日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年6月12日の礼拝メッセージから

天の国のまなざし

マタイ20章1−16節


 本日の箇所で、イエス様は、天の国について、ぶどう園の主人と、そこで働く日雇い労働者のたとえでお話になりました。私はこのたとえの意味が、ずっと分からないでいました。明け方頃から、一日汗水たらして働いてきた人と五時に農園にやって来た人の賃金が一緒ということに対して、納得いかないと思ったのです。そんなふうに、私はこのたとえの意味が分からなかったのですが、ある時、「そういうことだったのか」と気づかされる時がありました。このたとえに溢れている神様の恵みに気づかされたのです。私がそのように気づかされたのは、2011年の東日本大震災の時でした。私は郡山の教会員の皆さんと震災後、近くの仮設住宅に支援活動に出かけて、集会所でお茶会などをしていたのですが、その仮設住宅には、いつもベンチでたむろしてお話している男性の方々がいました。その方々というのは、震災後、原発事故の影響で、住んでいた地域に住めなくなり、この仮設住宅に住むことを余儀なくさせてしまった人たちです。お話を聞くと、その人たちというのは、農家だったり、大工だったり、漁師だったりしました。原発事故が起こる前は、それぞれ自分の畑を耕していたり、自分の船で漁に出かけたりしていたのです。しかし、事故が起こって、畑を耕せません。漁に出ることができなくなってしまったのです。本当にやりきれない思いのまま、毎日、もてあました様子で、仮設で過ごしていました。私はその人たちを見た時、本当にいたたまれない思いになりました。そして、その様子を見ながら、ハッとさせられました。仮設の人たちの姿が、本日のたとえの労働者の姿に重なってくるように思えたのです。
 本日の箇所の労働者について考えてみたいと思います。彼らはぶどう園に途中からやって来たかも知れません。それまで仕事はしていませんでしたが、そんな彼らは、ずっとこの広場で、雇い主が自分を雇ってくれるのを待っていたのでした。彼らは主人に雇ってもらうまでどんな思いで過ごしていたのだったでしょう。はっきり言って、その時間というのは、ぶどう園で仕事していた時よりしんどかったのではないかと思います。本日の箇所で朝方から働いてきた人は、自分たちは「まる一日、暑い中を辛抱して働いてきました」と訴えました。しかし、それというのは、他の人たちも同じだったのだと思います。彼らは日中、広場で炎天下の中、雇ってくれる人を待ち続けていたのです。仕事は大変だったかも知れません。しかし、少なくても、やることがあって、目的があって、達成感もありました。その方がどんなに良かっただろうかと思います。
 そんなふうに仕事が見つからず、広場であぶれてしまっていた人々に対して、何度となく、この主人はやって来てくださり、彼らに目を止めてくださり、彼らをぶどう園に招いて、働き場所を与えてくださいました。そして、彼らにも、生きるのに必要な賃金を支払ってくれました。ここに主の恵みが溢れています。他の誰もかえりみてくれないような、皆から見放されてしまっているような彼らに、主人は目を留めていてくれていました。顧みてくれていました。それが天の国のまなざしだったのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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