日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年7月24日の礼拝メッセージから

主がお入り用なのです

マタイ21章1〜11節


 本日の箇所はエルサレム入城の場面です。イエス様はエルサレムに入城される際、小さなロバに乗っていかれました。私たちはこの箇所から覚えていたいことがあります。それは、「主は、この小さなろばを必要とされたように、私たち一人一人をも必要としてくださっている」ということです。ずい分前に読んだ本の中に、こんなことが書かれていました。
「多くのクリスチャンは、自分たちにイエス様が必要だということを理解している。しかし、イエス様が私たちを必要としてくださっているということについては、案外、分かっていないんじゃないだろうか。『イエス様が私たちを必要としてくださっている』。このことは驚くべきことだが、私たちはこのことを信仰をもって聞くのである。」
当時、私は学生で進路のことで悩んだり、行き詰っていました。そんな中、色々なことに自信が持てなくなり、自分がいてもいなくてもどうでもいいように思うこともありました。そんな中、この本の言葉に本当に励まされました。
 イエス様は、ロバを連れて来る際、弟子たちに「『主がお入り用なのです』と言いなさい」(21:3)と言われました。この「お入り用なのです」という言葉は、ギリシア語のキレイアという言葉が使われています。ルカ5:31-32でも使われている言葉です。
「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」(ルカ5:31-32)
ここで「医者と必要とするのは」という言葉と、本日の「お入り用なのです」という言葉が、同じキレイアが使われているのです。まさに、私たちにとって、イエス様が必要であるように、イエス様は私たちを必要としてくださっているのです。
 さらに覚えていたいのは、子ロバがイエス様のところに連れていかれる時、縄から「ほどかれた」ということです(21:2)。「ほどく」という言葉はルオーというギリシア語が使われています。これと同じ言葉が、ルカ13:15-16で使われています。
「あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」(ルカ13:15-16)
 この御言葉の「サタンの束縛から解かれる」というところで、ルオーというギリシア語が使われているのです。「主がお入り用なのです」と呼びかけてくださるイエス様との出会いは、私たちを様々なものからほどいていきます。私たちが今まで縛られていた色々なものだったり、自分自身で固執していた思いだったり、劣等感だったり、受け入れられなかったことだったり、不安な思いだったり、自分を赦せないと裁いてきた思いだったり、その他、私たちの抱えている色々な思いや自分の側の都合だったり、イエス様の「主がお入り用なのです」という言葉は、それら一切のものをほどいて、私たちを解放してくれるのです。その中で、私たちを新たな福音の世界へと生かしてくださるのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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