日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年5月29日の礼拝メッセージから

完全になりたいのなら

マタイ19章16−22節


 一人の裕福な青年がイエス様のところにやって来て、「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」(19:16)とイエス様に尋ねました。イエス様は、この青年に、旧約聖書で教えている「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。」という戒めを挙げ、これらの戒めを守りなさいと教えられました。すると、青年は、「そういうことはみな守ってきました」(19:20)と応えました。そして、「まだ何か欠けているでしょうか」と尋ねてきました。そこで、イエス様は「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(19:21)と言われたのです。たくさんの財産を持っていた青年は、この言葉にショックを受け、イエス様のもとを去ったのでした。
 本日の箇所で、青年は、イエス様が言われた戒めに対して「そういうことはみな守ってきました」と言っていますが、本当にそうだったのでしょうか。ここでイエス様はこの青年に対して、「もし完全になりたいのなら」とおっしゃっていますが、「完全に戒めを守る」ということについて、マタイ5:21-22でこのように語っています。「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる」(マタイ5:21-22)。この御言葉などを読む時、はたして青年は、イエス様が言われた戒めを本当に守ってきたのだろうかと思います。あからさまな問題となる形では違反をしていなかったかも知れませんが、イエス様がおっしゃるような視点から見た時、胸を張って、「そういうことはみな守ってきました」とは言い切れなかったのではないかと思うのです。
 いずれにしても、青年は、イエス様の言葉から、悲しみながら、イエス様のもとを去りました。イエス様の言葉に応えられない自分を見せつけられ、自分の足りなさ、限界というものを突きつけられたのです。本日の箇所を読みながら、「御言葉に立つ」とは、こういうことなのかも知れないと思いました。この青年は、自分であれこれ考えていた時には、自分は戒めもきちんと守っているし、立派な人間だと思っていました。しかし、イエス様の前に立ち、本当の意味で御言葉が心に迫ってきた時、自分の限界、自分の罪を知らされたのでした。私たちも時に多くの人が、この青年のように何気なく「自分は立派な人間だ」と思っていたりするかも知れません。しかし、私たちが御言葉の真理を知らされていく時、そんなことを言っていられない自分に気づかされるということがあるのではないでしょうか。それまで考えもしなかった、自分の中にある問題、自分の罪に気づかされるのです。それが御言葉に立つということなのだと思います。しかし、なお覚えていたいのは、そのような経験の先に、私たちはイエス様との本当の出会いをするのだということです。イエス様は罪や弱さを自覚した私たちを、そのまま「子どものように」神の国へと招いてくださっているのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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