日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年7月3日の礼拝メッセージから

仕える者となりなさい

マタイ20章20−28節


 本日の箇所で、ヤコブとヨハネのお母さんは、息子たちと一緒にイエス様に「イエス様が王座に着かれる際には、イエス様の両方の座に息子たちを座らせてください」と願いました。「イエス様に次ぐ役職を与えてください」と願ったのです。ヤコブとヨハネのお母さんにしてみれば、わが子を思う思いからの訴えだったろうと思います。しかし、この願いは余りに場違いな願いでした。この時、イエス様は、十字架にかかるために、いよいよエルサレムに向かおうとされていました。そういう状況のただ中で、ゼベダイの一家は、「自分たちにイエス様に次ぐナンバー2の地位を与えてください」と願ったのです。正直、何言っているんだという話です。しかし、私は、本日のヤコブやヨハネのことを思いながら、彼らを笑ったりすることができないのではないかと思います。むしろ、私たちはみんな、そんなふうにイエス様に検討違いな願いをしていることがあるんじゃないかと思うのです。
 本日の箇所で印象的なのは、イエス様が、本日の箇所で、ヤコブやヨハネを「お前たち全然分かっていない」ととがめていないということです。イエス様から見れば、「分かってないなぁ」というところがたくさんあったと思いますが、それでも、そんな彼らを丸ごと受け止められたのです。ここに、イエス様の限りない憐みを思いますし、このイエス様の憐みの中で、私たちの信仰は、育まれ、整えられていくのではないかと思うのです。
 イエス様は、互いに「我こそはイエス様に次ぐナンバー2になりたい」と願う弟子たちに、「仕えなさい」と言われました。弟子たちにとって、この言葉はどのように響いたのでしょう。彼らの思いとは正反対にある言葉だったんじゃないでしょうか。おそらく彼らは、イエス様の言われている言葉をすぐに喜んで受け入れることができなかったんじゃないかと思います。
 そもそも「仕える」ということは、どういうことでしょう。色々なことが言えるかも知れませんが、私は「仕える」という言葉で思い出すことがあります。聖書には「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、」(フィリピ2:3)という御言葉がありますが、この御言葉から、ある人が「愛とは相手を自分よりすぐれたものと捕らえることのできる能力です」と言いました。素敵な言葉だと思います。本日の「仕えなさい」というメッセージが豊かな響きで聞こえてくるのではないでしょうか。本日の箇所でイエス様が弟子たちにおっしゃった「仕えなさい」というメッセージというのは、「愛にいきる」ということに繋がるのです。「偉くなりたい」「イエス様に次ぐナンバー2になりたい」と思っていた彼らにとっては、ただただがっかりさせられる言葉だったかも知れませんが、この言葉を重ねて読む時、本当に祝福に溢れたメッセージに聞こえてきます。そして実際、弟子たちは、この時は分からなかったかも知れませんが、イエス・キリストの憐みの中で育まれ、整えられていく内に、仕えること、愛に生きることの喜びを知らされていったのだと思うのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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