日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年5月15日の礼拝メッセージから

恵みの出来事として

マタイ19章1−12節


 本日の箇所は、ファリサイ派の人々がイエス様を試みて、『何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか』(19:3)と質問した場面です。彼らはイエス様が申命記24:1の戒めに反するようなことを言うなら、律法違反で訴えようと考えていました。当時、離婚というのは、とてもデリケートなテーマでもありました。というのは、この時代、イエス様が宣教活動していたガリラヤ地方では、領主であったヘロデ・アンティパスという人物が、離婚にまつわるトラブルを起こしていました。バプテスマのヨハネが、そのことでヘロデを批判したところ、ヨハネは牢獄に捕らえられ、処刑されてしまったのです。ですから、イエス様が離婚についてあれこれ言及することは、場合によっては、バプテスマのヨハネと同じように、捕らえられてしまうことも考えられたのです。そのように19:3-9のやり取りというのは、大変、緊張感に満ちたものでした。しかし、弟子たちはその状況というのがよく分かっていなかったのではないでしょうか。ファリサイ派の人々とイエス様とのやり取りを聞いていた弟子たちは、会話に割り込んでくるように、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」(19:10)と言い出したのです。
 本日の箇所を読みながら見えてくるのは、離婚ということに対する身勝手な考え方を持っていた当時の人々の姿、その離婚というテーマを利用して、イエス様に対して敵意をむき出しにして、イエス様を陥れようとするファリサイ派の人々の姿、そして、そんなファリサイ派の人々の思惑など知る由もなく、イエス様のお話になった言葉をうわべだけで受け止めて、「そんなだったら、妻を迎えない方がましです」と言い出してしまう弟子たちの姿です。イエス様は、そんな人々のことをどんなふうにご覧になられていたのでしょうか。人々それぞれの姿に、心痛めておられたのではないでしょうか。当時の離婚に対する人々の身勝手な考え方にも心を痛めておられたのではないかと思いますし、離婚の問題を取り上げながら、イエス様のことを試し、陥れようとしているファリサイ派の人々にも心を痛めておられたのだと思います。またイエス様の思いも分からず、「そんなだったら、妻を迎えない方がましです」と言い出している弟子たちにも心を痛めたのではないかと思うのです。
 そんなことを思いながら、イエス様がお話になった「恵まれた者」(19:11)という言葉が心に迫ってきました。何というのでしょう。本日の箇所で人々がそれぞれ勝手なことを言い出している様子と思いながら、全体的に人々の思いの中に「恵み」ということが抜け落ちてしまっているのではないかと思うのです。離婚がゆるされているのか、ゆるされていないのかというやり取りの中で、結婚というものが本来、祝福と恵みの出来事なんだということが抜け落ちてしまっているのです。そんな人々の様子を思いながら、自分自身のこととして考えさせられました。私自身、与えられた恵みを恵みとして数えられなくなってしまっていることがないだろうか…。そんな自分が神様に身勝手なことばかり言ったり、「こんなだったら、しない方がましです」と嘆いたりしてしまっていることがないだろうかと思ったのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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