日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年7月31日の礼拝メッセージから

イエス様が来られる

マタイ21章12〜17節


 本日の箇所は「宮清め」と呼ばれている箇所です。イエス様は、エルサレムの神殿にやって来ると、神殿で売り買いしていた人たちを追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返しました。何で、こんなことをなさったのでしょうか。エルサレムの神殿が、本来の姿からかけ離れていたからです。「鳩を売る者」とは、神殿で献げるいけにえ用の鳩を売る人たちのことです。当時の礼拝は、神様に犠牲のいけにえを献げることが中心でしたが、そこには厳しい決まりがあって、いけにえは傷があってはいけないと定められていました。しかし、遠くから旅をして礼拝を献げようとする人たちは、動物たちを傷一つつけないで連れてくることは困難です。このため、旅人相手の商売として、エルサレム神殿の前で傷のない動物を売っていました。また当時、神殿で献金をする人は、神殿で使える特別な硬貨に両替しなければなりませんでした。その商売をしている人たちが、本日の箇所に書かれている「両替人」でした。そのように、当時の神殿礼拝は、お金儲けのシステムができあがっていました。イエス様は、そんな神殿の有様をご覧になり、「神殿というのは、本来、祈りの家と呼ばれるべきだ。けれども、あなたたちは、その場所を全く違う場所にしてしまった。まるで強盗の巣のようにしてしまったんだ」と厳しく非難されたのです。
 本日の箇所には、イエス様が「宮清め」をなさった後、神殿境内にいた目の見えない人や足の不自由な人たちを癒されたことが書かれています(21:14)。この人たちは、当時、神殿に入ることが認められなかった人でした(サムエル記下5:8)。イエス様は、そんな人たちを受けいれ、癒されたのでした。まさにここにイエス様がさし示そうとされた「祈りの家」としての神殿の姿があるのだと思います。「天の父の家というのは、人がわけ隔てされてしまうような場所でない。何より祈りの場所であり、どんな人の祈りでも神様はその祈りを受けいれ、応えてくださる」。21:14の出来事はそのような出来事でした。しかし、そのすぐ後の21:15-16には、祭司長たちや、律法学者たちが一連の出来事を見て、腹を立てたと書かれています。彼らは「宮清め」によって、それまで自分たちが行なって来た礼拝が根底から問われ、ひっくり返されてしまいました。それが受け入れられなくて、激しく腹を立てたのです。
 本日の箇所には、イエス様に取り扱われ、癒され、賛美に溢れる人々の姿と、イエス様に反発し、喜べないとしている人々の姿の二方の人々がいました。そんな二方の人々の姿を見ながら、私たちは、本日の箇所のどちらの側の人々に自分を重ね合わせることができるだろうかと思いました。自分の中には、時々にこの両方の自分がいるかも知れないと思います。イエス様を心にお迎えする中で、イエス様に取り扱われ、癒され、賛美に溢れる自分がいる一方、イエス様に自分の様々な問題が問われながら、反発したり、受け入られなくなってしまうことがあるかも知れないと思うのです。そして、それは多かれ、少なかれ、皆、そうなのではないかと思います。私たちは様々な経験をし、色々な思いを通らされながら、イエス様を主として心にお迎えしていくのではないかと思うのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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