日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年5月22日の礼拝メッセージから

わたしのところに来るのを妨げてはならない

マタイ19章13−15節


 本日の箇所は、人々がイエス様に手を置いて祈っていただくために子どもたちを連れて来たという箇所です。弟子たちはこの人々を叱って、子どもたちがイエス様のもとに向かうのを妨げようとしました。すると、それを見ていたイエス様が言われました。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである」(19:14)。そして、子どもたちに手を置かれたのでした。本日の箇所によく似た記述が、マタイ18:1-5にあります。ここでは、イエス様が弟子たちの前に一人の子どもを立たせ、「心を入れ替えて、この子どものようになりなさい」(18:3)とおっしゃったのでした。本日の箇所も、それに繋がっているのだと思います。弟子たちに対して、「子どもたちを妨げてはならない」とおっしゃり、むしろ、弟子たち自身も「子どものようになりなさい」と招かれている・・・。それがマタイ18:1-5と本日の箇所から聞こえる聖書のメッセージです。
 私は「子どものようになりなさい」というメッセージを聞く時、いつも思うことがあります。それは、私自身これまでの歩んできた人生の中で、周りから聞いていた言葉というのは、このイエス様の言葉と全く正反対だったんじゃないだろうかということです。「子どものようになりなさい」という言葉より、「大人になりなさい」という言葉を聞いてきたように思うのです。そして、おそらく多くの人がそうなのではないでしょうか。「大人になりなさい」とか「大人にならなきゃ」という声を聞いてきたのではないかと思うのです。しかし、一方で、その声に応えきれなくて、苦しんでいたり、傷ついていたり、どうにもならなくなってしまう…。そういうことがあったりするのではないでしょうか。
 「子どものようになりなさい」。私は、このイエス様の言葉は、何よりも私たちにとっての福音なのだと思います。子どものようになりなさい…。子どものようであっていい…。乳飲み子のように、泣きたい時には泣いてもいいし、自分の弱さを打ち明けていいんだ…。それが「子どものようになりなさい」というメッセージなのではないでしょうか。
私は、小さい赤ちゃんを見る時、いつも学ばされることがあります。それは、生まれたばかりの赤ちゃんが、まだ言葉も覚えていないような時期から、肝心なことをきちんと分かっているということです。赤ちゃんは、自分が安心して子どもでいられる場所をきちんと分かっているのです。思いっきり泣くことができる…。甘えることができる…。安心して身を委ねることができる…。そんなふうに自分が安心して子どもでいられる場所をきちんと分かっています。自分を守ってくれる人を知っています。ですから、お母さんがいなくなったりすると、とたんに不安になって泣いたりするのです。そして、それは、神様が子どもに対して与えてくださった尊い知恵なのだと思います。そんな子どもの姿を見ながら、そのような知恵についても考えていきたいと思います。私たちは、自分が安心して子どもでいられる場所を知っているでしょうか。それは他ならぬ、イエス・キリストのもとです。私たちはイエス・キリストの御もとにおいて、安心して安らぎ、子どもでいることができるのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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