間にか、迷子になってしまうのです。聖書の舞台となっているパレスチナは、大部分が荒れ野で、余り草木が生えていません。あちらこちらにちょこちょこと生えている程度で、羊飼いが羊を放して餌を食べさせていると、羊はこっちの草を食べ、あっちの草を食べようとします。その内にどんどん群れから離れてしまい、迷子になってしまうことがあるのです。またはこんなことも考えられます。羊は警戒心が強いため、ちょっとしたハプニングでパニックになってしまいます。獣などが襲ってきた時には、その瞬間、すばやく察知して逃げ出すのですが、逃げ出した後、どこに向かうのか分からず、迷子になってしまうのです。私はそれらのお話を聞きながら、その羊の姿が、時々の自分に重なってくるように思えました。警戒心が強くて、臆病で、一人でなんて、とても生きていけず、たくさんのものに気になって、あれこれと見ようとしているのですけれど、色々なことを見ようとしすぎて、一つ一つのことがきちんと見えていない・・・。目先のことばかり見て、その場その場の判断で踏み出して、結局、迷ってしまう・・・。そんな羊の姿が、時々の自分が重なってくるように思えたのです。ちなみに羊というのは、非常に我慢強い動物でもあるそうです。羊を飼っている人は、よくよく注意して羊を観察していないと、羊が病気になっていても、それが分からなかったりします。そんな羊の姿も私たちと重なって思えました。
 私たちは時に、この羊のように迷ってしまうことがあります。自ら迷おうと思ったわけでもないのに、迷ってしまうことがあります。迷いたくもないのに、色々なことに目を向けていたはずなのに、逆に色々なことに目を向けていたことで、肝心なものが見えなくなっていて、自分の居場所も分からなくなってしまう・・・。そんな私たちもいたりするのではないでしょうか。そんな「羊」のような私たちを本来あるべき場所に、立ち戻ることができるように、来てくださった・・・。それがイエス・キリストなのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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